サティパッターナ・スッタ・コース Day4+Day5

Day4 ヴィパッサナー瞑想
上から下、下から上

昨日の午後から始まったヴィパッサナー瞑想。昨日は「上から下」でしたが、今日は「上から下、下から上へと一息で感じとれ」というご指示。「なるべく多くの部分を、払うように流していくように。それからまた、取り残した所がないか個別にじっくり観察しなさい」

前回の京都ダンマバーヌでのコース中に、グルグル回る現象があったのですが、あれは私の観察の仕方に原因があったようです。というのは、腕や足を観察する時に、5センチ幅の包帯をクルクル巻くように観察していたのです。それを毎日10時間もやれば、クルクル回る癖がつくのかもしれないと、この一年の間に気づき、今回はそのやり方を変えてみました。

なるべく多くをいっぺんに観察するように言われたこともあり、腕や脚は柔らかいゴムの輪を伸び縮みさせてと通すイメージで、上から下、下から上へと観察することにしました。

音に敏感に

夕方のグループ瞑想中、急に瞑想ホール内で低周波の音が耳障りに「ブーーーン」と聞こえ始めました。たぶんどこかでなにかの電化製品のスイッチが入ったのでしょう。音に敏感になっています。

私の場合は、集中できてくると音や臭いにとても過敏になるようです。「鬼滅の刃」でも嗅覚や聴覚が鋭くなりますが、アニメの中の作り話ではなく、誰でも集中すると本当に超人的にそうなるように思います。超能力といってもいいのかもしれませんが、ガッツリ集中すれば、ただの私でもできる自然な能力なのだと思います。

今回の私はどうやら聴覚が鋭くなったようで、夕方突然、若い女子の楽しげな会話が、笑い声と共にサッと流れてくるのが聞こえました。

単なる音なのですが、
「幻聴かもしれないが、どこか近所(2、3km離れた場所)で女子高生が実際に話している声が、風に乗って流れてきたのを、鋭くなった私の聴覚がキャッチしているんじゃないか」と考えてしまうわけです。これが妄想で、ヴィパッサナー的にはNGなのです。

どんな音が聞こえても、分析せずに「はい、そうですか」で終了する。反応しない。その瞬間に妄想は消えるのです。この事実に何度も何度も徹底的に気づきなさい、というのがサティパッターナの教えの1つです。

夜の講話 4日目

1. カーヤーヌパッサナー(身体の観察)の解説続き

D. 厭わしさについての熟考の部

「いとわしさ」読めませんでした。不愉快で煩わしいという意味だそうですが、こんな感じで難解な日本語が続きます。この部の内容は「身体が臓器や大小便や血や脂などの不浄物であることをあげて、身体が単なる肉体にすぎないこと」を説明しています。

E. 物質的要素についての熟考の部

身体の主要元素「地・水・火・風」をあげて、身体が単なる身体にすぎないことを説明しています。

F. 死体置き場における9つの観察の部

身体が腐敗・白骨化していく様子を9段階に観察して、身体が肉体にすぎないことを説明しています。

D、E、Fは、ヴィパッサナー瞑想者は読み飛ばしてよいとのことでした。前夜のA、B、Cでは理解できない人向けに、この3種類のハードな説明があるそうです。

就寝後の観察

21時。ベッドに横になると、「室外機の音がものすごくうるさく聞こえて気になる」。
はい、ここで思考を止めれば、音を単に音として捉えてヴィパッサナー的にOKですが…。
「昨夜だって、エアコンは付けっぱなしだったのにうるさいなんて感じなかった。やっぱり今日は聴覚が敏感になっているんだなー」、と思いつつ(←妄想。NG)、「単なる音でしかない室外機の音に、心を奪われている私」を観察しながら眠りにつきました(一応OK?)。

Day5 ヴィパッサナー瞑想
Free Flow 自由な流れを感じる

今日は、全身を上から下、下から上へと、自由な流れ「フリー・フロー」を感じとるようにという指示です。

夕方から背骨の位置が定まってきました。これがくると瞑想が深くなるのです。卵の殻の中に身体全体が包まれて、その中にいる感じに。外の音が、ちょっとこもった感じになります。そして坐る坐骨のあたりが時々クラッと揺らぐ感覚があります。この状態になると意識して抜け出ない限り、外の出来事には心が反応しなくなります。いつもはDay8辺りでそうなりますが、今回はちょっと早い感じです。

卵の殻に沿って大きなゴムの輪を上から下に滑らせると、一気にすべてを感じることができます。ゴムの輪作戦はなかなかいい感じです。

夜の講話 5日目

2. ヴェーダナーヌパッサナー(感覚の観察)の解説

感覚には、「快い感覚」「不快な感覚」「どちらでもない感覚」の3種類ある。

快は欲望となり、不快は嫌悪となる。その反応が習慣となり、執着となる。vedanāはさまざまな場面で重複して現れる。心に思考が浮かぶ時には、必ず身体に感覚と感情がある。vedanāを追うことで、身体・心・心の中身を同時に観察できる。

3.チッターヌパッサナー(心の観察)の観察

心を心において観察する。心に渇望があるときには、渇望があることに気づく。嫌悪があるときには、嫌悪があると。思い違いがあるときには、思い違いがあると。落ち着いているときには、落ち着いていると。散漫なときには、散漫だと。自分の心の状態に常に気づいていなさい。

4.ダンマーヌパッサナー(心の中身の観察)の解説

ダンマとは:精神の中身とその特質、自然の普遍的な法。ブッダの時代から変わることはない。

A.障害 ニーヴァラナ

欲望、嫌悪、眠気(怠惰・無気力)、苛立ち(動揺と後悔)、疑い(懐疑)が、自分の内にあるときはあると知り、ないときはないと知り、それがどのように生じるのか、どのように滅されるのか、滅されたものはもはや生じないことを知る。

払い除ける(嫌悪)のではなく、ただただ観察し受け入れる(反応しない)ことで、嫌悪も渇望が堆積しない。

みなさんは最終ゴールへと一歩一歩向かっています。「遠いな」と、ガッカリしないように。(←「遠すぎる…」と、ガッカリしました)

就寝後の観察

21時。
自室に戻って寝る。ベッドに横になった途端に今までにない感覚を感じました。
背中全体に、ジーンと痺れているような感覚があるのです。寒くて感覚がなくなった時に、お湯に手をつけるとジーンとなるような、あんな感じでしょうか?
今まで感じたことのないハッキリとした感覚だったので、観察したまま眠りにつきます。

Day6へ続く