Loka-vaggo 世界の章
ダンマパダ13章は、loka「世界」がテーマです。
世界にもいろいろありますが、ここでは地球上の世界、世間や世の中、世俗のことだけでなく、現世や来世、天上界など、あらゆる生命が存在する世界について語られています。
DhP.167
Hīnaṃ dhammaṃ na seveyya, 劣った ダンマを ない 親しむように pamādena na saṃvase; 怠惰と ない 共に・生きるように Micchādiṭṭhiṃ na seveyya, 邪見に ない 親しむように na siyā lokavaḍḍhano. ない ように 世界・増大は
間違った常識に従わないこと
怠けないで生きること
間違った考えに従わないこと
世の中の流れに乗らないこと。
解説
ダンマの教えは、世俗の常識とは異なります。世間では会社も学校も社会全体が、もっともっと豊かに、もっともっと増えて、もっともっと改善されることが善とされていますが、これは「足るを知らない」欲望の底無し沼だと言えるでしょう。
DhP.168
Uttiṭṭhe nappamajjeyya, 奮起せよ 不・怠惰なように dhammaṃ sucaritaṃ care; ダンマを 善行を 行うように Dhammacārī sukhaṃ seti, ダンマを行う人は 楽に 臥す asmiṃ loke paramhi ca. この 世 あの また
頑張れ!
真理に沿った
善いことをしなさい
怠けてはいけない
真理を実践する人は
現世でも来世でも
幸せに暮らせる。
エピソード
涅槃に到達した後、ブッダになったゴータマ・シッダッタは故郷に戻り、国王である父親たちにダンマの教えを説きました。翌日、父王は当然ブッダが宮殿に食事に来るものと思い、2万人分の御馳走を用意して待っていました。ところがブッダは、他の僧侶たちと一緒に、いつも通り托鉢に出掛けました。
それを知った父王は、驚いてブッダのもとに駆けつけ「王族が物乞いをして回るのは恥ずかしいことだ」と言いました。するとブッダは「家々を回って托鉢をするのは、全てのブッダの日課であり、自分がその伝統を守るのは正しいことである」と答えました。
解説
人は放っておくと、楽な方へ楽な方へと流されます。気合を入れて、頑張らないと、すぐに間違った横道に逸れてしまうのです。
DhP.169
Dhammaṃ care sucaritaṃ, ダンマに 行うように 善行を na naṃ duccaritaṃ care; ない その 悪行 行う Dhammacārī sukhaṃ seti, ダンマを行う人は 楽に 臥す asmiṃ loke paramhi ca. この 世 あの また
悪いことはしないで
真理に沿った
善いことをしなさい
真理を実践する人は
現世でも来世でも
幸せに暮らせる。
解説
私たちは、欲・怒り・無知といった感情で行動することが癖になっています。
DhP.170
Yathā pubbuḷakaṃ passe, ように 泡を 見る yathā passe marīcikaṃ; ように 見る 蜃気楼を Evaṃ lokaṃ avekkhantaṃ, このように 世界を 下に・見る maccurājā na passati. 死神 ない 見る
泡や蜃気楼を見るように
この世界を見るならば
死神には見つからない。
解説
世界のあらゆる事象が「泡のように無常であり、蜃気楼のように実体がない」と見ることができたら、それは悟りの境地に至ったことなので、輪廻転生のサイクルから脱して死んで生まれ変わることない、ということです。
DhP.171
Etha passathimaṃ lokaṃ, さあ 見なさい 世界を cittaṃ rājarathūpamaṃ; 飾られた 王の・車のような Yattha bālā visīdanti, そこで 愚者 沈む natthi saṅgo vijānataṃ. ない 執着は 了知している人
さあ見なさい
王様の豪華な車のような
この華やかな世界を。
愚かな人は落ち込むけれど
理解している人は執着しない。
解説
この世界は、華やかなもので溢れています。豪華な車、豪邸、セレブな暮らし。愚かな人は、自分にそれがないと落ち込んでしまいます。仮にあったとしても今度は、失うのではないかという怖れが付きまといます。いずれにせよ、心は沈んで落ち着かないのです。
そんなものは、自分の心が生み出す解釈・概念でしかないことを、明確に理解している人は、そのようなものに執着することはありません。
DhP.172
Yo ca pubbe pamajjitvā, 人は また 以前 怠けていた pacchā so nappamajjati; 後に 彼は ない・怠ける Somaṃ lokaṃ pabhāseti, 彼は・この 世界を 輝かす abbhā muttova candimā. 雲から 脱した・ように 月
以前は怠けていた人でも
これからは怠けなければ
雲から出た月のように
この世を明るく照らす。
解説
怠けている人とは、どんな人でしょう? 自分自身に注意をむけない人です。自分が何をしているのか、何を言っているのか、何を考えているのかを、冷静に客観視していない人が怠けている人です。
DhP.173
Yassa pāpaṃ kataṃ kammaṃ, その人の 悪い した 行為が kusalena pidhīyati; 善業によって 払拭される Somaṃ lokaṃ pabhāseti, 彼は・この 世界を 輝かす abbhā muttova candimā. 雲から 脱した・ように 月
人は罪を犯しても
善行によって払拭されて
雲から出た月のように
この世を明るく照らす。
エピソード
アングリマーラは、師匠にそそのかされ「1000人殺して、その指で首輪をつくれば特別な修行が完成する」と命じられました。999人殺したところで、最後の1人となるブッダに出会って改心しました。その後、弟子になり短期間でアラハンとなって涅槃を実現しました。
僧侶たちは驚き「あれほど多くの人を殺した人間が、涅槃を実現することは可能なのか」とブッダに尋ねました。ブッダは「アングリマーラは良い友人がいなかったので、多くの悪事を働きました。しかし、その後、良い友人を見つけ、彼らの助けとアドバイスによって、彼は修行して堅実で心を配って生きていました。だから彼の悪行は善行に圧倒されてしまったのです」と言いました。
解説
悪いことをした時に、後悔しても、泣いても、謝っても、懺悔しても、悪いことの行為の結果はなくなりません。払拭する唯一の方法は、それ以上の良いことをすることだけです。
DhP.174
Andhabhūto ayaṃ loko, 盲目 この 世界は tanukettha vipassati; 稀薄・ここで よく・見る Sakuṇo jālamuttova, 鳥 網・脱する・ように appo saggāya gacchati. 少し 天界に 行く
この世は真っ暗闇で
よく見ることができない。
網から脱した鳥のように
天界へ行く人はごくわずか。
エピソード
ブッダはかつてアラヴィに滞在し、民衆に人生の無常を説いたことがあります。「死を意識し、自分の人生が不確かなものであることを顧みなさい。そして死に対する武器として、マインドフルネスを実践しなさい」と教えました。多くの人々はこの話を理解できませんでしたが、中には理解できる人もいました。その中に機織りの少女がいました。
3年後、ブッダが再びアラヴィを訪れた際に、ブッダはこの少女が覚醒の第一段階(ソータパンナ)に到達する準備ができていることに気づきました。彼女に4つの質問をすると、彼女はこう答えました。
「どこから来たの?」「知りません」
「どこへ行くの?」「知りません」
「では、知らないの?」「いいえ、知っています」
「では、知ってるの?」「いいえ、知りません」
多くの人は彼女の答えを失礼だと思いましたが、ブッダは少女に説明するよう促しました。「お釈迦様は私が家から来たことはご存知なので、最初の質問は、前世がどこかを質問したと思いました。だから知らないと答えました。2つ目の質問は、来世がどこかという質問でしたので、知らないと答えました。3つ目の質問は、では自分が死ぬことも知らないのかと聞かれたので、それは知っていると答えました。そして最後の質問は、自分がいつ死ぬのか知っているかと聞かれたので、知らないと正直に答えました」
ブッダは「君ひとりしか私の質問の意味をわかっていない。この世は盲目ばかりだ」と彼女に拍手を送り、少女は覚醒の第一段階を達成しました。
解説
知っていること、知らないことを明確に理解できることは、悟りの第一条件です。
DhP.175
Haṃsādiccapathe yanti, 白鳥・太陽・道 彼らは行く ākāse yanti iddhiyā; 空を 彼らは行く 神通で Nīyanti dhīrā lokamhā, 引導・彼らは行く 賢者は 世界から jetvā māraṃ savāhiniṃ. 征服して マーラに 軍勢と共なる
白鳥は太陽に向かって飛ぶ
彼らは超常能力で空を飛ぶ
マーラ(煩悩)を征服した賢者は
導かれてこの世から出て行く。
解説
「超常能力で空を飛ぶ」とは、私たちの常識にある空間概念を超えた次空間を、自由自在に行き来するということだと思います。具体的には、ジャーナの状態に入って「arūpa-brahma loka(アルーパ・ブラフマー・ローカ)物質的要素のない精神世界」の体験することだと思います。
さらにそれを超えて、煩悩を滅尽した者は、輪廻転生の世界から脱して、導かれて世界(私たちが存在する人間界はもちろん、アルーパ・ローカも)から出ていく、ということだと思いますが、真意は難しいですね。ご自身で体験してください。
DhP.176
Ekaṃ dhammaṃ atītassa, 1つの ダンマに 背いて musāvādissa jantuno; 偽りを・言う 人は Vitiṇṇaparalokassa, 捨てた・他の・世界 natthi pāpaṃ akāriyaṃ. ない 悪い ない・すべき
真理に背いて
嘘をつく人は
来世を無視して
どんな悪いことでもする。
解説
嘘をつくことを恐れず、未来の自分がどんな存在になろうと気にしない人は、どんな悪事も躊躇なく行うだろう、という教えです。嘘をつくことは、あらゆる悪行の第一歩です。
DhP.177
Na ve kadariyā devalokaṃ vajanti, ない 実に 強欲な人 天界に 行く bālā have nappasaṃsanti dānaṃ; 愚者 確かに ない・賞賛 施しを Dhīro ca dānaṃ anumodamāno, 賢者は そして 施しを 共に・喜ぶ teneva so hoti sukhī parattha. それ故 彼は なる 幸せに 来世で
与えると損だと思ってる
愚かな人、欲張りな人は
天界には行けない。
賢い人は分かち合うことを喜ぶ
だから来世で幸せになる。
解説
人が生きるためには、他の生き物の助けが不可欠です。与えるのは損ということは、他者を排除し、つながりを分断することになります。それでは他者の助けを得られなくなります。すでに不幸です。与えること、共有することで人とつながりができ、人生がより楽に幸せに生きられるようになるのです。
DhP.178
Pathabyā ekarajjena, 地球の 単独・主権を持つ saggassa gamanena vā; 天界に 行くこと あるいは Sabbalokādhipaccena, 全・世界・主権 sotāpattiphalaṃ varaṃ. ソーターパンナ よりよい
地球の皇帝になるよりも
天界に行くよりも
全世界を支配するよりも
優れているのが
ソーターパンナになること。
解説
Sotāpanna(ソータパンナ)とは、4段階ある悟りの第1段階を達成し、悟りの道に入った覚者のことです。sota(耳で/流れ)+ āpanna(入った)、聞いだけで悟りの流れに入るという意味です。その名の通り、第1段階は教えを聞いただけでも悟ることが可能です。
ダンマパダ13章「世界」了