耳で聞くってすごいかも

スズムシの鳴き声が、固定電話を通して聞くことはできない、 って知ってました?

アナログ回線の固定電話は、音声を電流の強弱として電気信号に変換し、銅線(メタルケーブル)に流して伝送します。この音声伝送は、人の声の周波数に合わせて、300〜3,400Hzの音を電気信号に変換して伝えますが、スズムシの声はそれよりも高い4,500Hzだそうです。

現在主流の携帯電話は、VoLTEによる音声通信50〜7,000Hz)なのでスズムシの声も聞こえますが、ガラケー(3G)では固定電話と同じく聞こえないそうです。この高い周波数が、秋の夜長に物悲しくも心地よい音色として聞こえるそうです。

聞くって、そもそも何?

聞く」とは、音の振動耳で感受して知ることです。「」とは、物体が動き、こすれ、また、ぶつかって出る振動です。この振動を伝えるためには、空気などの物質分子が必要で、空気がない(空間内に空気分子がない)真空状態では、音は聞こえません。

音を知覚するためには、基盤となる・対象となる空間内物質分子注力(意識を傾ける)の4つが必要です。

物質中の振動によって伝わります。音源(楽器や声)が振動を起こすと、周囲の空気などの分子が振動を受け取ります。これにより、空気などの分子が伝言ゲームのように次々と振動を伝え合い、音波が形成されます。

分子と分子の間隔が狭いほど、音波は早く伝わり、広いほど遅くなります。分子同士の間隔が広い気体(空気)中よりも、液体や固体の方が、その物質を構成する分子同士の間隔が狭いので早く伝わります。

この音波が、人の耳に届くと、耳の中の鼓膜や耳小骨などの部分が振動し、最終的には脳がこの振動パターンを解釈して、音として認識します。

波には横の波縦の波の2種類がありますが、音は縦の波(高低差の波)です。

音の高低は、1秒間あたり何個波が届いたかによります。波が多く届いた場合は高い音波が少ない場合は低い音として聞こえます。周波数は、この音の高さを表す指標で、1秒間に繰り返される振動の回数で表され、単位はヘルツ(Hz)です。低い周波数の音は低音として、高い周波数の音は高音として知られています。

人間の場合は、20ヘルツ〜20キロヘルツの周波数のものを、耳の鼓膜で感受(鼓膜を振動させる)できます。これより低い周波数の振動(地震)は、耳ではなく身体の触覚で振動として知覚されます。例えば、15Hz程度の低周波をスピーカーから流した場合、耳に音としては聞こえませんが、スピーカーに手を当てると振動を感じることができます。

耳は生まれる前から機能している

新生児は歩くこともできないし、目もまだよく見えませんが、耳だけはほぼ完全な聴力を持って生まれてくるそうです。母親の胎内にいる時点から、すでに聞こえていて反応もしているそうです。

確かに子宮の中では、目・鼻・舌・体は外部の刺激に接触できませんが、耳だけは接触可能ですね! 事故にあって意識不明な人でも、声が聞こえている場合があるそうで、米国のICUでは、意識不明であっても積極的に声を掛けて励ますことが推奨されています。

オンライン会議は見る? 聞く?

昨今すっかり定着したオンライン会議ですが、カメラをオンにして開催するものもあれば、カメラは非表示で音だけの場合もあります。カメラがオンの方が、賑わいがあって楽しい感じはしますが、実のところ、音声だけの方が話に集中できていると思いませんか?

カメラがオンだと、話の内容よりも他者の素振りに集中してしまったり、周りの様子も目に入ります。さらに、自分がどう写っているかも気になって、他者が話している間に自分の映り具合をチェックしていたり…‥。

その点、カメラがオフだと、他者の声に耳を済ませて、ちょっとでも言い澱んだりするのを感知して、「あれ? 何か気にしている?」と気づけたり、「はい」と言っていても「あ、なんか嫌そう」と感じ取ったり、はっきり言って何十倍も集中できていませんか? 自分自身も、他者から見られていることを意識しなくていいので、音に集中しやすくなります。

6つの感覚器官は同時には働かない

人間の感覚器官は同時には作動しません常に1つだけです。同時にこなしているように見えても、瞬間的に行ったり来たりしているだけです。

目に意識が働いている時(注力が目にある)は、耳はおざなりになり、耳に意識が働いている時(注力が耳にある)は、目はおざなりです。だから真剣に聞こうと思うならば、目を閉じて、臭いものは遠ざけて、飴を舐めるのもやめて、身体がリラックスできる環境を整えて、余計なことは考えずに、一点集中で「聞く」ことが大切です。

共鳴

音波には「共鳴」という大きな特徴があります。

共鳴とは、物体の固有振動数と同じ周波数の振動を外部から受けると、静止していた物体が振動し始める現象です。たとえば、ギターを2台向かい合わせて、片方のギターを鳴らすと、ならさなかった方のギターも鳴り出します。マイクのハウリングもそうです。これは誰でも知っている物理現象です。

どういう時に起こるかというと、振動数が等しい外部振動の刺激を受けると、振幅が増大して共鳴します。よく似た波形が共鳴するのです。ラジオのチューナーは、この共鳴現象を利用して特定の周波数のラジオ信号を選び出します。

同様に人の思いも振動です。他者が発した音=言葉(考えや感情)を心地快いと感じた場合(共感)、同じ考えや感情を持つようになる(共鳴)、ということが当てはまります。

共鳴は、適切に利用すれば効果的なエネルギーの伝達や増幅が可能ですが、不適切な場合には構造物の破損や機器の故障を引き起こすこともあります。薄いグラスなら、声の振動だけで割ることも可能です。

突然、窓ガラスや家具がガタガタと揺れはじめる現象も、ポルターガイストではなく、共鳴現象によるものです。20Hzよりも低い超低周波は、音としては聞こえませんが、空気の振動として数キロ先まで伝わり、窓ガラスや壁をすり抜けて、家の中にある物が共鳴してガタガタ振動し始めることがあるのです。

耳では聞き取れなくても、超低周波に身体が共鳴して、何らかの影響を受けることがあっても不思議ではないですよね。

宗教と音

ヴィパッサナー瞑想コース中は、歌うことも禁じられます。喜び楽しみとなる娯楽快楽を避けるためですが、音の波動は精神に大きな影響があるからです。

例えば、マントラなど、ある種の真言には、独特の波動があり、それを繰り返し唱えることで、自分の音声が作り出す波動が、オーラのように身体を包んで、身体を外部から保護することができるそうです。守られていいことじゃないか、と思うかもしれませんが、これは同時に、自分の内部にある汚れが外に出るのも防いでしまうそうです。

日本の宗教で用いる団扇太鼓も同じです。腹の底に響かせてお経を唱える時に、ドーンドーンと打ち鳴らすことで、身体全体が振動して、精神を麻痺させるそうです。除夜の鐘も、波動が身体に響いて、厳かな気分になれるものですが、同じ仕組みです。

共鳴と記憶

ヴィパッサナー瞑想コースで、毎晩聞く講話は、毎回同じ録音テープを流しているだけです。なのに、その時々で自分の心に響く部分が違うのです。「え、そんなこと、言ってた? 初めて聞いた」と思うこともしばしばあります。そして響いた部分は、しっかり記憶されます。この何でもすべてを記憶するのではなく、共鳴したものだけ記憶することが、実は重要なのではないでしょうか?

私たちは子供の頃から、記憶が多い=知識が豊富だと思って生きてきました。書いて記憶することが推奨され、耳ではなく目から入った情報を記憶することが多いと思うのです。つまり、自分には必要のない情報も無理やり記憶してきたと思うのです。

それが悪いことだとは言いませんが、『思考の整理学』で有名な外山滋比古氏 は、「頭を働かせるにはまず忘れること。情報・知識で一杯になった脳を整理し、創造・思考の手助けをするのは忘却で、忘れるから頭の動きが活発になる」と言っています。記憶の能力はコンピューターにはかないませんが、忘却の能力はコンピューターにないと指摘されています。

瞑想コースでの気づき

2023年12月にヴィパッサナー瞑想10日間コースに参加したところ、最終日、Day11の朝の最後の講話だけ、日本語字幕付きのビデオ上映に変更になっていました。

コース中は毎晩、19時過ぎから瞑想ホールで音声テープによる日本語の講話を聞きます。英語で講話を聞く外国人は、ゴエンカ氏の講話ビデオを別室で見ますが、日本人の参加者は、日本語に翻訳された講話を男性が読み上げるテープを聞きます。決して上手なナレーションではありませんが、毎晩、目を閉じて、音声に耳を傾けて、滲み入るように講話を聞いていました。

それが最終日の講話だけ、今回から日本語字幕付きビデオに変わっていたのです。最初はゴエンカ氏の声が聞けていい、と思ったのですが、日本語字幕を読んで理解するのと、耳で講話を聞いて理解することに大きな違いがありました。

最終日の講話は早朝4:30から瞑想を始めて、5:40頃からビデオ上映が始まります。静かな朝の瞑想ホールのスクリーンに映し出される映像。強い光に目が痛いし、字幕を読もうとすると頭がガンガン痛くなり、私には忙しすぎて大変でした。10分ほどで諦めて、目を閉じ、光を浴びないように頭も伏せて、ゴエンカ氏の声の波だけを静かに味わうことにしました。

そして気づいたのです。音で聞く情報文字で読む情報の大きな違いに。音で聞く情報はそのまま音の波として心が感じながら受けとめます。しかし文字は違うのです。色形として受け取ったものを言葉の情報に置き換える作業が必要なのです。1行程多いのです。知ってました? 私は知らなかったのでびっくりしました。こりゃ、忙しくて大変なはずだわ。できることなら、音声講話に戻してほしいです。お願いします。

ブッダの教えも耳で聞け

ブッダは弟子たちに、「教えを書き写してはいけない、耳で聞いて覚えなさい」と厳しく言い聞かせていたそうです。なぜ「聞く」なのか? なぜ「読む」ではいけないのか? ずっと気になりつつ、わからなかったのですが、音で聞くことは、私たちが思っている以上に大切なのかもしれないですね。

考えてみれば瞑想中は、目を閉じて視覚情報を遮断、口も閉じて味覚情報を遮断、身体の接触も避けて触覚情報も遮断、においがしない環境で嗅覚情報も遮断して坐りますが、耳だけはオープンエアですよね。私は耳も外部情報を遮断したくて、耳栓してますが、実は耳鳴り瞑想の合図にしています。

私の場合、自分の耳鳴りに意識の焦点を合わせると、簡単に深い瞑想状態に入れるのです。さらにこの耳鳴りには高い耳鳴り低い耳鳴りの2段階があり、そのチャンネルを切り替えるようにすると、まるで気圧が変わったかのようにくぐもって、音の聞こえ方が変わります。人間の浅知恵で考えれば、脳波の状態とか何とかなのかもしれませんが、これがなんなのかを解明するよりも、瞬時に深い瞑想に入る道具として、私は便利に活用しています。

なんかまとまりないけど、とにかく耳ってすごいかもよ、って気づきでした。

以上です。