感情と記憶のメカニズム

感覚の体験が、脳内でどのように蓄積し、人間の苦しみへと変化していくのか、心の浄化とはどのようなメカニズムなのか考察しました。

感覚のメカニズムは、

①外部から感覚受容器(眼・耳・鼻・舌・触・心)が刺激を受けると、細胞の膜が刺激に応じて活動電位(神経インパルス)を発生し、電気信号(電流)が神経線維(神経)を流れていきます。

②シナプスに達すると、その情報は電気信号から化学物質神経伝達物質)に置き換えられ、電気信号→神経伝達物質→電気信号という形で、必要な情報が必要な細胞へと流れていきます。

私たちが感覚として感じているのは、このシナプス間に放出された化学物質である「セロトニン・ドーパミン・ノルアドレナリン・アセチルコリン」といった神経伝達物質の流れです。

③この電気信号はその後、ニューロンを伝達して集まって感覚神経を形成し、情報を脳に伝達します。脳内では極めて複雑なデジタル処理が行われていますが、この時に感情が発生し、過去の記憶との照合や他の感覚器官との情報交換なども行われ、どう反応するかを決定づけていると思われます。

心の4つのプロセス

心には意識(viññāna)・感覚(vedanā)・知覚(saññā)・反応(sankhāra)の4つのプロセスがあります。

まず、①意識が外部からの刺激をとらえ、まず肉体的・生理的な感覚(寒い・痛いなど)が起こり、心の感覚(快・不快・どちらでもない)が喚起されます。知覚が区別(好き、嫌い、どちらでもない)して「〇〇」と認識します。この認識に対して④反応(渇望・無関心・怒り)が起こります。この時、反応だけが行為として記憶に蓄積され、その後の知覚に影響を与えます。これが条件反応です。

感情とは

感情は、感覚と思考が連携して湧いてくる情動(情緒)のエネルギーです。感覚は身体で生まれ、心で感じるものです。人は経験や体験をすると、快や不快の情動が生まれ、感情が沸き起こり、その感覚が記憶されることでその後の判断の軸になっていきます。

記憶とは

記憶とは、五感で感じたことと感情の動きがセットとなったものです。情景や匂い、音や感触、温度だけでなく、その時の感情もセットにしたビデオ映像のようなものです。

生きている間、人は生存のために、意識的にしろ、無意識的にしろ、さまざまな経験によってに条件づけられていきます。これらの条件づけは「記憶」として脳に保存されます。脳はこのようなエピソード記憶を無意識のうちに保存し、また、思い出(想起)しています。

記憶の固定化

外部からの刺激を感知して得た情報は、まず不安定化状態の短期記憶として形成されます。その後、固定化のプロセスを経て、安定した状態の長期記憶として脳内に保存されます。

このような不安定な記憶を、安定した長期記憶へと変換するための一連のプロセスが「記憶の固定化(memory consolida- tion)」です。

記憶の想起とアップデート

しかし、固定化された記憶は永久に不変なものではありません。私たちは保存された記憶の中から特定の記憶を思い出しては(記憶想起)、新しい情報を結びつける「記憶のアップデート」 を行っています。その際に条件・状況に応じて、想起した記憶の不安定化再固定化消去学習記憶の連合といった異なる記憶プロセスをとります。

固定化情報が固定化され、安定した記憶として保存されます。

不安定化:固定化した記憶は、想起(思い出すこと)によって不安定化します。

再固定化:記憶が想起され不安定化すると、その記憶を再び固定し、脳内に再保存する「再固定化」のプロセスをとります。

元の記憶をそのまま維持して保存したり、元の記憶をより強化したり、別の新たな記憶と統合させたり修正し、記憶をアップデートして、再び安定した記憶として保存します。この想起と再固定化というプロセスは、脳内で絶え間なく日常的に行われています。

消去学習元の記憶と相反する記憶を学習することで、前の条件づけをリセットする消去学習のプロセスをとることもあります。長期間の想起、もしくは短期間内の繰返し想起により、記憶は消去学習のプロセスに入り、元の記憶と相反する記憶としてやり直しをする場合があります。記憶が消えるわけではありませんが、条件付けが消去され、恐怖記憶を想起しても、感情的に反応しなくなり、恐怖を感じなくなります。

記憶の連合:別々に形成された関連のない記憶同士でも、連続して想起することで関連づけ(記憶の連合)されることがあります。

記憶の再固定化を抑制

通常、記憶は想起によって不安定化すると、再固定化のプロセスに入りますが、この時に、再固定化が抑制されると、記憶が不安定化したままになり、元の記憶が消失する場合もあります。

これはヴィパッサナー瞑想において、感覚・感情に反応しないで瞑想を続けていると、潜在意識下の古いサンカーラが立ち上がってきますが、この時に、それにも反応せず、そのまま気づいていると古いサンカーラが消滅し、心の浄化が達成しますが、この作用と同じではないでしょうか。

また、④の消去学習のプロセスは、感情を引き起こす原因となっている記憶を消し去るのではなく、これらの感覚・感情が起きても感情的な反応をせずに平静でいる訓練であり、ヴィパッサナー瞑想と同じです。

記憶想起のメカニズム

記憶は、学習時に活動した特定のニューロンの集団という形で脳の中に保存されます。活動したニューロン群は強いシナプス結合で結ばれ、セルアセンブリ(細胞集成体)を形成し、記憶はその中に符号化して蓄えられると想定されています。

このような学習時に活動した特定のニューロン集団という形で脳内に残った物理的な痕跡のことを記憶痕跡(memory engram)と呼び、2012年、利根川進氏らのグループにより記憶痕跡の物理的存在が示されました。何らかのきっかけでこのニューロン集団に属する一部のニューロンが活動すると、強いシナプス結合で結ばれたニューロン集団全体が活動し、その結果として記憶が想起されると考えられています。

このように不完全な情報から完全な情報の神経活動パターンを再現し、記憶を想起する働きはパターン完成 (pattern completion)と呼ばれています。これが思考パターンなのではと思います。

ソマティック・マーカー仮説

ソマティック・マーカー身体的信号・快不快のマーキング)」とは、ポルトガル系米国人の神経科学者のアントニオ・ダマシオが唱える「ある経験に対する快不快の感覚を記憶し、それを感情に表出させることで意思決定を効率化させている」という仮説理論です。

例えば、人が何の行為をしようと思った時、自分が過去に体験した同じような状況における、快不快の「(身体)感覚」を呼び起こし、そのときの「感情」を表出させることで、優先順位をつけ、選択肢を限定させて、その中から意思決定をすることで効率化を図っていくという考えです。

従来、「感情は意思決定を歪めるもの」と考えられ、理性的判断には感情を排するべきだというこれまでの「常識」に反して、理性的判断に感情的要素はむしろ効率的に働くという考え方です。複雑で不確実な状況において、迅速かつ合理的な意思決定を行う能力には、感情が重要な役割を果たしていると唱え、感情的な身体反応があるからこそ、瞬時に危険を察知し、自分自身も気づかないうちに、より良い意思決定が導き出される、という仮説です。

感情を排して、冷静に合理的・論理的な判断に基づく意思決定(左脳重視の思考)が経済社会において重視されてきましたが、逆にその感情(第六感)こそが合理的意思決定の重要であるという理論です。

ダマシオの定義による感情(情動 emotion)

感情(情動 emotion)」とは、ダマシオの定義によると、刺激に対する身体と脳の両方の状態の変化であり、身体上に起こる生理的変化(身体が硬くなる筋肉の緊張、心臓がドキドキする心拍数の変化、口が乾くといった内分泌活動、姿勢、顔の表情など)は、脳に伝達され、個人が遭遇した刺激について何かを伝える情動へと変換されます。感情とそれに対応する身体的変化はソマティック・マーカー(身体的信号)として、特定の状況とその過去の結果に関連付けられ、記憶として蓄積されます。

例えば、ポジティブな結果に関連したマーカーが知覚されると、その人は幸せな気分になり、その行動を追求する動機となります。一方、ネガティブな結果に関連するマーカーが知覚されると、人は悲しい気持ちになり、その行動を避けるように警告する心のアラームとして働きます。

「身体ループ」と「もしもループ」

この仮説によると、「感情(情動 emotion)」は「理性=知性(reason)」のループ(経路)の中にあり、2つの異なるループがあります。

1つ目の経路は、身体反応が実際に脳に信号が送られて感情が呼び起こされる「身体ループ(body loop)」です。例えば、ヘビのような物体に遭遇すると、闘争・逃走反応が起こり、恐怖を感じるといった場合です。

第2の経路は、「もしもループ(as-if body loop)」で、感覚刺激によって直接引き起こされるのではなく、脳内で身体反応をシミュレーションする経路があり、感情の不快な状況を想像することで、脳内で活性化されるとするものです。

ソマティック・マーカーの信号作用を獲得する上で重要な神経システムは、前頭前皮質にあり、知覚的な意思決定には、生存本能あるいは条件づけで学習した情動刺激による身体反応の喚起には「扁桃体」が関与し、思考や記憶を介する情動的身体反応の喚起には腹内側前頭前野が、身体反応の脳での処理およびあたかもループでの脳内シミュレーションには体性感覚野が関与すると提案しました。

前頭前皮質は、思考を構成するイメージをつくり出すための全ての感覚領域から信号を受け取っています。信号が外部からの刺激(5つの感覚器官)による知覚で生じようと、外部について自分が抱いている考え(心)の中で生じようと、実際に身体における事象の中で生じようと、前頭前皮質がすべての感覚の信号を受け取っています。

記憶は本質的に再構築的で、心的イメージは過去に経験したパターンの〈複製の試み〉であり、想起される心的イメージは、かつて知覚的表象に伴う神経発火パターンが生じたのと同じ初期感覚皮質に、同じ発火パターンを一時的、同時的に活性化することから生まれる、としています。

これはあくまでもひとつの仮説に過ぎず、この仮説を支持する研究者もいれば、否定する研究者もいますが、ヴィパッサナー瞑想のメカニズムを考える上でヒントになるように思います。

心の浄化

心を浄化するとは、強い感情を引き起こす原因となっている記憶を消し去ることではなく、強い感情が起きても感情的な反応をせず平静でいることです。

心の汚濁とは、つまり心に起こる強い感情であり、それは「怖れと渇望」に集約されます。ブッダも言っている通り、心の浄化とは、怖れと渇望を克服することです。

否定的な感情の根本にあるのは、怖れです。恐怖心が怒りや憎しみなどの否定的な感情を引き起こしています。渇望も同じです。愛するものが離れるかもしれない恐れ、生きていたいという強い渇望、そこにあるのは無意識の自己防衛です。死を回避し生き延びるための生存本能です。

合宿コースでのヴィパッサナー瞑想は、条件反応の消去が主な目的です。アーナーパーナ瞑想によって集中力を高めた上で、身体感覚を観察することで、出会う反応に対して平静さを高める訓練を行います。

一方、日常生活におけるヴィパッサナー瞑想は、身体感覚に気づき続けることで、新たな条件反応が蓄積することを防ぐのが目的です。感覚に気づき・平静であれば反応は生じません。

条件反応を最も蓄積しやすい行為が、殺生・盗み・誤った性行為・酒類や麻薬類の摂取ですが、現代社会では、これにスマホも加えていいかもしれません。

まとめ

感じる感覚は単なる神経伝達物質の流れに過ぎず、その快・不快の判断に大した根拠はなく、長年の経験による記憶の蓄積による条件反射であるとすれば、ヴィパッサナー瞑想によって感覚を観察し、感覚に気づき反応しない訓練をすることで、条件反射による苦しみから解放されるのかもしれませんね。

感覚・感情・記憶について、科学的な知見に基づいて分析しましたが、このような生半可な知識によって答えを出そうなどとは思っていません。わからないながらも調べてみたかったのです。

そもそも脳には「わかりたい」という欲求があるそうです。これも怖れからですね。「わからない」という宙ぶらりんな状況に耐え、悩むことが智慧なのだという意見もあります。

このことを少し理解した上で、自分の身体に起こる感覚をヴィパッサナー瞑想で観察すれば、より正しい観察ができるのでしょうか?

以上です。