レディ・サヤドー『アルコール・ドラッグ・ギャンブルについて』後編

アルコール・ドラッグ・ギャンブルについての教えの後半です。

現在の苦しみ

さて、現世に蔓延する苦しみについて説明しよう。すべての仏教徒は、saṃsāra(輪廻)の苦しみと危険を予見し、布施、戒律の遵守、精神修養に力を注がなければならない。何のためか? 現在の(ごう)には、5人のブッダが真のダンマを説く。すでに4人のブッダ(ゴータマ・ブッダが4人目)が現れた。将来、Metteyya(メッテイヤ)ブッダが最後のブッダとなり、至高の智慧を得てダンマを説くだろう。その後、ブッダもその教えもない時代が何度も続くだろう。現世で来るべきメッテイヤ・ブッダに敬意を払い、道とその成就と涅槃を得るためには、誰もが慈善行を行い、道徳的な戒律を守り、瞑想を実践しなければならない。これらの善行為が助けとなり、メッテイヤ・ブッダに出会うことになる。メッテイヤ・ブッダの時代が終わると、世界は長い暗闇の時代に包まれ、解脱のための真の教えは得られない。麻薬中毒者は欺かれているので、メッテイヤ・ブッダを見ることはできないだろう。

とは:古代インドにおける最長の時間単位。1つの宇宙が誕生し消滅するまでの期間。インド哲学では「カルパ(Kalpa)」として知られ、宇宙のサイクルの一つを表す単位で、1カルパは約4.32億年。人間の尺度では測りきれないほどの長い時間を示すが、ブラフマー界では1日に相当する。なお、最短の時間単位は刹那(一瞬)となる。

さらに詳しい説明がある。ドラッグは狂気と恐怖症を引き起こす。健全な精神状態を破壊する。ある程度は見せかけの安らぎを与えるが、その副作用は心身に深刻な害を及ぼす。中毒者の身体は毒素でいっぱいになり、肉体的に劣化する。精神面では、ドラッグの影響で心が邪悪な力に弱くなる。ドラッグによって心が曇り、官能的な快楽や間違った考えに傾く。

アルコールやドラッグを摂取すると、精神的に不安定になる。依存症患者は、精神的な安らぎを得るため、アルコールやドラッグに依存するようになり、それらがない状態に耐えられなくなる。手に入らないと、心はもっと欲しくなる。混乱した彼らの心は、毒を切望する。アルコール依存者やドラッグ依存者は、たとえ功徳を積んだとしても、心が弱いため、純粋な行いや純粋な結果を得ることができない。過去の善行も弱くなり、その効果も薄れる。通常、功徳ある行いは、千倍の良い結果をもたらすが、この心の不純さのために、その潜在能力を発揮できなくなる。

酩酊物を飲むこと

アルコールを摂取すれば、心は常に悪い考えで曇る。善良な人の心さえ変わってしまう。酩酊の狂気は心を堕落させる。酔いが大混乱を引き起こすので、文化的な精神状態は不可能である。一度に一つの考えしか、心に浮かばなくなる。以前、行った善行の記憶は、心のプロセスに入り込むことができなくなる。アルコールを摂取するたびに、ポジティブな思考は失われる。心は混乱・怠慢・無頓着・粗野に侵されて、さまざまな悪行につながる。このような心の状態は、過去の善行を打ち消して阻害し、良い結果を生み出せない。

人格の弱体化

悪い行いは、善良な人格を弱める。アルコールは、人が蓄積してきた純粋な思考を遠ざける。現在においても、アルコールは理性的な思考を妨げ、狂気を引き起こす原因となっている。そのため、パーリ語のテキストでは “Ummattaka saṃvattaniko“という言葉で、現在の悪い影響が述べられている。

飲酒習慣の最小限の影響は、混乱や妄想に陥ることだ。より深刻なのは、心が混乱するだけでなく、酒を飲むと人間界や天界へのよい生まれ変わりができなくなることだ。この弊害は、文化的ではない人の胎内に生まれ変わる原因となる、深刻で不健全なカンマである。酒に溺れたせいで、人は未開の地に住まなければならない。たとえ善いカンマによってデーヴァの神々の領域に達したとしても、飲酒常習者は狂気の神、残酷な神、悪魔のような神、あるいは劣った神である。

残酷な神々

残酷な神々とは?

世界には、悪魔・飢えた霊体・地上に住む劣った神々がいる。精霊や悪魔は、島や荒野など、人里離れた場所に住んでいる。酔っぱらいや 酒を飲む習慣のある者は、そのような存在に生まれ変わるので、さらに悪いカンマによって損な状態に生まれ変わる。明らかに、彼らは真のダンマを聞くためにメッテイヤ・ブッダに会うことはないだろう。自らを仏教徒と称していても、禁酒しない者は、不可抗力であるカンマの法則により、低次元の世界をさまよい続ける。

人格の改革

依存症患者や飲酒常習者のリハビリのために、悪いカンマを根絶する方法を紹介しよう。この治療法は、ブッダの教えがある時代に利用できる。

まず、次のように酩酊を慎む戒律に従わなければならない。

Surāmeraya-majja-pamādaṭṭhānā 
スラーメラヤ・マジャ・パマーダッターナー
酒や果実酒など、無分別の原因となる酔うものを
veramaṇī sikkhāpadaṃ samādiyāmi.
ヴェーラマニー シッカーパダン サーマーディヤーミ
離れる 規則を 私は引き受けます。

毎日この戒律を唱え、注意深く守らなければならない。酒と薬物を断つことの大切さを思い出すために、毎日何度も繰り返すとよい。心の中に道徳的な態度が現れる。

注)五戒の5番目の戒律です。ゴエンカ氏のコースでも初日の夜に「コース中の誓願の言葉」として全員が唱えます。

次に、Abhidhammatthasaṅgaha(アビダンマッタ・サンガハ)の9つの章を暗記する。この本すべてを暗記するのが難しい場合は、少なくとも最初の3章を毎日暗唱しなさい。暗記できる人は、第6章から第8章までを暗記しなさい。全員が『縁起の要約(Paccayaniddeso)』は暗唱できるようにし、縁起の力が心身を圧倒して善を達成できるようにしなければならない。その目的は、高尚な励みにおいてアルコールと薬物を排除し、集中力と純粋な行いを得ることである。

注)Abhidhammatthasaṅgaha の9つの章
第1章 心の分析(Citta-saṅgaha-vibhāga)
第2章 心所(心の中身)の分析(Cetasika-saṅgaha-vibhāga)
第3章 雑多なものの分析(Pakiṇṇaka-saṅgaha-vibhāga)
第4章 心の生滅の分析 (Vīthi-saṅgaha-vibhāga)
第5章 業と輪廻の分析(Vīthimutta-saṅgaha-vibhāga)
第6章 物質の分析(Rūpa-saṅgaha-vibhāga)
第7章 集積の分析(Samuccaya-saṅgaha-vibhāga)
第8章 縁起の分析(Paccaya-saṅgaha-vibhāga)
第9章 観想修行の分析(Kammaṭṭhāna-saṅgaha-vibhāga)

この2つの尊い努力は死ぬまで実践されなければならない。なぜなら、過去の悪行(酒や薬物)は、アビダンマッタ・サンガハ、または縁起の力によって完全に消去され、浄化されるからだ。心は、崇高で強力なアビダンマの読誦と反省で浸透する。ちょうど水が汚れを浄化するように、不健全な状態は、集中した努力とダンマの読誦によって完全に根絶される。

なぜダンマはこれほど効果的で強力なのか?

アルコールやドラッグ摂取による戒律違反は、地獄につながる基本的な悪ではない。それは二次的な悪であり、他の悪の発生を促す悪行に過ぎない。下界への転生につながる基本的な悪ではなく、補助的な悪いカンマに過ぎないので、健全な行いによって取り除くことができる。人は、この悪行がもたらす将来の結果や現在の苦しみから、比較的簡単に逃れることができる。

注)アビダンマを暗記するのが難しい場合でも、慈悲の瞑想を暗唱するだけでもいいそうです。上記の「スラーメラヤ…」の一節を30分ほど繰り返し暗唱すれば十分。もし暗記できたら、それぞれの言葉の意味も覚えて、暗唱しながら深く考えるとより良いそうです。ポジティブな思考は、邪悪なカンマの影響を和らげる強力な健全なカンマだからだそうです。

競馬とギャンブルの弊害

多くの国で競馬やラクダレース(中東地域や北アフリカなどの砂漠地帯で行われる伝統的なスポーツ競技)、ドッグレースなどが認められている。これらの競争場はギャンブルの中心地となる。そのようなレースに騎乗する騎手たちは、以下のパーリ語の記述に留意すべきだ。

「友よ、私はギッジャクータ山から下山中に、餓鬼を見た。この空飛ぶ霊体には、鋭いとげのある毛が生えていた。尖った鉄のようなたくさんのとげは、餓鬼の身体に突き刺さっていた。とげが何度も身体に突き刺さり、餓鬼は痛みで叫んでいた。僧たちよ! この犠牲者は自分のカンマの報いを受けているのだ。前世で容赦なく家畜を追い回した。鞭やとげで家畜を殴り、荷車を走らせた。その結果、今、苦しんでいるのだ。彼は死ぬ間際に、尖った槍、鉄の棒、鋭いとげの生まれ変わりの印を見た。彼は死んで、身体に鋭いとげの毛を生やした餓鬼に生まれ変わったのだ。(Pārājika Aṭṭhakathā)

だから競馬・ラクダレース・馬術競技などに出場する騎手は、ブッダの警告に耳を傾けるべきだ。カンマには相応の結果がある。操者も騎手も、その悪行のために、ここでも来世でも苦しむことになる。

ギャンブラーと観客

すべての悪行において、4つの要因が罪と災難を引き起こす。『十の書』では、衆生を殺すような十の悪行について、それぞれ4つの要因を挙げている。

Attanā ca pāṇātipātī hoti, 
parañca pāṇātipāte samādapeti, 
pāṇātipāte ca samanuñño hoti,
pāṇātipātassa ca vaṇṇaṃ bhāsati.
  1. 自ら悪事を働く
  2. 他人がそれをするのを助けたり、促したりする
  3. それを許したり、認めたりする
  4. それを賞賛して話す

この4つは罪と災難で、それ相応の結果を負うことになる。

競技スポーツや運送のために動物に危害を加える者は、悪いカンマを作る。ギャンブルをする者は、上記の4つのうち3つに属する。すべての仏教徒は、殺人、盗みなどの十悪のカンマを避けなければいけない。それぞれの悪には4つの要素がある。動物に対する残酷で過酷な扱いに同意、または承認した観客は、地獄で苦しむか、餓鬼として生まれ変わる。このようなケースは、パーリ語の記述に数多く記載されている。だから、観戦者やギャンブラーは、心身をコントロールすることによって、悪行の4つの要素をすべて避けなければならない。ギャンブラーは、他人の悪行を奨励し、支持し、容認する賭け事という悪行をやめなければならない。

終わり

注)ギャンブラー(Gambler)とは、賭け事やギャンブルを行う人のことを指します。ギャンブルには、カジノゲーム(ポーカー、ブラックジャック、ルーレットなど)、競馬、競輪、宝くじ、スポーツベッティングなどが含まれます。ギャンブラーは、勝った時の喜びや興奮を求めてギャンブルを続けることが多く、大きな報酬を得るために、リスクを負うことを厭いません。