C. Sampajāna
常に意識して、はっきり自覚して行動する
さらに、修行者たちよ。
前に進んでいる、後ろに戻っていると、はっきり自覚して行動するのです。
まっすぐ前を見ている、横を向いていると、はっきり自覚して行動するのです。
手足を曲げている、伸ばていると、はっきり自覚して行動するのです。
食器を持っている、服や上着を着ていると、はっきり自覚して行動するのです。
食べている、飲んでいる、噛んでいる、味わっていると、はっきり自覚して行動するのです。
小便をしている、大便をしていると、はっきり自覚して行動するのです。
歩いている、立っている、座っている、眠っている、目覚めている、話している、黙っていると、はっきり自覚して行動するのです。
このようにして身体を、身体の内側からありのままに観察し、または身体の外側から、あるいは身体の内側と外側を同時に、観察するのです。身体が生じるという現象を観察し、または身体が消滅するという現象を、あるいは身体が生じては消えるという現象を観察し続けるのです。そうして「すべての物事は、絶え間なく変化し続ける現象に過ぎない。身体は身体に過ぎない。私でもなく、私のものでもなく、自分でもない」という気づきが確立されるのです。この智慧と気づきがある限り、この世に自分など存在しないのだから、存在しない自分が執着していた「苦悩」もなくなるのです。修行者たちよ。修行者は、このようにして身体を身体において観察し、生きるのです。
1. カーヤーヌパッサナー(身体の観察)C.サンパジャーナ 了
解説
どんな行動をする場合でも、常に意識して完全に自覚して行動しなさい、という教えです。
Puna さらに ca·paraṃ 次に, bhikkhave 修行者たちよ, bhikkhu 修行者は abhikkante 前進する paṭikkante 後退する sampajānakārī 完全に理解して行動する hoti です, ālokite 前を見る vilokite 横を見る sampajānakārī hoti, samiñjite 曲げる pasārite 伸ばす sampajānakārī hoti, saṅghāṭi-patta-cīvara-dhāraṇe 袈裟-托鉢の器-法衣-着る sampajānakārī hoti, asite 食べる pīte 飲む khāyite 噛む sāyite 味わう sampajānakārī hoti, uccāra-passāva-kamme 排出物-尿-行為 sampajānakārī hoti, gate 歩く ṭhite 立つ nisinne 座る sutte 眠る jāgarite 目覚めている bhāsite 話す tuṇhībhāve 黙る sampajānakārī hoti.
Sampajāna sampajaññaの形容詞形
正しく知ること・正しく把握すること。sam+pa+jañā:行為の完全性(ここでは不変性)を表す接頭辞 sam + 強める接頭辞 pa +動詞 jañā(知る、引き受ける)。ほとんどの場合、satiとの組み合わせで、あるいはsati-sampajaññaという複合語として使われます。
「ジャガイモの皮をむく」場合に、「私はジャガイモの皮をむいている」と観察するのではなく、「むく」「押す」「まわす」と、動詞の単語だけに絞って追っていく。動詞だけで実況中継を行うと、ものごとの本当の姿が見えてくる。これがサンパジャーナ。サンパジャーナを実践すると、幻覚が破れて本当の世界が観えてくるそうです。(引用元:テーラワーダ仏教協会)
kārī 形容詞・男性単数
行動、行う
hoti 動詞・現在形・三人称単数
です。is
「ありのままに(思い込みや捏造をせず)、正しくわかってやる」「今まで無意識でやっていたことを、はっきりと自覚しながらやる」ということです。