悟り・涅槃・解脱の違い

悟り、涅槃、解脱。これらの違いがわかりますか?

わかる人は、この先は読まずに他のページにお進みくださいね。

悟りとか、涅槃とか、解脱とか、なんだか混同、混乱!」と言う方のために、なるべく簡潔に解説させていただきます。

簡単に言えば「悟りも涅槃も解脱も」同義語ですが、少しずつ違うのです。

悟りとは

まず、悟りと言っても、日常用語として使う「今日さ、悟ったよ〜」の「わかった、知った、気づいた」ではありません。ブッダにおける悟りについて説明します。

悟りとは、真理に目覚めることで、宇宙の真理を完全に正しく理解することです。

そもそも「真理」が、わかるようでわかりませんよね。真理とは、確実な根拠によって本当だと認められた事実、 ありのまま誤りなく認識された物事の本質、普遍的な事実のことです。

悟るべきことはただ1つです。

思考は発生したところで消滅して、生まれては消え、生まれては消えを常に繰り返している(無常)。これが自然の法則だ」と自分の体験を通して理解することです。

具体的には、6つの感覚器官(目・耳・鼻・口・身体・心)を通して身体の内外から得る刺激に対して、心が過去の記憶に基づいて再構成して認識する作用に常に気づき、外からの情報をありのままに受け止めるようにします。すると、全ての物事が絶え間なく変化する現象であること(無常)、自分という実体は本質的には存在しない(無我)という真実を発見できるのです。これが悟りのプロセスです。

この世(宇宙)のすべては、思考でできています。海も山も、家も花も人々もあらゆるものが思考です。そしてこの思考は、瞬間瞬間に生じては消え(sampajaññena サンパジャンニャ)、1つずつしか現れません。この事実に気づき(sati サティ)、一瞬でも自分の身体で体験することが「悟り」です。

この真理に気づいた時に「悟りを得た、悟りに到達した、悟りを開いた、悟りに至った」と使います。

ブッダが説いた悟りには、その習熟度によって4つの段階があります。第1段階のソータパンナ、第2段階のサカダーガーミ、第3段階のアナーガーミ、そして最終段階のアラハンです。

そしてこの最終段階に至ると「悟りを完成させて涅槃に到達した」ことになります。

涅槃(ねはん)とは

涅槃nibbāna ニッバーナ)とは、生と死を繰り返す輪廻転生のサイクルから解放された安らぎの境地のことです。

4段階の悟りを深めて最終段階のアラハンまでいくと、もう一切の欲がなくなり、心の汚れである煩悩を全て完全に滅し尽くした状態になります。煩悩は生命体のエネルギー源でもあるので、輪廻に必要なエネルギーが心に発生しなくなり、次の世での生命を生み出せなくなります。こうして輪廻転生のサイクルから解放されます。

これが「涅槃達成、涅槃に到達した、涅槃に至った」ということです。

そしてこの最終段階の悟りを完成させた人、つまりアラハンが死を迎えた時、もう生まれ変わらるためのエネルギー源がないのですから、死とともに精神は消滅し「涅槃を実現した」ことになります。肉体は、一般人と同様に腐敗して朽ちていきます。

このように、涅槃は「達成」と「実現」で、状況が大きく違います。

解脱(げだつ)とは

解脱はパーリ語で「vimutti 解放・自由」という意味です。

心の束縛」から、「煩悩」から、「輪廻転生のサイクル」から、「解かれ脱した自由になった」という意味です。仏教などインド発祥の宗教では、「涅槃達成、涅槃に到達した、涅槃に至った」ことを「解脱した」といいます。なお、「解脱を実現した」という使い方はしません。

「悟り」を得て、自身の心の執着や束縛や渇望を捨てて「解脱」し、もうやるべきことがない、迷いや悩みが一切ない安らぎの境地が「涅槃」です。

 

以上です。