akusala-mūla 3つの煩悩
煩悩とは、身心を乱し、悩ませ、苦しめる心の働き(汚れ)のこと。除夜の鐘で108つの煩悩を滅するなど、煩悩の数は諸説ありますが、その根本にある3つの煩悩が、最も克服すべき煩悩で、lobha(欲)、dosa(怒り)、moha(無知)の3つです。仏教では「三毒」と呼びます。
この3つの煩悩が、悪い行為(カンマ)を作り出す3つの悪い動機、諸悪の根源です。
lobha(ローバ)欲
Lobha は「〜しよう」と求める欲「欲求・need」です。
生命は自動的に自分が好むことをしようとします。この心地快いと感じる方向に向かおうとするエネルギーが lobha です。食べたいものを食べようとする動きです。見たいものを見ようとする。聞きたいものを聞こうとする。考えたいことを考えようとする。眠いから寝ようとする。人間のすべての行為に lobha が働いています。食べたくない時に、自ら進んで食べようとはしませんよね? 意識していませんが、そこには自分の欲があるのです。
欲に該当するパーリ語は、lobha・kāma・rāga・ taṇhā などがありますが、lobhaは、根本的な「欲求」です。空腹で食べ物が欲しいといった生存に必要な基本的なニーズから、不倫をしたいと思う「不浄な欲」も、すべて lobha に含まれます。心に求める欲が起きると、火のエネルギーが発生します。鳥が lobha の象徴です。
Kāma(カーマ)は「〜したいなぁ」と根拠なく身体的な快楽刺激を求める欲です。好きなものを見たい、好きな音を聞きたい、好きなものを味わいたい、快感を得たいといった欲です。人は退屈したり、認識したくないことが起こると、五感(目耳鼻舌体)から心地快い刺激を得たいという欲が、根拠なく生じます。「口寂しいから、何か食べたいなぁ」は kāma です。
Rāga(ラーガ)は「〜したい」欲しいと望む心で、lobha が強まった追求する欲望です。贅沢品を手に入れたい、儲かりたい、愛情や友情を得たい、幸福感や満足感を追求するなど、「得たい・したい・なりたい」という意識的な意欲を伴います。
Taṇhā(タンハー)は「ずっと欲しい!」と、非常に強く欲し続ける「渇望・craving」です。継続的に特定の物質(薬物・アルコール・食べ物など)を切望したり、継続的に特定の感情(愛情・承認・成功など)を強く望む欲ですが、継続的に欲するうちに、理性では抑えられない強烈な感情となります。Taṇhā は強いエネルギーなので、輪廻転生の源となります。「死にたくない! 生きたい!」といった一時的に強く生じる存在欲もtaṇhāです。「何かを食べよう」とする lobha も、飢餓時には rāga を通り越して、「なんでもいいから食べたい」という渇望に変わります。
Lobha はすべてに基本的にある欲求で、lobha < kāma < rāga < taṇhā の順に、欲が強くなると当サイトでは理解しています。
dosa(ドーサ)怒り
「怒り」や「悪意」の煩悩です。怒りが起きると、心が束縛されてコントロールできなくなります。蛇が dosa の象徴です。
moha(モーハ)無知
無知・妄想・迷いと訳すことも多いのですが、心の状態が明確でなく愚かな状態、それに基づいて悪い行為を作ってしまうことを意味します。心が「混乱」した状態です。
無知が起きると、心は正しい判断ができなくなります。豚が moha の象徴です。
これら3つは最終的には 「Taṇhā(タンハー 渇望)」に変化します。
3つの健全な精神
lobha、dosa、mohaに対して、それとは反対の3つの健全な精神があります。
dāna(ダーナ)お布施
lobhaの反対は「dāna(ダーナ)お布施」です。お布施とは、英語の「donation(ドネーション)」と同じく「寄付」という意味です。
他者にお金や衣食住を施すことですが、それだけでなく、相手の利益になるよう教えを説くこと、恐怖心や不安を取り除いて他者を安心させることも含まれます。つまり与えることです。
mettā(メッター)慈愛
dosaの反対は「mettā(メッター)慈愛・慈悲の心」です。生きとし生けるすべてのものに、深い友愛の心、慈しみの心を持つことです。「4つの徳」の1番目です。
paññā(パンニャー)知恵
mohaの反対は「paññā(パンニャー)知恵」です。
仏教用語では、音写で般若(はんにゃ)と呼びますが、般若の面が浮かんでしまい、どうにも本来のパンニャーとは結びつけられません。これも中国や朝鮮を経由して北方から伝わったブッダの教えが、日本に伝わるまでに、いろいろゴッチャになった感があります。
ブッダが教えた「paññā」は、3種類です。
suta-maya-paññā スタ・マヤ・パンニャー
他者の知恵に基づく知識です。書籍や聴講など他者から学ぶことで得た知識です。
cinta-maya-paññā チンタ・マヤ・パンニャー
自分自身の考察に基づく知恵です。人から学ぶのではなく、知識を基に自身で思考や理論的推論を深めて得た知恵です。
bhāvanā-maya-paññā バーヴァナー・マヤ・パンニャー
直接的な体験に基づく智慧です。自身の身体を通して体験する感覚から得られる気づきのことで、すべてのものごとや道理を明確に見抜く深い智慧のことです。
知恵や知識のレベルではなく、宇宙の真理を体得し「無常・無我・苦」の真理を理解した智慧のことです。
以上です。