三宝に帰依

ヴィパッサナー瞑想コースに参加すると、初日の夜に「シーラを守ること」と「三宝に帰依」を誓願します。ちょっと儀式っぽいので、最初は戸惑うかもしれませんが、これはコース参加中の10日間は「出家するので守ります」という宣言です。

シーラ(道徳律)を守ります

まずは五戒を守ります。これは人が幸せにトラブルなく生きるための道徳ですが、出家中は、3番と5番が禁止になります。

1. 生き物を殺さない
2. 与えられていないものを取らない
3. 一切の性行為を行わない
4. 嘘をつかない
5. 酒・麻薬の類を摂らない

さらにこの五戒に加えて、次の3つをプラスして、八戒を出家中は守ります。

6. 正午以降は食事をしない(翌朝まで)
7. 踊りや歌、音楽などの娯楽や装身具や化粧、香水で身や周囲を飾ったりしない
8. 高い寝台や贅沢な寝具を使わない(床に敷物を敷いて寝る)

心の拠り所

続いて「三宝に帰依」します。

三宝とは、ブッダ(悟りを得た覚者)、ダンマ(ブッダの教え・法・真理)、サンガ(僧の集団・ダンマを実践する修行者の集まり)の3つの宝のことです。帰依とは「拠り所とすること」です。

人は何かに頼りたい生き物です。心の不安や恐怖感などをまぎらわせてくれるならば、頼るもの、信じる対象は、なんでもいいから頼りたいと思うのです。

だから、神や仏、精霊、聖地、先祖などを信じたり、お守りや占い、迷信などに頼って生きる人々もいます。現実的な人々は、お金や権力、地位、知識などに頼って安心感を得ます。あるいは子育てや家族を養うといった使命感や、会社や組織に頼ることも心の不安を取り除きます。

頼る対象が宗教的であっても何であっても、何かに頼ったり依存したところで、心の不安や恐怖感が根本からなくなるわけではありません。それが心の本来の性質だからです。心の不安や恐怖感は、自分自身で意識的に消さない限り、消えないのが当たり前なのです。人が何かに頼らずに生きることはとても難しいのです。

だから、三宝に帰依することで、一時的にでもその不安や恐怖感を落ち着けるのです。

三宝に帰依

心の不安や恐怖感を完全に克服したブッダ、その方法論であるダンマ、そして一緒に克服しようと頑張っている修行仲間、この3つを拠り所として、自分も頑張ってみようというのが「三宝に帰依する」ということです。

この誓いを立てるということは、その間は他の拠り所はとりあえず脇に避けるという意味でもあります。せめてヴィパッサナー瞑想コースに参加中は、「他は全部忘れます!」ということで、出家宣言のようなものです。

ダンマに帰依」については、一口にヴィパッサナー瞑想といっても、世界にはたくさんのやり方やルールがあります。しかし、今ここで参加するコースの方法にコース中は従います、ということになります。

そして「サンガに帰依」は、「このコースに集まった、今この瞑想ホールにいる仲間との縁を拠り処として、このコースを一緒に頑張ります」というのが、ヴィパッサナーコース参加中の「サンガに帰依」だと思います。

実践によって心の不安や恐怖感が消えたら、一時的に拠り所とした三宝に帰依確信に変わり、頼ったり、信じて依存する必要が、最終的にはなくなるのです。

パーリ語で唱える

そんなわけで、コース中にパーリ語で唱える「三宝に帰依」や「五戒」を、いままでは全く意味不明で適当に唱えてましたが、こうして理解してみると簡単に暗唱できるようになります。

以下に原文をのせておきます。

三宝に帰依

Buddhaṃ saraṇaṃ gacchāmi
ブッダン・サラナン・ガッチャーミ

私はブッダに帰依します。

Dhammaṃ saraṇaṃ gacchāmi
ダンマン・サラナン・ガッチャーミ


私はダンマに帰依します。

Saṅghaṃ saraṇaṃ gacchāmi
サンガン・サラナン・ガッチャーミ


私はサンガに帰依します。

2回目は頭に、Dutiyam-pi(ドゥティヤンピ)、3回目は頭に、Tatiyam-pi(タティヤンピ)をつけて、復唱します。

なぜ3回唱えるのか?

3回唱えるのがポイントです。メッター・バーヴァナーもそうですが、基本は3回です。なぜ3回なのかというと、1回目は自分自身のため、2回目は他者との相互関係のため、3回目は自然との相互関係のため、だそうです。

五戒

Pāṇātipātā veramaṇī sikkhāpadaṃ samādiyāmi.
パーナーティパーター・ヴェーラマニー・シッカーパダム・サマーディヤーミ

1. 私は生き物を殺さないという戒を守ります。

解説
pāṇa(呼吸)+ atipātā(倒すことから)veramaṇī (離れる)」呼吸するものを故意に倒さないという戒めです。殺すことはもちろん傷つけたりしないということです。

小さな生き物の命にどれだけ配慮できるかは、意識してみるとなかなか勉強になります。かと言って、地面の微生物を殺さないように、一歩も動けなくなる必要はありません。

極端に神経質になるのではなく、まずは足元で懸命に生きるアリの存在に気づいて、自分が歩く時に踏まないように気をつける。壁を這う蜘蛛に「ひっ!」と思っても、サササーっと現れるゴキブリに「ギャー!」と思っても、修行です。なるべく驚かない、嫌悪しない、当然、駆除しない。他の生き物と共存することを学ぶチャンスです。

ある女性は、ゴキブリを素手で捕まえられるようになったそうです。怖いものや嫌悪するものが減ると、生きる上で楽になりますね。ゴキブリ一匹が現れただけでも、私たちの心が変わり、世界は一変するのです。

Adinnādānā veramaṇī sikkhāpadaṃ samādiyāmi.
アディンナーダーナー・ヴェーラマニー・シッカーパダム・サマーディヤーミ

2. 私は与えられないものを取らないという戒を守ります。

解説
一般的には「盗みをしない」という戒めですが、正確には「a-dinna(与えられていない)+ādānā(取ることから)veramaṇī(離れる)」という戒めです。

盗みなんて、私は絶対しない」と思う人でも「自分に与えられていないものを取る」行為は意外にしているものです。自分の順番じゃないのに、先に取る。シャワー室に足拭きマットがなかったから、勝手に備品を使う。お腹が減ったから、おかずをたくさんキープする。他者よりも自分の欲求をまず優先させようとする時には、大概が当てはまります。

Kāmesumicchācāra veramaṇī sikkhāpadaṃ samādiyāmi.
カーメースミッチャーチャーラー・ヴェーラマニー・シッカーパダム・サマーディヤーミ

3. 私は邪淫を犯さないという戒を守ります。

解説
普段は「不倫などの間違って性行為をしない」が戒めですが、出家中は一切の性行為禁止です。自慰行為も禁止です。性行為は6つの感覚器官を激しく刺激する行為です。そんなことをしていては、微細な感覚を観察できません。

Musāvādā veramaṇī sikkhāpadaṃ samādiyāmi.
ムサーヴァーダー・ヴェーラマニー・シッカーパダム・サマーディヤーミ

4. 私は偽りを言わないという戒を守ります。

解説
ブッダは弟子たちに、「余計なことを言うくらいなら、黙っていなさい」と常に指導していました。瞑想コース中では「Noble Silence(聖なる沈黙)」を守らなければならないので、嘘を言う機会は必然的になくなります。

Surāmerayamajjapamādaṭṭhānā veramaṇī sikkhāpadaṃ samādiyāmi.
スラーメーラヤ・マッジャーパマーダッターナー・ヴェーラマニー・シッカーパダム・サマーディヤーミ

5. 私は酔いを生じる穀酒、果実酒などの酒類を飲まないという戒を守ります。

解説
わずかであっても酔っていては、心を観察することができません。酒類と同様にタバコや薬も禁止です。

+三戒(八戒)

Vikālabhojanā veramaṇī-sikkhāpadaṃ samādiyāmi.
ヴィカーラボージャナー・ヴェーラマニー・シッカーパダム・サマーディヤーミ

6. 私は午後に食事をとらないという戒を守ります。

解説
出家中の食事は、生きるため、瞑想するために最低限必要なもので十分です。修行者にとって食事は、楽しみや満足感を得るものではありません。自分が生きるためにどのくらいの食べ物が必要なのかを知るきっかけになります。また、午後に食事をしないと時間の余裕がたくさんできるのです。

Nacca-gīta-vādita-visūkadassanā 
ナッチャ・ギータ・ヴァーディタ・ヴィスーカダッサナー
mālā-gandha-vilepana-dhāraṇa-maṇḍana-vibhūsanaṭṭhānā 
マーラ・ガンダ・ヴィレーパナ・ダーラナ・マンダナ・ヴィブーサナッターナー
veramaṇī-sikkhāpadaṃ samādiyāmi.
ヴェーラマニー シッカーパダム サマーディヤーミ

7. 私は踊り・歌・音楽・観劇、アクセサリー・香料・化粧・衣装・装飾・部屋を飾り付けしないという戒を守ります。

解説
修行するためには、五感を楽しませている場合ではありません。目・耳・鼻から入る刺激を極力排除します。また口腔を振動させて歌ったり(音の波動を周囲に振りまく)、身体で表現したりしてもいけません。静かに自分の心を見つめるのが出家修行です。

Uccāsayana-mahāsayanā 
ウッチャーサヤナ・マハーサヤナー
veramaṇī-sikkhāpadaṃ samādiyāmi.
ヴェーラマニー・シッカーパダム・サマーディヤーミ

8. 私は寝台に寝たり・立派な寝具を使わないという戒を守ります。

解説
Uccā(上に)sayana(寝る・寝具)-mahā(立派な)sayana(寝る・寝具)。床から離れたベッドを使ったり、贅沢な寝具を使わずに、床に粗末な敷物を敷いて寝るということです。

まとめ

瞑想コースに参加された方であれば、きっと聞き覚えがあるはずです。こうして意味を理解すると、呪文のようだった言葉も、音として心に響いてくるのではないでしょうか。

このパーリ語の誓願は、ブッダの時代のまま現在に伝わるそのままです。地球共通の音です。ブッダは弟子たちに教えを書き残すことを許さず、音で覚えるように言い聞かせていました。2500年の歳月の中で、そのブッダ の教えはさまざまな言語で書き残されていますが、それでも今でも、膨大な量のティピタカの全文を音で覚えて、すべてを暗唱できる僧侶もいるそうです。

この三宝に帰依とシーラを守る誓願くらいは、音でしっかり覚えてもいいかもしれませんね。

以上です。