瞑想と坐禅って、似ていますよね。どちらも目を閉じて、じっと動かずに静かに坐る。いったい何が違うのでしょうか?
※坐は当用漢字ではないので、「座禅」とする場合もあるが、正しくは「坐禅」です。
瞑想はインド、坐禅は中国
元々「禅」とは「jhāna ジャーナ:心が動揺しなくなった状態」のことで、インドの瞑想の伝統の中で培われたものであり、仏教だけでなく、共通の背景を持つヒンドゥー教やヨーガの用語としても用いられていました。
2500年前にゴータマ・ブッダの教えが、初期仏教として南アジアと北アジアに分かれて伝わる中、南インド出身の達磨僧が中国に伝え、大乗仏教の1宗派として禅宗が確立したといわれています。その後、日本に伝わり、日本の仏教の1つとして禅寺が各地に建てられました。
瞑想と坐禅の違い
瞑想は「洞察するために坐る」ことです。一方、坐禅は「目的を持たずにただ坐ること」です。目的を持った「習禅」や臨済宗の「看話禅」もありますが、いわゆる坐禅は、曹洞宗の祖・道元がとなえた「只管打坐」で「ただひたすら坐る」ことです。
坐り方が違う
瞑想は、足を組んで背筋をのばして坐れる格好であれば、なんでもOKです。
坐禅は、足の組み方は結跏趺坐か半跏趺坐です。手は法界定印(右掌を上に向け、その上に、左掌を上にして重ねる。両手の親指先端をかすかに合わせる)に組みます。
坐る向きが違う
瞑想は、静かな場所であればOKです。坐禅は、静かな場所であることはもちろんですが、曹洞宗では壁に面して坐り、臨済宗では壁を背にして坐ることになっています。いろいろお考え違いがありますね。
坐る時間
瞑想は時間は決まっていません。5分でも数時間でも本人の心がけ次第です。坐禅は、1本40分から1時間。線香が1本燃え尽きるまでの時間が基準となっています。
瞑想も坐禅も、集中が乱れてくると姿勢が前屈みになります。禅寺では、坐禅を行う者の背後に直堂(じきどう)と呼ばれる監督者が巡回し、姿勢の崩れた者の肩を警策(きょうさく・けいさく)で打ち、教えてくれます。親切ですね。瞑想では自己責任なので、いつのまにか爆睡中のこともあります。
以上、瞑想と坐禅の違いについてでした。