死後の行先 31の存在界

宇宙には、私たちが存在するこの世界以外にも、全宇宙にある意識が存在するさまざまな存在領域があると言われています。

これはスッタ(経典)やアビダンマ(解説書)に基づいて、推測されたブッダ の宇宙論で、インド哲学の宇宙論であり、ヒンドゥー教やバラモン教、原始仏教も同じ概念に基づいています。

垂直に配置される31の存在界

宇宙空間は、私たちが今、存在している(と認識している)人間界を含めて「31の平面的な存在界」が、層状に垂直に積み重なって存在しています。

31の存在界は、それぞれ異なるタイプの精神に対応する3種類の界(ti-loka)に分けられます。下層から11の欲界16のルーパ・ブラフマー界4つのアルーパ・ブラフマー界の3種類の界が垂直に配置されて、宇宙空間を構成しています。

それぞれの存在界は場所ではなく、それらを構成する存在の集まりです。それぞれが、似通った精神状態や存在の状態が集まった世界です。存在の行為によってその集まりが維持されているので、もしその世界の存在がすべて死んだり消えたりすると、その世界も消滅します。同様に、世界は最初の存在がそこに生まれたときにはじまります。

例えば人間と動物は、物理的な環境を部分的に共有していますが、その環境に対する心の捉え方や反応が異なるため、別の世界に属しているのです。

31の存在界は、私たちの外側にある空間ではなく、私たちの内側にある振動(波動)の違いです。ブッダも「すべての存在界は、私たちの外にあるのではなく、心の中にある」と言っています。

11の欲界 kāma loka

欲界は、感覚のある世界です。感覚があるということは、欲があるということなので欲界(よっかい)といいます。物体・物質・空間があります。

6つの天界人間界4つの下界の11領域で構成されています。

6つの天界 deva loka

欲界の最上層で、神々や天上人がいる存在界です。苦しみが少なく快楽の世界で、下層世界の争いと接触から解放されています。

天人は、空を飛ぶなど超常的能力を持ちますが、あくまで生きとし生けるものの1つです。また、天人は悟りを開いてはいないので、煩悩から解放されていません。だから欲があります

キリスト教の天国のように永遠にいられる世界ではないので、天人も時期が来れば死に、また輪廻してどこかの存在界に生まれ変わります。作家の故・遠藤周作氏はここで楽しくやっているらしいという俗説もあります。

6天界は次の6つです。

  1. Paranimmita-vasavatti
  2. Nimmānarati
  3. Tusita
  4. Yāma(ヤーマ神)
  5. Tāvatiṃsa
  6. Cātummahārājika(四天王)

欲界の神々であるデーヴァは、人間よりも長生きで、一般的には人間界よりも幸福な状態で生きている存在です。私たちが思い描く万物の神といった存在ではなく、人間界にほとんど関心がなく、交流することもほとんどありません。天界の最下層の神々だけが、多くの多神教に登場する神々に対応しています。

人間界 manussa loka

私たちが現在、存在している世界です。身体は「土(重さ)・風(動き)・水(まとまり)・火(熱)」の四元素で構成されています。6つの感覚器官(目・耳・鼻・口・身体・心)を通して、身体の内外から得る刺激で感覚が生じる世界です。快楽や苦悩といった喜怒哀楽があります。

4つの下界

下界には次の4種類があります。

阿修羅界 asura loka

常に他よりも優れていることを望み、他を軽視する人が集まる分離の存在界です。怒り、プライド、嫉妬、不誠実、虚偽、自慢、好奇心といった反発・対立のエネルギーが強い領域です。存在領域は人間と同じです。

動物界 tiracchāna loka

人間以外の動物・鳥・獣・虫・魚などの生き物の存在界になります。地上、地中、空中、海中、さまざまな空間に存在し、人間界と物理的空間を共有しています。

ブッダも過去世では、象や鹿だったことがあります。鹿だった時には、猟師が鹿をおびき寄せようと投げた木の実を見て、「自然の法則では、木の実は上から下に落ちるのにおかしい」と察知して難を逃れています。

界(餓鬼界)peta loka

常に飢えて満足できず苦しむ存在界です。貪欲・偽り・堕落・強迫・欺瞞・嫉妬といった、特定の物質や物体に対する強い執着のエネルギーが集まった領域です。

ヒンドゥー教では、身体を構成する四元素(土・風・水・火)のうち、風(精神)とエーテル体(霊体)だけが結びついた存在と考えられています。

餓鬼と人間界は、同じ物理的空間に存在しますが、同じ川を見ても、人間は澄んだ水に見えますが、餓鬼には嫌悪物質が流れて見えるそうです。そのようなビジョン界です。行動範囲は人間と同じで、自由に動き回ることができます。

奈落界(地獄界)niraya loka

暴力・危害・殺傷・攻撃といった強い破壊エネルギーが集積された存在界です。光はなく恐怖と苦痛だけの世界です。

氷に閉ざされた極寒の領域と、恐怖・凄惨・攻撃しかない炎の領域があり、行動範囲が限定されます。

キリスト教の地獄のように、神の裁きや罰として送られる先ではありません。自分が蓄積した悪行の結果を全て受け取る世界です。そして全ての結果を受け取ると、また輪廻転生します。その場合は、上位の存在界(霊界以上)に生まれ変わることになります。転生後に修行して悟ることも可能です。

16のルーパ・ブラフマー界 rūpa-brahma loka

形のある世界です。物質と空間はありますが、感覚はありませんわずかな物質的な要素(rūpa)が残っているエネルギー体の存在界です。欲界の天界よりも上層の存在領域で、仏教用語では色界と呼びます。

欲が完全にないので、見たり聞いたりして、心が外のエネルギー体から刺激を得る必要がない世界ですが、まだ物質・形にとらわれています。場所とある種の身体を持っていますが、その存在体は、欲界の存在には見えない微妙な物質で構成され、性的な区別がありません。

ブッダの経典には様々な神が登場しますが、欲界の天界に存在する神々と、ルーパ・ブラフマー界の神々(仏教用語では菩薩)は異なります。ルーパ・ブラフマー界の神々(菩薩)は、精神的な存在です。世の中にダンマを伝えるようにブッダ に懇願したのは、このブラフマー界の存在であるブラーマー・サハンパティです(Ayacana Sutta)。

瞑想によって第3段階の修行を完成したアナーガーミになると、欲望が一切なくなるので、欲界を離れることができます。また、深い瞑想によってジャーナの状態になると、心が全ての感覚から完全に離れた状態になり、この領域を体験することができるそうです。ただし、行きたいと思った時点で欲望があるので、行きたいと思って行けるところではありません。

4つのアルーパ・ブラフマー界 arūpa-brahma loka

形のない世界です。物質的な要素はなく(arūpa)、ただ心(意識)だけがある存在界です。物質も感覚も空間もないので、物理的には存在しない界ですが、心のエネルギーのみが存在する精神世界です。まだ迷いがある世界で、仏教用語では無色界と呼びます。

輪廻転生によって再生が行われる3つの界のうち、最上層に存在します。この領域は、前世でアルーパ・ジャーナの4段階に到達した存在たちの集まりで、その達成の果報(vipāka)を享受する世界です。存在領域は、到達したジャーナの段階によって決まり、以下の4つのレベルがあります。

1.Nevasaññānāsaññāyatana 意識も無意識もない無限界

この存在界への生まれ変わりは、前世で第4段階のアルーパ・ジャーナを達成した結果です。この存在は、知覚(saṃjñā)を行わず、完全に意識も無意識もない限界状態に達しています。

2. Ākiṃcanyāyatana 無限の無の存在界

この存在界への生まれ変わりは、前世で第3段階のアルーパ・ジャーナを達成した結果です。この存在は、形のない存在が「何もない」という考えに思いを馳せている状態で、知覚の一形態とみなされます。この領域は、ブッダ の最初の師が到達した領域であり、師はこの領域を悟りと同等のものと考えていました。ブッダはそれが間違いであることに気づき、6年後に輪廻から離脱する涅槃の領域に至りました。

3. Viññāṇānañcāyatana 無限の思考の存在界

この存在界への生まれ変わりは、前世で第2段階のアルーパ・ジャーナを達成した結果です。この領域では存在が、無限に広がっている自分の意識を瞑想しながら暮らしています。

 4. Ākāsānañcāyatana 無限の空間の存在界

この存在界への生まれ変わりは、前世で第1段階のアルーパ・ジャーナを達成した結果です。この領域では存在が、空間や延長(ākāśa)が無限に広がっていることを瞑想しています。

これら4つが存在界の最上位である精神世界ですが、完全な悟りを得たわけではなく涅槃に至っていません。いずれにせよ、物理的な形や感覚、空間がないので、ダンマの教えを聞くことはできません。アラハンになってしまえば、無縁の領域です。

まとめ

以上が「31の存在界」になります。

これはスッタ(経典)やアビダンマ(解説書)に基づいて、推測されたブッダ の宇宙論によるものです。経典に、宇宙の構造全体について書かれているわけではありませんが、さまざまな経典にある宇宙論的なコメントを分析し、すり合わせた結果として生まれた宇宙論で、矛盾点が極めて少ないと言われています。

あくまで輪廻転生を基本とする概念ですので、天界にしても地獄界にしても、行ったらずっといられるわけではありません。それぞれの滞在期間はさまざまですが、時期が来ればまた輪廻転生します。涅槃に到達した人であるアラハン以外は、輪廻転生しますので「次の存在界」に流転することになります。

ブラフマーは、インド哲学においては、宇宙の源であるブラフマン(神聖な知性。全ての存在に浸透している)」を神格化した「現われ」と考えられています。仏教用語では梵天としています。ハイヤーマインド的なものではないかと想像しますが、わかりません。

おことわり

なお、これらの存在界については、何の根拠も信憑性もありません

英語圏の文献を基に、解釈された宇宙論であり、おそらくブッダの見解であろうという概念のひとつでしかありません。まったくのデタラメかもしれませんし、もしかしたら事実かもしれません。鵜呑みにはせず、世界観を広げるつもりでお楽しみください。そして、ご自身の生においてご確認いただけたらと思います。

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以上です。