五戒と八戒

戒律とは

解脱を願う修行者が守るべき生活上の規律です。自分自身に対して課する倫理的な戒め(śīla シーラ)と、出家修行者が僧院での共同生活に課せられるvinaya ヴィナヤ)があります。

在家で修行する人が守るべき基本的な戒めが「五戒」です。在家者がウポーサタの日など、一時的に僧院生活を送る場合には、出家者に倣って五戒+3つの戒め「八戒」を守ります。

出家者に対しては、男性は227戒女性には311戒の修行規則があります。これはブッダの死後に設けられたものです。

ブッダは元々「五戒だけで十分。あれこれ決まりがあると、かえって修行の妨げとなる」と考えていましたが、大勢の修行者たちが共に修行生活を送る上で、たびたび問題が生じ、その都度、弟子たちからの求めに応じて、対策として規則が増えてしまったのです。

五戒とは

Pañcasīlaパンチャ・シーラ(五戒)とは、生き物を殺さない、盗みをしない、誤った性行為をしない、嘘をつかない、酩酊しない、の5つの戒めです。

1. 生きものを殺さない

人間も動物も微生物も、あらゆる生命を殺さないように努めます。だからといって、歩くだけで足元の微生物を踏み殺してしまう、などと極端に考える必要はありません。心が「他の生き物が死ぬかもしれない」と気づいているのに、行為を続けることはダメですが、普通に歩きつつ、地面をはうアリや小さな虫にも気をつけて、避けて通るくらいで大丈夫です。

菜食主義に関してもブッダの時代では、托鉢で与えられたものは、肉であってもすべて残さず、ありがたく他の生命をいただくのが原則です。しかし、自分の食事のために他の生き物が殺されるのを見過ごす、あるいは自分が殺して料理することは許されません。

大切なのは、自分がこの地球上で生きているのは、あらゆる生命の助けを借りて、共存しているからだということを忘れずに、常に他の生命にも気を配り、非暴力であるということです。

逆に、自分が勤務する会社が、兵器を製造していたり、遺伝子組み換えなど微生物を操作するなどの行為は、他の生命を殺す行為とみなされます。

また、現代の仏教論では、死刑・自殺・中絶・安楽死も殺すに含まれますが、中絶に関しては、仏教国は完全に禁止はせず、非難することで中間的な立場を取っているようです。

2. 盗みをしない

自分に与えられていないものは取らないという戒めです。窃盗や強盗、詐欺などの犯罪行為はしなくても、実は普通の人でも意外に盗んでいるのです。

無駄話:これは他者の時間を盗む行為で、時間泥棒です。

割り込み:自分の順番ではないのに割り込む行為は、自分に与えられた順番ではないのに、他者の順番を奪う行為です。

情報を伝えない:他者に情報を意図的に伝えない行為は、自分が優位であるために、他者が得るべき利を盗む行為です。

会社の備品を持ち帰る:備品を私的に利用することは、窃盗罪・業務上横領罪です。

3. 誤った性行為をしない

出家者は一切の性行為(自慰を含む)が禁止ですが、在家者は配偶者などパートナー以外との性交渉はしないようにします。お互いの合意があったとしても、パートナー以外と行為に及べば、パートナーが大きく傷つくからです。

性欲は子孫を残すための本能なので、欲の中でも非常に大きな欲求ですが、食欲や睡眠欲のように、人が生きるために必須の欲ではありません。本能なので大きな衝動を伴い、6つの感覚器官のすべての感覚を総動員する行為なので、あらゆるものの優先順位を変えてしまう欲求です。理性によるコントロールが難しい動物的な欲求であり、修行には大きな妨げとなります。

また、自慰行為は、情欲を刺激し増加させるため、性的な欲望からの解放を妨げます。

詳細については、スッタニパータの第4章でブッダ がティッサ・メッテイヤに教えていますので、こちらをご覧ください。

4. 嘘をつかない

嘘・陰口・悪口はもちろん、噂話・きつい言葉・ほのめかし・誇張も含まれます。

人が発する言葉は、時に他者を精神的に殺すほどの破壊力を持っています。言葉の行為は、1と2の戒とも重複します。

子供の頃から、散々言われてきた戒めですが、正直であれば、他者から信頼されて多くの助けを得ることができるからです。あらゆる生命が生きる上で大切なことは共存です。

5. 酩酊しない

アルコール薬物といった中毒性の物質を避けることです。喫煙も含まれます。果実酒もNGです。出家修行者の場合は、戒めではなく禁止事項です。

この5つめの戒めは、五戒の中でも最も守るべき戒めと言われています。その理由は、酩酊すると他の4つの戒めを簡単に破ってしまうからです。

人は飲酒しなくても、大なり小なり多くの「過ち」を犯すものですが、飲酒によって自制心が低くなり、悪行を引き起こす可能性が高くなります。意図的にその要因を増やすのは、愚かなことです。

さらに、酩酊することで、健康を害する、財産を損減する、世間での評判が落ちるなど、自分の為にはなりません。

アルコールや薬物に限らず人は、「たまにはいいだろう。お祝いだから今日だけ。明日からやめる」と、結局は際限がなくなるものです。そういう性質だからです。だから酩酊しなくてもたった1杯でも飲まないの方がいいのです。

アルコールや薬物は、脳を麻痺させますが、特に大脳の理性や判断を司る部分の働きを抑制します。そのために人は本能的な活動が活発になり、自制機能が低下し、上機嫌になったり、おしゃべりになったりして、リラックスし、ストレスから解放されるのです。

しかし修行者は、理性を働かせて常に自制機能をフル稼働することが仕事なのですから、それを妨害することになります。軽くでも酔っていては、瞑想も精神統一も集中も、まして洞察などできません。

悟りを求める者にとって、アルコールや薬物は不要です。飲酒するしないは、あくまで自分自身の問題であり、酒を断って悟りを目指すか、酒を飲んで悟りを諦めるかの二者択一です。

もし自分がアルコールや薬物を止めることができないならば、あるいは時々飲んでしまうなら、「なぜ自分は欲するのか?」その時の自分の心を観察してみてください。それが理解できるようになれば、「我慢してやめる」よりも、楽にアルコールや薬物から離れられるでしょう。

八戒とは

在家者が一時的に出家生活をする場合に、出家者に倣って守る8つの戒めが「八戒」です。八戒の目的は五戒と異なり、本質的には道徳的ではないので、より瞑想集中力を高め、雑念を防ぐことが目的となります。

ヴィパッサナー瞑想の合宿コースでも、コース中はこの8つの戒律を守ります。コース中だけなので、アル中などでなければ難しいことではありません。身を清らかに保ち、食べたり飲んだり歌ったりなどの、日常的な楽しみを断つことで、自分自身の心を静かに見つめるのです。

在家者のための八戒は、五戒+次の3つの戒を守ります。また、五戒の3つ目は「一切の性行為をしない」に変わります。

6. 正午以降の食事を控える

八戒の中では、これが一番つらいかもしれません。

出家者は、托鉢で得た食べ物によってのみ日々の糧を得ます。それで満足しなくてはなりません。「少欲知足」わずかなもので満足し、「欲を少なくして足るを知る」のが、ブッダ の教えです。正午を過ぎて夜明けまでの間は、修行者にとって食事をとるのに適切な時ではない、というブッダの言葉に従っています。

7. 身を飾ることや娯楽を控える

着飾ったり、装飾品を身に着けること、化粧や香水もNGです。また、歌や踊り、テレビや音楽鑑賞などの娯楽も控えなくてはいけません。

これは自分自身のためにはもちろん、一緒に修行する他者の気を散らさない配慮でもあります。6つの感覚器官を研ぎ澄まして、微細な感覚を観察するためには、外からの刺激は極力少ない方がいいのです。

華美な装いは人目を引く視覚刺激で、強い香りも余計な嗅覚刺激です。歌う行為は、声帯から大きな振動を生じさせる聴覚刺激です。踊る行為は、身体を動かし、体性感覚を刺激する触覚刺激です。そして娯楽は、心にインパクトを与える意識刺激です。

8. 贅沢な椅子や寝台を控える

椅子には基本的には座りません。寝床は簡易な敷物の上で眠ります。ブッダ の時代の修行者たちは、雨季を除いて、森の中に入って野宿でした。だから修行者にとっての悩みの種は、吸血昆虫でした。

モーセの十戒との共通点

キリスト教圏には、同じような戒律として「モーセの十戒(じっかい)」があります。

  1. 私の他に神があってはならない。
  2. あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。
  3. 主の日を心にとどめ、これを聖とせよ。
  4. あなたの父母を敬いなさい。
  5. 殺してはならない。
  6. 姦淫してはならない。
  7. 盗んではならない。
  8. 隣人に関して偽証してはならない。
  9. 隣人の妻を欲してはならない。
  10. 隣人の財産を欲してはならない。

5〜10は、五戒と趣旨が同じです。

まとめ

五戒はいわゆる道徳です。日本人にとってそれを守ることは、5つ目以外はそんなに難しいことではありません。ごく普通の道徳観であり、他の生き物に対する思いやりがあれば、簡単に守ることができるものです。

むしろ難しいのは、それを守れていない人々に接した時の、自分自身の心のコントロールです。

道徳を守ることは、他者に守らせたり、自分が守っていることを自慢することではありません。ただ、黙ってやればいいことです。しかし人は、自己顕示欲承認欲から、守れている自分をアピールしたくなるのです。さらに他者にも道徳を守らせようと必死になって、自己の正しさを追求するのです。

これは「自分はできている=他人はできていない」という思い上がりです。

人の意見はすべてが「偏見」で、自分の意見も偏見の1つです。「正しい意見」はどこにも存在しないのです。どんな正論も、それぞれ各人が「正しいと自分の尺度で思っている個人的な意見」に過ぎないのです。

五戒はすべて「〜してはいけない」という禁止事項ではなく、「〜しない」という自分自身に対して課する戒めです。決まりだから守るのでも、ブッダ が言ったから守るのでもありません。ブッダは「この5つはしない方がいい」と教えただけです。五戒は他者に守らせるべきことではなく、自分自身のための戒めです。

以上です。