「海水の渦」といえば、うず潮。鳴門海峡のうず潮が思い浮かびます。海水が激しく渦を巻くうず潮は、誰にもコントロールできないものです。
うず潮はもちろんのこと、私は自分の中で渦巻く感情をコントロールできません。
ちょっとしたことですぐにワッ!と大袈裟に感情を爆発させてしまいます。でもって、ドーンと落ち込みます。そして長々と感情がグルグル渦を巻いてしまいます。
が、しかし、本来感情は、すべてが自然に意識に現れて消えていくもの。うず潮と同じです。コントロールできないし、する必要なんかないのです。
例えば「怒り」が現れたとしても、思考がそれを自分に属するものとみなすまでは、その感情は身体の中の単なるエネルギーでしかないのです。
なぜ思考が自分と感情を結びつけるのか?
感情を自分のものだとみなすことによって、「私」という自己が強化されるから。
思考、すなわち過去に蓄えた言葉と映像を重視することで、「私」という感覚を自己の中心に保つことができるからです。
望ましかった感情を繰り返し再生したり、望ましくない感情を排除・分析・操作することは、「いま起きていることではないことが起きて欲しい」という現実を否定する思考です。そうやって、いまに常に抵抗することで「私」が過去から続く時間の中を生きる実質的なものに感じられるからです。
感情は流動的エネルギーに過ぎない
感情を自分に関わるものと思っている時には、どのように感じているか、どうしてこのように感じるのか解明しようとしますが、感情は、思考と連結して自然発生する純粋なエネルギーです。悪いも良いもない。「不安」や「怖れ」といったラベルを貼って分析したり、操作したりする必要はないのです。
感情自体が苦痛をもたらすのではなく、思考が結びつけたラベルや物語が苦痛を与えているのです。感情は体験の中を自由に流れていくエネルギーなので、ただ湧き上がった感情を流動的なエネルギーとして感じていればいいのです。共にある思考も含めて。
ワッ!と大袈裟に爆発した感情も、その後、ドーンと落ち込んだ感情も、コントロールする必要はなく、その流動的なエネルギーをただ「おお〜、エナジー」と感じていればいいということです。うず潮観光する感じですかね。
以上です。