悟りとは
まず「悟り(bodhi)」とは、心に渇望・憎悪・迷いが一切なく、束縛から解放されて執着がなく、真理を体得することです。
日常用語でも、わかった、気づいた、感づいたなどの意味で「悟った!」を使いますが、瞑想によって到達する「悟り」は、そのような理解ではなく、正しい真理の理解を伴って、心が本質的に覚醒することです。
悟りの4段階の最終段階がアラハン
悟りの段階は4段階あります。ソーターパンナ(預流)→ サグダーガーミ(一来)→ アナーガーミ(不還)の順に1段階ずつ進み、アラハン(阿羅漢)で完成します。
悟りを得て修行を完成させた人がアラハンです。聖なる人、尊者などと簡単に聖者化されますが、正確には4回「涅槃(nibbāna)」を体験して、完全に悟った修行完成者「覚者」です。
全ての煩悩を完全に滅した状態で、煩悩が全くないので、智慧が制限なくストレートに働きます。これまで行ってきた行為・業(カンマ/カルマ)は全て時効になり、良い行いも悪い行いも、結果を出さないまま消えてしまうといわれています。悪いことができない反面、良いこともただ行うだけになり、功徳の結果もありません。
アラハンは死なない
アラハンになると、全てが無常だ、無我だと、完璧に体験して、全ての煩悩が消えているので、もっとあれこれしたい、あれこれし足りないという欲の気持ちが全く生まれません。全ての煩悩を完全に滅尽すると、生まれ変わるためのエネルギー源がなくなるので、死とともに消滅します。つまり生と死のサイクルである輪廻転生から解放されます。
アラハンに到達すると、通常の家庭生活や経済活動などの関係が営めなくなります。出家者として、どんなしがらみからも自由で、どんな生命にも平等な立場でないと生活できないのです。寿命の残りが尽きて完全に滅するまでは、自分のためにすることはもう何も残っていないので、他者の悟りのためだけに生きることになります。
それより上のブッダは何者?
北伝の仏教では、ブッダはアラハンよりも上の段階で、「仏(ほとけ)の悟り」を開いた人としています。アラハンは死とともに消滅しますが、「ブッダは死後に仏になり(成仏する)さらに救済活動を行なう」という考え方です。そして釈迦(ゴータマ・ブッダ)だけがオンリーワン・ブッダだとしています。
しかし瞑想者の観点では、ブッダとアラハンの悟りは同一です。
ブッダの時代において「ブッダ」とは「目覚めた人」という意味で、その時代のインドの宗教であるジャイナ教などでは、修行が完成した覚者に対する敬称でした。ゴータマ・ブッダ自身も「私の前にも先にも、たくさんのブッダがいる」と言っています。
ブッダには3種類ある
ブッダには実は3種類の違いがあります。
sammāsambuddha サンマー・サン・ブッダ
完全な正覚者:自力で悟りを完成させて、他者を悟りに導く能力がある人。
この世には、5人までサンマー・サン・ブッダが出現するといわれ、ゴータマ・ブッダは4人目のサンマー・サン・ブッダです。ゴータマ・ブッダの一代前は、スッタニパータ第2章「1. 生臭いもの」に登場するカッサパ・ブッダです。また、過去にブッダは7人いて、ゴータマ・ブッダは7人目とする考えもあります(過去七仏)。スッタニパータ第3章「11.ナーラカ」には、ゴータマ・シッダッタが生まれた時、「7番目のサン・ブッダが生まれた」と天界の衆が大喜びした記述があります。
paccekabuddha パッチェーカ・ブッダ
単独の覚者:自力で悟りを完成させたが、他者を悟りに導く能力がない人。人知れず悟って、人知れず消滅します。
anubuddha アヌ・ブッダ
導かれた覚者:サンマー・サン・ブッダの教えに従って、悟りを完成させた覚者でアラハンのことです。ゴータマ・ブッダによって解脱したアラハンたちは、全員このパターンです。
ブッダと仏教
サンマー・サン・ブッダの出現によって、この世にブッダの教えが現れます。これがいわゆる仏教の原型です。
35歳の青年ゴータマ・シッダッタが、菩提樹の下で悟りの最終段階に至って修行を完成させ、ゴータマ・ブッダと敬称がつく覚者になった際に、ブラフマーから、その教えを人々に説くよう請われました。
ゴータマ・ブッダは他のブッダと違って、他者を悟りに導くことができる「サンマー・サン・ブッダ」だったからです。しかしブッダ は、ブラフマーの要請を2回も断っています。
「真理を説いても、俗世間の価値観の逆だから誰も理解できないだろう。語ったところで意味がない」と考えたのです。ブラフマーが3回目にお願いして、「世の中には汚れの少ない者もいるだろうから、そういった者には教えを説けば理解できるだろう」と教えを説くことにしました。
この時点を仏教の「開教」と捉える考えもありますが、当時のゴータマ・ブッダは、宗教家ではなく自由思想を探求する人です。ブッダはその後45年間に渡る教えの旅の中で、「私を信仰するのではなく、自分自身で実践して悟りに至るように」と説きました。
注)ブラフマーとは、インド哲学において、宇宙の源「ブラフマン(全ての存在に浸透している神聖な知性)」を神格化した現われ(ビジュアルイメージ)。仏教用語では、梵天と呼ばれています。
サンマー・サン・ブッダの教え
このサンマー・サン・ブッダの教えは、ある時間が経つと廃れていきます。
その教えを実践して覚るアラハン=アヌ・ブッダもいなくなり、結果としてサンガ(その教えを実践する集団)もなくなります。これが「無仏の時代」です。それが2500年続くと、次のサンマー・サン・ブッダが出現します。
1宇宙サイクルに1人出現する感じです。そういう意味で現在の仏教界が、釈迦(ゴータマ・ブッダ)をオンリーワンブッダとするのも頷けます。
なお、サンマー・サン・ブッダは、必ず人間です。また、インドにゴータマ・ブッダの教えを復活させたS.N.ゴエンカ氏は、インドからブッダの教えが消えた時から2500年経った現代が、5人目のサンマー・サン・ブッダ出現の時代と解釈しています。
ブッダの超常能力
また、ゴータマ・ブッダはブラフマーに他者を導くよう請われるくらいですから、他の存在界とも意識的な交流があったようで、いわゆる超常的能力を持っていました。説話の中でも遠隔で弟子の心に直接話しかけたり、ビジュアルを見せたり、瞬間移動したりさせたりしています。
他者の心を読んだりできる能力は、ブッダは弟子に禁じていたくらいなので、修行次第で開発できる超常能力のようです。また、ブッダ自身は過去生を見ることができました。これについて、私は以前は特別な能力だと思っていましたが、どうやら特別な能力ではないようです。
誰でも観察瞑想を極めると、自身の身体が素粒子レベルで観察できるようになりますが、そこに全ての記憶が刻まれているようです。
以上です。