ダンマパダ3章 33〜43

Citta-vaggo 心の章

ダンマパダ3章は、Citta」がテーマです。私たちが探求する対象は「心」です。この章は、その心を知るための章です。

心とは、外部からの刺激に対して、対象を区別して認識する作用です。まず無意識が対象を危険かどうか判断し(emotion)、次に意識がどう行動するかを決める(feeling)。この作用が心です。

DhP.033

phandanaṁ capalaṁ cittaṁ,
動揺する 浮動する 心は
dūrakkhaṁ dunnivārayaṁ;
難い・守り 難い・抑制
ujuṁ karoti medhāvī,
まっすぐ 作る 賢人
usukāro va tejanaṁ.
矢作り ように 矢を

動揺し不安定な心は
コントロールが難しく
守るのが大変だが
賢い人はこれを正しく修正する。
矢を作る職人が
まっすぐな矢を作るように。

DhP.034

vārijo va thale khitto,
魚 ように 陸 投げる
okam okata’ ubbhato;
水から 快適な 放り出された
pariphandatidaṁ cittaṁ,
震える 心
māradheyyaṁ pahātave.
マーラの・勢力下 捨てる

水中から乾いた地面に
投げ出された魚のように
マーラの世界を離れることを
怖れて心は震える。

解説
私たちの心がマーラの世界、つまり自我にとらわれた世界を離れようとするとき、慣れ親しんだ環境がなくなり、新しい状況に対応できないことで、怖れて震えます。

マーラ:「ゴータマ・ブッダが悟りを開く際に、瞑想を妨げるために現れたとされる魔物」のことですが、「悪魔」のような存在ではありません。外部からやってくる力ではなく、私たちの心の中にある邪悪な部分、煩悩の象徴です。無我の境地に至ると自己が死滅することになるので、それを妨害しようと現れる心の動きです。

DhP.035

dunniggahassa lahuno 
難い・抑止 すぐに
yatthakāmanipātino,
の所へ・欲望・落下
cittassa damatho sādhu, 
心によって 自制は 善く
cittaṁ dantaṁ sukhāvahaṁ.
心を 訓練された 幸福をもたらす

心はすぐに欲望のままにおもむき
コントロールが難しいが
心を自制するのはよいことで
心は鍛えると幸せになれる。

解説
心の動きはとても速く、制御するのは大変です。「好きなものが欲しい」「嫌いなものは消えて欲しい」と少しも間を置かず、心は欲のままに好きなところに行ってしまいます。一度欲しいと思えば、手に入れるまで欲しくなり、何かが嫌だと思った途端に心に怒りが現れて、それがなくなって欲しいと望むのです。

DhP.036

sududdasaṁ sunipuṇaṁ,
とても・難い・見る とても・繊細な
yatthakāmanipātinaṁ,
の所へ・欲望・落下
cittaṁ rakkhetha medhāvī, 
心を 守る 賢人
cittaṁ guttaṁ sukhāvahaṁ.
心を 守られた 幸福をもたらす

心は捉え難くとても繊細で
欲しいものにはすぐ飛びつく。
賢い人は心を守る。
心を守ると幸せになれるから。

エピソード
サーヴァッティの町に銀行家の男が住んでいました。男は托鉢に来た僧侶に、どうすれば人生の苦しみから解放されるかを尋ねました。僧侶は、財産を3つに分けるように言いました。1つは商売のため、1つは家族を養うため、1つは慈善事業のためと。

男はそれを実行し、次に何をすべきか尋ねました。

僧侶は、三宝に帰依し、五戒を守るよう言いました。しかし、男はまだ満足できません。そこで男は世間を捨てて僧侶になりました。男は僧侶として修行を続けるうちに、学ぶことが多過ぎて、規則が厳し過ぎ、自由がないと感じ、以前の生活に戻りたいと思いました。

男は疑問を持ち始めたことで、不満や不幸を感じ、瞑想を怠っていたのです。ブッダは彼に、心をコントロールすることさえできれば、他にコントロールするものは何もないと、この言葉を語りました。

DhP.037

dūraṅgamaṁ ekacaraṁ,
遠出 独りで行く
asarīraṁ guhāsayaṁ,
ない・身体 洞窟
ye cittaṁ saṃyamessanti,
彼らは 心を 抑制するだろう
mokkhanti mārabandhanā.
自由になる・だろう マーラの・束縛から

心はひとりで勝手に
遠くに行ってしまうが
実体はなく
胸の奥にひそんでいる。
この心を制する人は
マーラの束縛から自由になる。

解説
心は常に過去の思い出に浸ったり、未来に夢を馳せたり、あるいは過去を悔やんだり、将来を心配したりしています。常に「今ここ」にはなく、どこかに遠出しているのです。心が勝手に出歩かないように制御できる人は、心が束縛されることがなくなり、苦しみもなくなります。

私たちがコントロールすべきことは、外の世界ではなく自分自身の中にあるのです。

DhP.038

anavaṭṭhitacittassa,
ない・確立・心
saddhammaṁ avijānato;
正しい・ダンマを ない・了知
pariplavapasādassa, 
不安定の・浄心
paññā na paripūrati.
智慧 ない 完成する

正しい真理を理解しなければ
心は確立しない。
心の浄化が不安定では
悟りの完成も智慧もない。

解説
心は、わからないこと、理解できないことがあると不安になり、不安定になります。知りたい、解決したいという思いで、落ち着きをなくし揺れ動くからです。同時に、理解できていないことで自信をなくし、ますます不安定になります。

心を確立するとは、そのことに気づく、自覚するということです。「私の心はいま、わからなくて不安になっている」と気づくのです。これを積み重ねることで、心が安定して揺るぎない心となり、悟りが完成します。すると智慧が自然に現れます。

DhP.039

an-avassuta-cittassa,
ない・快・不快・心
ananvāhatacetaso;
ない・混乱・思考
puññapāpapahīnassa,
善・悪・捨てて
natthi jāgarato bhayaṁ.
非存在 目覚めている人は 怖れ

好きとか嫌いとか
思う心がなく
混乱することがない人
善いとか悪いとか
観念を捨てて
気づいている人には
怖れるものは何もない。

解説
anavassutacitta:an-ava-su-ta-citta:ない・快・不快・それを・心。「何かが好ましいとか、好ましくないと思う心がない」という意味。

私たちの心はとても怖がりです。好きだと思うものがあるから、それを欲しいと思い、心はそれを失うことを怖れます。また、嫌だと思うものがあるから、怒りが生まれて、心はそれに悩まされることを怖れます。

また、混乱した心も怖がりです。何が起こるか分からないから、心は不安で怖れるのです。わかっていれば、心は落ち着きます。心に混乱があるのは無知だからです。

好き(欲)・嫌い(怒り)・無知がなくなれば、心に怖れがなくなるのです。

良い、悪いも同じことです。私たちの社会で良いとされることも、他の価値観の社会では悪いことだったりするものです。善悪もごく狭い範囲でしか通用しない価値観に過ぎず、宇宙的には単なる偏りでしかないのです。

好き・嫌い、善い・悪い、といった判断を捨てられたら、もうこの世で怖れものは何もないのです。

DhP.040

kumbhūpamaṃ kāyam imaṃ viditvā,
水瓶・似たもの 身体は この 知って
nagarūpamaṃ cittaṃ idaṃ ṭhapetvā;
城壁・比喩 心 この 築きなさい
yodhetha māraṃ paññāyudhena,
戦士・時に マーラと 智慧・武器として
jitaṃ ca rakkhe anivesano siyā.
打ち勝ち と 守る ない・執着 あるだろう

この身体は
壊れやすい陶器の壺だと理解して
この心を城塞のように
しっかりと築きなさい。
智慧を武器にマーラと戦い
勝ち得たものを守りなさい。
それに執着することなく。

解説
私たちの身体は壊れやすい陶器の壺のようなもので、後生大事に守るほどのものではないのです。一方、心は城塞のようなもので、しっかり守らなくてはいけない、ということです。

愛のこもった親切な慈愛の心「Mettā」で武装しなさい、ということです。

DhP.041

aciraṁ vatayaṁ kāyo,
まもなく 実に・この 身体は
paṭhaviṁ adhisessati; 
大地に 横たわるだろう
chuddho apetaviññāṇo, 
拒絶され 失った・意識を 
niratthaṁ va kaliṅgaraṁ.
無益の ように 丸太の

あぁ、まもなくこの身体は
地面に横たわるだろう。
拒絶され、意識を失った
価値のない丸太のように。

エピソード
ティッサという僧侶がいました。熱心に瞑想し、多くの弟子を持っていましたが、ある時、病気にかかってしまいます。体中に腫れ物ができて全身が膿み、仲間の僧侶たちは面倒を見ることができず、彼を見捨ててしまいました。

それを知ったブッダは、お湯を沸かして自分の手でティッサを洗い、彼の衣服をきれいにして乾かしました。ティッサが安心して集中力を取り戻すと、ブッダはこの言葉を伝えました。

ティッサはすぐに悟ってアラハンになり、その後すぐに亡くなりました。実はティッサは、前世で鷹匠をしていて、多くの鳥を殺し、その鳥が飛ばないように骨を折ってしまうこともあったのです。

DhP.042

diso disaṁ yantaṁ kayirā, 
敵が 敵に こと・それを する
verī vā pana verinaṁ;
嫌い あるいは また 嫌いに
micchāpaṇihitaṁ cittaṁ, 
誤った・方に向かった 心は
pāpiyo naṁ tato kare.
より悪い それ故 行うだろう

敵が自分にすることよりも
嫌いな人が自分にすることよりも
誤った方向に向かう心は
もっと悪いことを自分にする。

解説
誤った方向に向かう心とは、怒り・暴力・嫉妬・自我のある心です。

DhP.043

na taṁ mātā pitā kayirā,
ない 彼に 母 父 してくれる
aññe vā pi ca ñātakā;
他の あるいは また そして 親族が
sammāpaṇihitaṁ cittaṁ,
正しい・方に向かった 心は
seyyaso naṁ tato kare.
より良い 彼に それ故 行うだろう

父や母がしてくれることよりも
親族がしてくれることよりも
正しい方向に向かう心は
もっと良いことを自分にしてくれる。

解説
よく導かれた正しい心は、父や母でも与えることができなかった幸福を人にもたらす、という教えです。

ダンマパダ3章「心」了