「気」って一体なんでしょう?
東洋医学でも武道でも、日常会話でもよく出てくるけど、改めて考えてみると???な言葉です。
例えば、りんごの木にも「気」があります。
りんごの木は、一粒の種子から育ちます。種子は、土・水・火(光)・風(大気)……いろんな自然の要素をどんどん集めて、やがて立派な樹木になります。
この「必要なものを集めようとする力」こそが、「気」なのです。
気は動く力
「必要なものを集めようとする力」は、欲求から生じる「勢い・動き・流れ」です。あらゆる物質は、「気」が必要なものを集めることで、できあがります。人間も同じです。
「気」は「動く力」です。
「動く=生きている」ですよね。「生きていないものは、動きません」。車は動いているように見えても、自分の力で動いているわけではありません。だから「生きている=自力で動く」ものです。
生きているものは、欲求を満たそうとする意識が働いて動くのです。動いて集めることで、成長し繁殖できるからです。欲求がなければこの力は出ません。動きの元には欲求が必ずあるのです。
気と心の違い
「気」は見えないし、触れません。五感では感じることができないけれど、空間に漂うものを感じとることができるものです。
では「気=心」なのでしょうか?
例えば「気が散る」とは、気持ち(感覚 )が一つに集中しないで、いろいろなことに心が引かれて、 注意が散漫になった状態です。つまり、「気」が感情に引きずられてコントロールできていない状態です。
この気をコントロールするのが、「心=意識」の役割です。心が気をコントロールすると、自分の身体のどの部分にでも自由に集めたり、散らしたりすることができるようになります。
つまり「気は心」ではなく「エネルギー」なのです。
身体的欲求から気は生じる
生き物の行動は、無意識であれ意識的であれ、常に欲求によって引き出された力の分散現象です。
この欲求は意思による欲求や頭で考えた欲求ではなく、本能的な身体的欲求なので、意思で行動しているのではありません。意思は行動に付随しているだけで、単に方向性を決めるだけです。
人間の行動は、五感で感受する外部からの刺激によってもたらされますが、人それぞれの心(6つ目の感覚器官)の感じ方によって反応が違います。また、同じ場面であっても、身体の状態によって感じ方も変化します。
例えば、空腹の時と満腹の時では、食べ物の匂いに対する反応が違います。欲求があると、その方向に感覚が鋭くなって、反応もしやすくなるのです。
人間以外の動物は、欲求が直接行動となって現れますが、人間には、欲求がそのまま素直に現れて動く場合と、ある感受性を通して頭で考えて意思を伴って動く場合があります。
「気」は伝わる
人と話すとき、私たちは言葉だけでなく、「気」を通じてもコミュニケーションしています。
例えば、「よかったら来てね」と言いながら、なんだか「来なくていいよ」という空気を漂わせている場面。これは身体から出てる「気」を感じ取ってるのです。
実際の言葉とこの気が食い違っているとき、相手の「気」を読み取れるかどうかが問われます。
気づかずに言葉通り受け取ると「空気が読めない」と言われ、逆に敏感に感じ取って行動を調整すれば「忖度した」と言われる。
私たちは、気という見えないコミュニケーションも多用して生きているのです。
日常につきまとう「気」
やる気、病気、気配、気づき、天気、気分、気まぐれ……
気のつく言葉って、ほんとに多いですよね。いいことから悪いことまで、私たちの周りには、常に「気」がつきまとっています。それだけ私たちの暮らしの中に、深く入り込んでいるのです。
目に見えないけど、確かにある「気」。
生きものとしてのエネルギーであり、動きであり、コミュニケーションのかたちでもある。
「気」って面白いですね。