Day2 アーナーパーナ瞑想
鼻の下の感覚に気づく
2日目も朝の4:20の鐘がなると、ほとんどの人が瞑想ホールに集合。通常のコースだとチャンティングが始まるまでホールには来ない人が多いのですが、みんな朝からやる気満々で、静かにアーナーパーナ瞑想を始めます。
2日目の14:30のグループ瞑想から、「鼻孔の下から上唇の上の三角形部分の感覚に気づく」よう指示されます。呼吸は限りなく小さく、細く、止まっているかのようになり、三角形部分の感覚に全集中! なかなか感覚を感じませんが、感じなくてもOK。感覚がないということに気づくことが大事。ちょっと安心。感覚がない、ない、ないでーす。
アーナーパーナ瞑想を続けていたら、フッと意識の位置が身体の内側に切り替わったことに気づきました。これはたぶん今までにない初めての経験だと思います。
今まで自分が観察していたのは、自分の上唇の2、3センチくらい右前方からだったことに気づいたのです。自分の意識のいた場所が、自分の内側で内側から観察していると思い込んでいましたが、実は自分の上唇の2、3センチくらい右手前の外側からだったのです。そして、今はそれがクルリンと変わって自分の体の内側の人中の真正面の内側から見ているのです。
ということは、ある1点を観察するときに、内側からと外側からの2方向から観察できるということ? 皮膚の内側からと外側から。おおー、両側から見れるんだー。ひとり感心。
夜の講話 2日目
序文の解説
今夜からマハー・サティーパッターナ・スッタを読み解いていきます。いつもの講話と違ってメモを取れるので、蛍光灯の照明がつきます。明るいので眠くならず、いい感じです。が、講話内容は、まず序文の解説ですが、相変わらず日本語が難解で、???の連続。パーリ語も入って、さらに????? 今どこ?状態でした。
がんばるのをやめて、ただ聞き流すことにしました。知りたい方は古い生徒のページから講話でお聞きください。私は、参加前に予習として講話を全部聞いてから参加したのですが、さっぱりわかりませんでした。以下、ポイントメモ。
サティ(知覚、気づき)とは何か。この瞬間をありのままに知ること、それがサティ。
パッターナとは何か。しっかりと正しい方法で広く確立すること。
経典そのものはブッダが書いたわけではなく、ブッダの没後、500人の阿羅漢(アラハン)が集い、ブッダの教え(話し言葉)を互いに確認し合って伝え残したもの。もっと短い「サティパッターナ・スッタ」経典もある。
苦悩から自由になりたいなら、自分の中の不純性を自分で取り除かなければならない。
「エーカーヤノー・マッゴー ekayano maggo」その道は1つしかない。
智慧をもって4つの知覚力を、4つのやり方で確立することによって、これら全ての苦悩を消滅することができる。
4つのやり方とは、身体の観察・感覚の観察・心の観察・心の中身の観察である。
Day3
アーナーパーナ瞑想からヴィパッサナー瞑想へ
この日も朝からアーナーパーナ瞑想を粛々(しゅくしゅく)と続けます。
鼻の下、上唇の上の感覚が少しずつ現れます。一番わかりやすいのは、プクッと立ち上がる泡状のもの。ちょうど人中のあたりにプクッと直径2ミリくらいの泡が立ち上がっては消える感覚があるのです。プクッ、プクッと。これは毎度のことなので、いつもの泡だなーと気づいています。
瞑想とは関係ありませんが、「歳をとると、この鼻の下の部分が長く間延びして老け顔になるよねー。やだなー」などとNG思考をしてしまい、嫌悪まで発生していることに気づく私。気づいたら、また感覚の観察に戻り、続けます。
14:30からのグループ瞑想を終え、15:30からヴィパッサナーの瞑想指導に入ります。
毎回、これが一番の楽しみであり、メインイベントです。が、しかし。今回のは短い。いつものとはゴエンカ氏の指導がだいぶん違って、超短いのです。
まず、鼻の下、上唇の上の三角形部分に留めていた集中を頭頂部に持っていくように。
「生まれた時には開いていた部分」ここに意識を移動させるようにと指示があります。
え、ここって生まれた時は開いていたの? 知らなかった。たぶん今までの3回でも同じことを言っていたのでしょうが、記憶にありません。
頭頂部の自分的にてっぺんだなと思う辺りをグリグリ観察します。するとドクンドクンと脈打つ場所が直径3センチくらいあるので、そこだと思って私は進めています。
「上から下へとなるべく多くの部分の感覚を感じるように」とゴエンカ氏の指示が続きます。
いつもなら後頭部のスカルプエリア、顔、右肩と部位を少しずつ追っていきますが、そんな親切な誘導はなくて、一気にザッとなるべく多くを感じとれと言う短縮指令に。
たぶん一部の人はビビったと思います。私はビビりました。
いつものように、少しずつゴエンカ氏の誘導に従って、瞑想を深めていけばいいと思っていたからです。甘かった。
誘導はなしで、「さあ、10日間コースを3回以上、1年以上毎日朝晩1時間ずつの瞑想をしてるんだから、いつもやってるように、一気にヴィパッサーナーに入ってちょうだい」ってことでした。ちょっと焦って、ガシガシ始めます。
夜の講話 3日目
4つのサティパッターナとは
1. カーヤヌパッサナー(身体の観察)
2. ヴェーダナーヌパッサナー(感覚の観察)
3. チッターヌパッサナー(心の観察)
4. ダンマーヌパッサナー(心の中身の観察)
サティパッターナの目的は、「私」と呼ぶ「自分の実態」の全体を探索すること。それは、私=カーヤー(身体)とチッタ(心)、この2つを探索することである。カーヤー(身体)を体験するためには、ヴェーダナー(感覚)を感じ取ることで、自分の身体を実際に体感できる。ヴェーダナー(感覚)なしに、カーヤー(身体)を知ることはできない。チッタ(心)に何か(渇望、嫌悪など)が起こる時、起こるものはダンマ(心の中に含まれるもの)である。チッタ(心)を体験するためには、ダンマ(心の中身)なしには体験できない。
全てのダンマは全ての心に起こってくる。それは肉体の上の感覚となって、一緒に流れ始める。それゆえに感覚は重要である。
パッサナー=自分で直接見る:観察する:移りゆくものを次々に観察していく=想像してはいけない。
アーターペー(燃えている人、心のうちの不純物を燃やしている懸命な修行者)
サンパジャーノ(正しい理解を修行する人)
サティーマー(気づいている人)
ヴィネイヤ(自身を遠ざける)
アビッチャー(渇望) ドーマナッサン(嫌悪)
ローケー(小宇宙、星を含む異なる宇宙、この場合は5つの集合体をさす)
5つの集合体(意識、感覚、知覚、反応、身体)
1. カーヤーヌパッサナー(身体の観察)の解説
A. 呼吸(アーナーパーナ)の部
瞑想は、どうやって行うのか?
・ひとりになれる場所(森、木の下、個室など)に行く
・足を組んで坐る
・背中を伸ばし上半身を起こす
・心を口の近くに固定させ、息を感じ取る
短い息、長い息を、吐き出している、吸い込んでいることに気づいている
・サッバ・カーヤ 呼吸の助けを借りて、全身の感覚を感じとる。
息を吐きながら上から下へ全身に一息で感覚を感じとる。
息を吸う時に酸素が肺に入り、血流とともに全身を駆け巡る。その血流とともに感覚がある。頭から爪先、爪先から頭へと全身に感じとる。
・静けさ「バンガ」の段階 身体中に細やかな振動を感じる
この振動を心地よく感じて執着し始めるので要注意。渇望と嫌悪から自身を切り離し修行するように。
・息を吸い込みながら全身を感じとる。息を吐き出しながら全身を感じとる
心と身体が静かな段階を過ぎたら、アジャッタン(自身の身体の内側)を、バヒッター(自身の身体の外側)全てを、内側も外側の全身すべてを感じとる。
・身体の内に生成と消え去るという真実を観察し続ける
・生まれるということは、常に消え去るということを理解できるようになると、最初はその2つの事象に間があり別々の事象だと感じるが、バンガを経験するとそれが、常に高速で現れては消え去ることに気づく。アニッチャ(無常)の理解
・身体というものは泡のようなカラーパの集まりに過ぎない、ただの単なる身体に過ぎないということを体験することで、それに執着したり嫌悪することが自然に消えていく。アナッター(無我)の境地
B. 姿勢の部
身体の4つの姿勢を正しく理解する
歩いている、立っている、座っている、横になっている。この4つの姿勢を常に意識して行動しなさい。
C. 無常の絶え間なく徹底的な理解の部(サンパジャーナ)
??? 日本語の意味わかりません。ここに書かれていることが一番肝となる部分ですが、文意不明でした。人のあらゆる行動・動作(前進、後退、かがむ、話す、食べるなど)に対して、「無常の絶え間なく徹底的な理解を保ち続ける」となっているので、「自分がしていること(常に変化している)を、常に意識して、ありのままに捏造せずに観察して、正しく理解しなさい」ということかな?と思いました。