D.悟りに必要な7つの要素
修行者たちよ。修行者は、7つの悟りに必要な要素について、心の中の動きを観察し続けるのです。
では、どのように、7つの悟りに必要な要素について、心の中の動きを観察するのでしょう?
sati 気づき
悟りに必要な気づきが自分の中にある時、「悟りに必要な気づきが私の中にある」 と自覚するのです。悟りに必要な気づきが自分の中にない時、「悟りに必要な気づきが私の中にない」と自覚するのです。また、まだ生じていない悟りに必要な気づきが、どのようにすれば生じるかを自覚するのです。そして、どうすれば生じた悟りに必要な気づきを高めて完成させられるかを自覚するのです。
dhammavicaya 探究心
悟りに必要な探求心が自分の中にある時、「悟りに必要な探求心が私の中にある」と自覚するのです。悟りに必要な探求心が自分の中にない時、「悟りに必要な探求心が私の中にない」と自覚するのです。また、まだ生じていない悟りに必要な探求心が、どのようにすれば生じるかを自覚するのです。そして、どうすれば生じた悟りに必要な探求心を高めて完成させられるかを自覚するのです。
viriya やる気(努力)
悟りに必要なやる気が自分の中にある時、「悟りに必要なやる気が私の中にある」と自覚するのです。悟りに必要なやる気が自分の中にない時、「悟りに必要なやる気が私の中にない」 と自覚するのです。また、まだ生じていない悟りに必要なやる気が、どのようにすれば生じるかを自覚するのです。そして、どうすれば生じた悟りに必要なやる気を高めて完成させられるかを自覚するのです。
piti 喜び
悟りに必要な喜びが自分の中にある時、「悟りに必要な喜びが私の中にある」と自覚するのです。悟りに必要な喜びが自分の中にない時、「悟りに必要な喜びが私の中にない」と自覚するのです。また、まだ生じていない悟りに必要な喜びが、どのようにすれば生じるかを自覚するのです。そして、どうすれば生じた悟りに必要な喜びを高めて完成させられるかを自覚するのです。
passaddhi 落ち着き
悟りに必要な落ち着きが自分の中にある時、「悟りに必要な落ち着きが私の中にある」と自覚するのです。悟りに必要な落ち着きが自分の中にない時、「悟りに必要な落ち着きが私の中にない」と自覚するのです。また、まだ生じていない悟りに必要な落ち着きが、どのようにすれば生じるかを自覚するのです。そして、どうすれば生じた悟りに必要な落ち着きを高めて完成させられるかを自覚するのです。
samadhi 集中力
悟りに必要な集中力が自分の中にある時、「悟りに必要な集中力がわたしの中にある」と自覚するのです。悟りに必要な集中力が自分の中にない時、「悟りに必要な集中力がわたしの中にない」と自覚するのです。また、まだ生じていない悟りに必要な集中力が、どのようにすれば生じるかを自覚するのです。そして、どうすれば生じた悟りに必要な集中力を高めて完成させられるかを自覚するのです。
upekkha 平静さ
悟りに必要な平静さが自分の中にある時、「悟りに必要な平静さが私の中にある」 と自覚するのです。悟りに必要な平静さが自分の中にない時、「悟りに必要な平静さが私の中にない」 と自覚するのです。また、まだ生じていない悟りに必要な平静さが、どのようにすれば生じるかを自覚するのです。そして、どうすれば生じた悟りに必要な平静さを高めて完成させられるかを自覚するのです。
このようにして心の中の動きを、内面からありのままに観察し、または外面から、あるいは内面と外面を同時に観察するのです。心の中の動きが生じる現象を観察し、または心の中の動きが消滅する現象を、あるいは心の中の動きが生じては消える現象を観察し続けるのです。そうして「すべての物事は、絶え間なく変化し続ける現象に過ぎない。身体は身体に過ぎない。私でもなく、私のものでもなく、自分でもない」という気づきが確立されるのです。この智慧と気づきがある限り、この世に自分など存在しないのだから、存在しない自分が執着していた「苦悩」もなくなるのです。
修行者たちよ。修行者は、このようにして心の中の動きを心の中の動きにおいて観察し、生きるのです。
ダンマーヌパッサナー(心の中の動きの観察)D.7つの悟りの要素 了