ヴィパッサナー瞑想

ヴィパッサナー瞑想は、「洞察の瞑想」としても知られています。ヴィパッサナー瞑想は心の反応を観察する手段です。この瞑想法では、心を内側、外側から観察し、自分の考えや感情を判断せず、ありのままに自己観察を行います。

心の反応を観察する

私たちの悩みはすべて、心の反応からはじまっています。

誰かから嫌なことを言われた時に、イラッとするのは怒りの反応です。仕事がうまくいかなくて落ち込むのは、憂鬱の反応、過去の失敗を思い出して後悔する反応、将来を心配する不安の反応、欲しいものが手に入らない不満の反応、好きな人に会いたいのに会えない欲望の反応、などなど。

私たちは意識・無意識に関わらず、常にこの心の反応に振り回されて生きています。ヴィパッサナー瞑想は、その感覚的な印象に対する自動的な反応から心を引き離し、「完璧に心を動かさない平静と気づきの状態(upekkhā-sati-parisuddhi)」に保つ訓練です。

気づきを養う瞑想

私たちは、それまでの経験を基に自分の感情や固定観念で、外からの刺激に対して瞬時に判断を下し、反応しています。例えば、耳に音が入った瞬間に「あいつがまた嫌味を言った」「お、いい音楽がかかったぞ」と判断し、ゲンナリ嫌な気分になったり、ノリノリになったりします。つまり「聞くこと」で、kilesa(キレーサ:穢れ 欲・怒り・無知など、正しい心の働きを阻害するもの)が、自動的に生じているのです。

感覚の対象(この場合は音)によって、心が習慣で自動的に反応しているのです。見るもの・音・匂い・味・触覚・妄想や思考という6つの感覚器官から入る情報に、私たちの心は振り回されています。そしてそれによって自分の心を、苦しみでいっぱいに満たしているのです。この間違った道を正しい道に進路変更するのが、気づき(sati)でありヴィパッサナー瞑想です。正しく気づくことによって、欲や怒りを止め、最終的には苦しみが生じない状態にもっていきます。

ヴィパッサナー瞑想のやり方

ヴィパッサナー瞑想は、坐って行う形もあれば、歩きながら、食べながら行う形もあります。いわゆる瞑想らしく坐って行うだけでなく、すべての日常生活の中で行うことができる瞑想法です。いずれにせよ、身体の感覚を観察して心の反応に気づく練習です。

坐って行う場合は、頭のてっぺんから足の先まで、身体の表面に意識を移動させ、体の各部位を順番に観察し、出会うすべての感覚を感じ取ります。この時、感覚を評価せずに客観的に観察することが重要です。好き・嫌いに関わらず、出会うすべての感覚をありのままに受け止めて、心を常に平静を保つように訓練します。

ところが心は厄介なもので、感覚を観察しているつもりが、過去へ未来へと迷走します。一時も現在にいたがりません。一つの思考が別の思考につながり、それがまた別の思考につながり、そしてまた別の思考につながる、という具合いにとめどなく連鎖していきます。ふと気づくと、15分間ずっと妄想や心配事にとらわれていた、といった感じです。

でも、それでいいのです。心が妄想していたことに気づく練習が、ヴィパッサナー瞑想なのです。気づいたその瞬間に妄想が消滅するからです。

静かな心で身体に起きる感覚を観察し、心が反応しないようにしていると、心は衝動のエネルギーを欲しがります。そして勢いのあるエネルギーを生成しようと、潜在意識下にある過去の蓄えである古い感覚を、心に浮かび上がらせてきます。過去の嫌だったこと(古傷)、嬉しかったこと(思い出)をエサにして、私たちに再び反応させようとする心の作戦です。

心に古い感覚が浮かんだら、それに反応することなく、ただ気づいています。そうすれば、その過去の蓄えも消えていきます。そうやって、心と身体の感覚に反応せずに静かに気づいていると、古くからの蓄えの感覚が次々に浮かび上がり、次々と消滅していきます。これがヴィパッサナー瞑想による心の浄化の過程です。

日常生活の中での実践

仕事をしている時も、食事をしている時も、寝ている時でさえも、常に自分の感覚と心の反応に気づいていることがヴィパッサナー瞑想です。

例えば職場で、目の前の重要な仕事に全力で取り組みながらも、自分の意識や平常心が保たれているかどうかを確認します。何か問題が起きたときには、数秒でも自分の呼吸や感覚に意識を向けます。そうすることで、様々な状況下でもバランスを保つことができるようになります。

瞑想で智慧を得る

本当の智慧とは、すべての経験・現象が常に変化し続けるものであることを認識し、受け入れることです。智慧は感覚を知ることで育ちます。

この洞察力があれば、心が浮き沈みに左右されることはありません。そして心のバランスを保つことができれば、自分も他人も幸せになるような行動を選択することができるようになります。

楽しい時もあれば、つらい時もある。勝利することも、敗北することもある。利益を得ることも、損をすることもある。名声を得ることも、悪評を得ることもある。常にずっと同じ状態に留まることはあり得ないのです。常に変化していくのです。

どんな状況であっても、平静な心で一瞬一瞬を幸せに生きることで、すべての苦しみからの解放に向かって確実に前進することができるのです。

 

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