A. 5つの障害
修行者たちよ。では、どうやって心の中の動きを観察するのでしょう?
修行者は、5つの障害について、心の中の動きを観察し続けるのです。
では、どのように5つの障害について、心の中の動きを観察するのでしょう?
感覚的欲求
欲求がある時には、「私の中には欲求がある」とはっきり自覚するのです。
欲求がない時には、「私の中には欲求がない」とはっきり自覚するのです。
まだ生じていない欲求が、どのように生じるのかをはっきり自覚するのです。
すでに生じた欲求が、どのように消えるのかをはっきり自覚するのです。
消えた欲求が、どのようにすれば将来生じないかをはっきり自覚するのです。
嫌悪(怒りや憎しみ)
嫌悪がある時には、「私の中には嫌悪がある」と自覚するのです。
嫌悪がない時には、「私の中に嫌悪はない」と自覚するのです。
まだ生じていない嫌悪が、どのように生じるのかを自覚するのです。
すでに生じた嫌悪が、どのように消えるのかを自覚するのです。
消えた嫌悪が、どのようにすれば将来生じないのかを自覚するのです。
怠惰・眠気
怠け心や眠気がある時には、「私の中には怠け心や眠気がある」と自覚するのです。
無気力や怠け心がない時には、「私の中には怠け心や眠気がない」と自覚するのです。
まだ生じていない怠け心や眠気が、どのように生じるのかを自覚するのです。
すでに生じた怠け心や眠気が、どのように消えるのかを自覚するのです。
消えた怠け心や眠気が、どのようにすれば将来生じないのかを自覚するのです。
焦り・不安(心が落ちつかない)
焦りや不安がある時には、「私の中には焦りや不安がある」と自覚するのです。
焦りや不安がない時には、「私の中には焦りや不安がない」と自覚するのです。
まだ生じていない焦りや不安が、どのように生じるのかを自覚するのです。
すでに生じた焦りや不安が、どのように消えるのかを自覚するのです。
消えた焦りや不安が、どのようにすれば将来生じないのかを自覚するのです。
疑い・迷い
疑いや迷いがある時には、「私の中には疑いや迷いがある」 と自覚するのです。
疑いや迷いがない時には、「私の中には疑いや迷いがない」 と自覚するのです。
まだ生じていない疑いや迷いが、どのように生じるのかを自覚するのです。
すでに生じた疑いや迷いが、どのように消えるのかを自覚するのです。
消えた疑いや迷いが、どのようにすれば将来生じないのかを自覚するのです。
このようにして心の中の動きを、内面からありのままに観察し、または外面から、あるいは内面と外面を同時に観察するのです。心の中の動きが生じる現象を観察し、または心の中の動きが消滅する現象を、あるいは心の中の動きが生じては消える現象を観察し続けるのです。そうして「すべての物事は、絶え間なく変化し続ける現象に過ぎない。身体は身体に過ぎない。私でもなく、私のものでもなく、自分でもない」という気づきが確立されるのです。この智慧と気づきがある限り、この世に自分など存在しないのだから、存在しない自分が執着していた「苦悩」もなくなるのです。
修行者たちよ。修行者は、このようにして心の中の動きを心の中の動きにおいて観察し、生きるのです。
4. ダンマーヌパッサナー(心の中の動きの観察)A.5つの障害 了
解説
Nīvaraṇa:5つの障害(蓋、カーテン)という意味です。
1. kāmacchanda(カーマチャンダ):感覚的欲求。好きで気に入っている6つの感覚器官の対象が欲しいと思う欲です。
2. byāpāda:嫌悪。6つの感覚器官の対象が、自分の感情で思う通りにならない場合、心が苛立つ感覚です。
3. thīna-middha:怠惰・眠気。
4. uddhacca-kukkucca:焦り・不安。心が落ちつかない様子です。
5. vicikicchā:疑い。自分の進む道が不安になって疑う気持ちです。
「心の中の動き」とは何でしょうか?
心の対象として心に浮かぶ感覚・感情・思考・想念など、あらゆる精神作用のことです。心の対象としてのdhamma(現象)は、過去・現在・未来、身体的・精神的、条件付き・条件なし、現実・空想のいずれであっても心の中の動きです。