F. 9段階の死体の観察
第1段階
修行者たちよ。死体置き場に捨てられ、死後1日、2日、3日と経ち、青く変色して腫れあがり腐っている様子を見るのです。 そうして、その死体と自分の身体を比べるのです。
「この身体もあの死体と同じなのだ、この身体もあのようになる、それは避けられないことなのだ」 と。
このようにして身体を、身体の内側からありのままに観察し、または身体の外側から、あるいは身体の内側と外側を同時に、観察するのです。身体が生じるという現象を観察し、または身体が消滅するという現象を、あるいは身体が生じては消えるという現象を観察し続けるのです。そうして「すべての物事は、絶え間なく変化し続ける現象に過ぎない。身体は身体に過ぎない。私でもなく、私のものでもなく、自分でもない」という気づきが確立されるのです。この智慧と気づきがある限り、この世に自分など存在しないのだから、存在しない自分が執着していた「苦悩」もなくなるのです。修行者たちよ。修行者は、このようにして身体を身体において観察し、生きるのです。
第2段階
修行者たちよ。死体置き場に捨てられた死体が、カラスに貪られ、禿鷹に貪られ、鷹に貪られ、サギに貪られ、犬に貪られ、虎に貪られ、豹に貪られ、ジャッカルに貪られ、さまざまな虫に貪られている様子を見るのです。 そうして、その死体と自分の身体とを比べるのです。
「この身体もあの死体と同じなのだ、この身体もあのようになる、それは避けられないことなのだ」 と。
このようにして身体を、身体の内側からありのままに観察し、または身体の外側から、あるいは身体の内側と外側を同時に、観察するのです。身体が生じるという現象を観察し、または身体が消滅するという現象を、あるいは身体が生じては消えるという現象を観察し続けるのです。そうして「すべての物事は、絶え間なく変化し続ける現象に過ぎない。身体は身体に過ぎない。私でもなく、私のものでもなく、自分でもない」という気づきが確立されるのです。この智慧と気づきがある限り、この世に自分など存在しないのだから、存在しない自分が執着していた「苦悩」もなくなるのです。修行者たちよ。修行者は、このようにして身体を身体において観察し、生きるのです。
第3段階
修行者たちよ。死体置き場に捨てられた死体が、血と肉がまだついていた骸骨となり、腱でつながっている様子を見るのです。 そうして、その死体と自分の身体とを比べるのです。
「この身体もあの死体と同じなのだ、この身体もあのようになる、それは避けられないことなのだ」 と。
このようにして身体を、身体の内側からありのままに観察し、または身体の外側から、あるいは身体の内側と外側を同時に、観察するのです。身体が生じるという現象を観察し、または身体が消滅するという現象を、あるいは身体が生じては消えるという現象を観察し続けるのです。そうして「すべての物事は、絶え間なく変化し続ける現象に過ぎない。身体は身体に過ぎない。私でもなく、私のものでもなく、自分でもない」という気づきが確立されるのです。この智慧と気づきがある限り、この世に自分など存在しないのだから、存在しない自分が執着していた「苦悩」もなくなるのです。修行者たちよ。修行者は、このようにして身体を身体において観察し、生きるのです。
第4段階
修行者たちよ。死体置き場に捨てられた死体が、すでに肉がなくなり血だけがこびりついた骸骨となり、腱でつながっている様子を見るのです。 そうして、その死体と自分の身体とを比べるのです。
「この身体もあの死体と同じなのだ、この身体もあのようになる、それは避けられないことなのだ」 と。
このようにして身体を、身体の内側からありのままに観察し、または身体の外側から、あるいは身体の内側と外側を同時に、観察するのです。身体が生じるという現象を観察し、または身体が消滅するという現象を、あるいは身体が生じては消えるという現象を観察し続けるのです。そうして「すべての物事は、絶え間なく変化し続ける現象に過ぎない。身体は身体に過ぎない。私でもなく、私のものでもなく、自分でもない」という気づきが確立されるのです。この智慧と気づきがある限り、この世に自分など存在しないのだから、存在しない自分が執着していた「苦悩」もなくなるのです。修行者たちよ。修行者は、このようにして身体を身体において観察し、生きるのです。
第5段階
修行者たちよ。死体置き場に捨てられた死体が、血も肉もない骸骨となり、腱でつながっている様子を見るのです。 そうして、その死体と自分の身体とを比べるのです。
「この身体もあの死体と同じなのだ、この身体もあのようになる、それは避けられないことなのだ」 と。
このようにして身体を、身体の内側からありのままに観察し、または身体の外側から、あるいは身体の内側と外側を同時に、観察するのです。身体が生じるという現象を観察し、または身体が消滅するという現象を、あるいは身体が生じては消えるという現象を観察し続けるのです。そうして「すべての物事は、絶え間なく変化し続ける現象に過ぎない。身体は身体に過ぎない。私でもなく、私のものでもなく、自分でもない」という気づきが確立されるのです。この智慧と気づきがある限り、この世に自分など存在しないのだから、存在しない自分が執着していた「苦悩」もなくなるのです。修行者たちよ。修行者は、このようにして身体を身体において観察し、生きるのです。
第6段階
修行者たちよ。死体置き場に捨てられた死体が、バラバラの骨になり、手の骨、足の骨、足首の骨、脛 (すね) の骨、大腿骨、骨盤、脊椎、背骨、肩甲骨、頸骨、顎の骨、歯、頭蓋骨が、あちこちに散乱している様子を見るのです。 そうして、その死体と自分の身体とを比べるのです。
「この身体もあの死体と同じなのだ、この身体もあのようになる、それは避けられないことなのだ」 と。
このようにして身体を、身体の内側からありのままに観察し、または身体の外側から、あるいは身体の内側と外側を同時に、観察するのです。身体が生じるという現象を観察し、または身体が消滅するという現象を、あるいは身体が生じては消えるという現象を観察し続けるのです。そうして「すべての物事は、絶え間なく変化し続ける現象に過ぎない。身体は身体に過ぎない。私でもなく、私のものでもなく、自分でもない」という気づきが確立されるのです。この智慧と気づきがある限り、この世に自分など存在しないのだから、存在しない自分が執着していた「苦悩」もなくなるのです。修行者たちよ。修行者は、このようにして身体を身体において観察し、生きるのです。
第7段階
修行者たちよ。死体置き場に捨てられた死体は、ホラ貝のように白くなった骨を見るのです。 そうして、その死体と自分の身体とを比べるのです。
「この身体もあの死体と同じなのだ、この身体もあのようになる、それは避けられないことなのだ」 と。
このようにして身体を、身体の内側からありのままに観察し、または身体の外側から、あるいは身体の内側と外側を同時に、観察するのです。身体が生じるという現象を観察し、または身体が消滅するという現象を、あるいは身体が生じては消えるという現象を観察し続けるのです。そうして「すべての物事は、絶え間なく変化し続ける現象に過ぎない。身体は身体に過ぎない。私でもなく、私のものでもなく、自分でもない」という気づきが確立されるのです。この智慧と気づきがある限り、この世に自分など存在しないのだから、存在しない自分が執着していた「苦悩」もなくなるのです。修行者たちよ。修行者は、このようにして身体を身体において観察し、生きるのです。
第8段階
修行者たちよ。死体置き場に捨てられた死体が、1年以上経ち、山積みの骨となった様子を見るのです。 そうして、その死体と自分の身体とを比べるのです。
「この身体もあの死体と同じなのだ、この身体もあのようになる、それは避けられないことなのだ」 と。
このようにして身体を、身体の内側からありのままに観察し、または身体の外側から、あるいは身体の内側と外側を同時に、観察するのです。身体が生じるという現象を観察し、または身体が消滅するという現象を、あるいは身体が生じては消えるという現象を観察し続けるのです。そうして「すべての物事は、絶え間なく変化し続ける現象に過ぎない。身体は身体に過ぎない。私でもなく、私のものでもなく、自分でもない」という気づきが確立されるのです。この智慧と気づきがある限り、この世に自分など存在しないのだから、存在しない自分が執着していた「苦悩」もなくなるのです。修行者たちよ。修行者は、このようにして身体を身体において観察し、生きるのです。
第9段階
修行者たちよ。死体置き場に捨てられた死体が、その骨が粉々になり、塵 (ちり) にすぎない様子を見るのです。 そうして、その死体と自分の身体とを比べるのです。
「この身体もあの死体と同じなのだ、この身体もあのようになる、それは避けられないことなのだ」 と。
このようにして身体を、身体の内側からありのままに観察し、または身体の外側から、あるいは身体の内側と外側を同時に、観察するのです。身体が生じるという現象を観察し、または身体が消滅するという現象を、あるいは身体が生じては消えるという現象を観察し続けるのです。そうして「すべての物事は、絶え間なく変化し続ける現象に過ぎない。身体は身体に過ぎない。私でもなく、私のものでもなく、自分でもない」という気づきが確立されるのです。この智慧と気づきがある限り、この世に自分など存在しないのだから、存在しない自分が執着していた「苦悩」もなくなるのです。修行者たちよ。修行者は、このようにして身体を身体において観察し、生きるのです。
1.カーヤーヌパッサナー(身体の観察)F.9段階の死体の観察 了
解説
ここでの観察は、死体置き場に行って、朽ち果てていく死体を観察する修行です。ブッダは、死体置き場に放置された、まだ生々しい若い女性の裸死体に反応してしまう修行僧に対してなど、肉体に対する欲望が消えない若い修行僧たちに、この観察法を指導しました。