マハーサティーパッターナ・スッタ

マハーサティーパッターナ・スッタは、ブッダが出家修行者たちに説いた「人生の苦悩から解放されるための実践方法」です。ブッダが語った言葉を、話し言葉のまま記録したもので、ちゃんと読んでみると、哲学的で論理的な「生と死の理論」です。

ダンマパダやスッタニパータの翻訳はさまざまなものがありますが、マハーサティパッターナ・スッタはあまり一般的ではないようなので、現代用語に翻訳しました。

マハーサティーパッターナ・スッタ 日本語訳・目次

Mahāsatipaṭṭhāna Sutta パーリ語版・目次

マハーサティーパッターナ・スッタとは?

マハーはパーリ語で「大きな・偉大な(マハラジャのマハ)」という意味。サティは「気づき」、パッターナは「確立」、スッタは「経典」です。マハーサティーパッターナ・スッタとは「気づきを確立するための大経典」という意味です。

これはブッダが比丘(ビクの音写=托鉢する出家修行者)たちに説いた「人生の苦悩から解放」されるための大経典で、仏教用語では「大念処経」と呼ばれています。経典そのものはブッダが書いたのではなく、ブッダの没後、弟子たちであった500人のアラハン(阿羅漢)が集い、ブッダが話した教えを互いに確認し合って、今日に伝え残したものです。

経典はこれ以外にも何冊もあり、パーリ仏典「ティピタカとして、ブッダが語った言葉そのままに、パーリ語で残っています。パーリ語は古代インドの話し言葉で、文字がないので、ビルマ語(ミャンマー)・スリランカ語・タイ語などの音写文字で書き伝わっています。

また、仏典はその歴史の過程で編纂(へんさん・様々な付加や削除)・翻訳が繰り返されています。その編纂会議を「結集」と呼び、ブッダの没後、最初の結集が開かれ、2回目は100年後、3回目は200年後、4回目は紀元前1世紀、5回目は1871年、6回目は1954年にビルマ(現ミャンマー)で開催されました。

現在のパーリ仏典は、この6回目の修正版が底本となっています。6回の編纂を経た中で、ブッダの教えを完全に伝えているかどうかは定かではありませんが、それでも2500年の歳月を経て伝えられたものであることは事実です。

このサイトの翻訳について

このサイトの「マハーサティーパッターナ・スッタ」日本語訳は、英文翻訳をかませずにパーリ語(ローマ字表記)の原典から直接翻訳しています。パーリ単語を訳する際には、オンライン辞書を利用し、主に英語圏の訳単語を採択しました。

もともとブッダの教えは、シンプルな言葉で簡潔に述べられたものです。特定の単語で構成された短文で、ほとんどが同じ文章の繰り返しですので、単語を単純に並べるだけでも訳文が成立します。簡潔な言葉の奥にある深い教えを、捏造することなく平易な言い回しで表現するよう心掛けました。

翻訳にあたっては、内容を理解するために仏教用語も鵜呑みにしない程度に参考にしました。中には全く正反対の解釈もありました。2500年を経て世界中に広がったブッダの教えの元々の言葉は、このマハーサティーパッターナ・スッタだったのですから、違った観点からの解釈もまた、ブッダの普遍的な教えを多面的に理解する助けになると思います。また、日本ヴィパッサナー瞑想協会(JVA)が、サティーパッターナ・スッタ・コースで参加者に配る教科書も参考にさせていただきました。

このサイトの翻訳文には、間違った解釈や見当外れの訳文もあるかもしれませんが、ブッダが語った言葉そのままに、シンプルにダイレクトに教えを理解したいという個人的な思いで作成したものです。間違いに気づいたなら、その都度改めていこうと思います。

サティパッターナの目的

ブッダが説くサティパッターナは、「」と呼ぶ「自分の実態」の全体を調べること。身体なので、身体と心を調べることです。

どうやって身体と心を調べるのかというと、瞑想を実践して調べます。

身体を調べるためには、肉体的な感覚(痛い・熱いなど)を感じ取ることで、自分の身体を実際に体感できます。感覚なしに、身体を知ることはできません。同じように、心を調べるためには、心的な感覚を感じ取ることが必要です。心になにか渇望や嫌悪が起こる時、起こるものは「心に浮かぶ現象である精神的な感覚(快・不快・中立)・感情・思考です。心に浮かぶ現象がなければ、心は体験できません。

マハーサティーパッターナ・スッタ」の内容は、この「身体・感覚・心・心の中の動き」の4つを観察する方法について、ブッダが詳細に語ったものです。瞑想によって、肉体的には身体の観察と感覚の観察精神的には心の観察心の中の動きの観察、この4つの観察を実践して「気づき」を得ることで、「苦悩から解放される」という教えです。

仏教経典「大念処経」との違い

仏教は、ブッダが立ち上げたわけではありません。ブッダは教えを説いただけです。自由思想家と言った方がいいかもしれません。ブッダは王族出身の裕福な出家者であり、自らの力で解脱し、尚且つ、他者にその教えを伝える能力があった人です。

その教えの1つが、このマハーサティパッターナ・スッタで、仏教もこの教えを基にしています。

のちにブッダの弟子たちによって生まれた部派仏教は、細分化しつつ、大まかには南方と北方に分かれました。南方のミャンマーやスリランカなど、東南アジアに伝播したものが南伝の「マハーサティーパッターナ・スッタ」で、北方の中国や朝鮮経由で日本にも伝播した漢訳の経典が北伝の「大念処経(だいねんじょきょう)」です。

仏教は、伝播する過程で地域独自の要素も加わり、様々な宗派と解釈が生まれました。祈りを捧げたり、救済を掲げたり、念仏やマントラを唱えたりするようになりましたが、その教えそのものは本来同じものです。

決定的に違う点は、宗教は信じることを重視しますが、ブッダの教えは体験を重視していることです。

ブッダの教えは、2500年前も今も変わらずに、自分の身体で体験できる普遍的なものです。ブッダも言っていることですが、「私の教えを信じないで自分の身体で確かめてみてください」。

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