私たちはみんな生きています。「生きる」とはなんでしょう? 呼吸すること? 動くこと?
生きるとは?
「生きる」とは、さまざまな行為を継続的に行うことです。私たち人間だけでなく、動物や植物、微生物など、地球上のあらゆる生物がそれぞれの方法で生きています。
人間の場合は、呼吸する、食べる、仕事する、遊ぶ、料理する、掃除する、寝る。会話する、喧嘩する。怒る、喜ぶ、悲しむ、楽しむ、などなど。生きることは、身体的な行為だけでなく、喜怒哀楽といった感情や思考、意思決定など、心の内側でもさまざまな行為が行われています。
生きることは、日々の営みの積み重ねであり、こうした無数の身体の行為・言葉の行為・心の行為が、連続して流れているのが「生きている」状態です。
無意識と意識
これらの私たちの活動には、意識的に行う行為と、無意識で行う生理的な行為があります。
意識的な行為は、自分の意思や意図に基づいて行われる行為であり、読書や洗濯、勉強などの日常的な動作が含まれます。これらの行動は自分の意志によって開始・停止が可能であり、自己の判断や意図に応じてコントロールされます。
一方、無意識の行為は、生体の自律的な機能や本能によって自然に行われる行為で、呼吸や心臓の鼓動、血圧、消化、免疫機能など、生理的な動作です。これらは自分の意思によって開始・停止ができません。これらの行為は、無意識に働く生存本能によって支配されています。
しかし、無意識といっても意識がないわけではありません。意識はあります。気づいていないだけ、認識していないだけです。気づけないほど、弱い意思なのでしょうか?
その逆です。気づけないほど強い意志が働いているのです。
例えば、読書や洗濯、勉強するのを止めるのは簡単です。しかし、呼吸や消化、心臓の鼓動を止めることはできません。止めるのを拒む強い意志が働くからです。つまり私たちは「止めたら死ぬから嫌だ」という明確な強い意志をもって、有無を言わせず、呼吸し、消化し、心臓を動かして、存在を維持してるのです。これが生存欲という、求め続ける強い欲求「taṇhā(タンハー)渇望」です。
私たちがあれこれ考えたり、意識して行うさまざまな行為は、実は弱い意志によるものなのです。だからすぐに諦めたり、流されたり、やめたりするのです。無意識の行為は、そう簡単にはコントロールできません。意識的な行動は認識できて、無意識の行動は認識できないからです。
すべては反応
さて、意識的な行為にせよ、無意識の行為にせよ、これらはすべて反応です。
呼吸は通常、無意識に行われますが、意識的にコントロールすることも可能です。息を吸ったら吐く、吐いたら吸う。息を止めてみます。何分止められますか? すぐに苦しくなって、息をしてしまいますよね? そのままでは苦しいから反射的に生じる反応です。これは感覚による反応です。
呼吸、心拍数、血圧、消化などの生理的な機能は、自律神経によって制御され、体内の要因に応じた無意識の反応によって調整されています。これらの反応は感覚的なニーズに基づくものです。感情によって変化する反応も一部存在しますが、意図的にはできません。それらも含めてすべてが反応です。熱いと感じて手を引っ込める、といった反射的な動作は、意識では反応が遅すぎます。
意識的な行為も、外部の刺激(五感から受ける情報)に対する反応です。意識できる分、感覚と感情が複雑に絡み合った行為となりますが、やはり感覚による反応です。すべての行為が、刺激に対する反応であることに変わりはありません。
永久に眠り続けることができないのと同様に、永久に遊び続けることも、永久に怒り続けることもできません。ある条件では眠り・遊び・怒り、別の条件では眠らない・遊ばない・怒らない。その時その時の「反応」であり、一時的な現象です。
つまり「生きる」ことは「反応し続ける」ことであり、「一時的な現象が、次々に現れては消えて、次々に変化して流れている」だけなのです。その1つ1つの現象を取り上げて、私たちはこだわったり、正しいとか間違っているとか判断しているのですが、実に馬鹿馬鹿しいことです。判断してもすぐに変わってしまうので、無意味な追いかけっこに過ぎないのです。
生きることは相互依存
さて、この「生きる」=さまざまな行為を継続的に行うことは、単体では成立しません。例えば人間は、食物、水、空気などの資源を、他の生物や自然から得て生きています。息を吸うためには、空気が必要です。宇宙に一人投げ出されたら、生きることはできません。太陽の光に植物が反応して酸素を生産し、私たちが酸素を取り込み二酸化炭素を排出するように、さまざまな生物が生態系内で相互に反応し合っています。
生きることは、他の生物や環境との相互作用に依存しているのです。動物や植物、微生物など、地球上のあらゆる生物が同じ条件です。すべてが役割を担い、常に他の存在との接触によって、お互いが影響を受け、生態系が複雑なつながりを持つことで存在が成り立っています。あらゆる生命との相互依存の関係が大前提としてあって、私たちは地球の一部として生きること=存在することができているのです。
つまり「生きる」とは、地球上のあらゆる存在と相互依存しながら、さまざまな行為を継続的に行うことです。