黙っていなさい
ブッダは弟子たちに「余計なことを言うくらいなら、黙っていなさい」と、常に言い聞かせていました。
黙っているのって難しいですよね。わかっていてもいなくても、余計なことばかり言ってしまう自分。沈黙が耐えられない自分。パッと浮かぶと黙っていられない自分。本当に愚か者過ぎて、嫌になってしまいます。
私たちの社会では「言論・表現の自由」が憲法によって保障されています。自分の思想・意見・主張・感情などを、表明する自由があります。つまり何を言ってもいい社会です。しかしブッダ的には、好き勝手に言葉を発してはいけないのです。言葉は簡単に暴力になり、時には人を殺してしまう威力さえあるからです。
言葉は、心で感じた思い
言葉は、心で感じたこと、思ったことです。何を言ってもいい社会=何を考えてもいい社会です。思ったことを音として発することで、言葉は行為として他者とつながります。人間は言葉によってつながり、言葉によって支え合っています。発せられる音によって、他者はその人を好ましく思ったり、不快に思ったりします。
ブッダが説いた5つの戒め「五戒」は、それを守れば徳の道となる、いわゆる道徳です。この4つ目の戒めが「Musāvādā veramaṇī(偽りの言葉から離れること)」です。悪語を発すると、他を傷つける行為になるので、悪い行為(悪業)として Kamma(業)を積むことになります。
言葉の暴力には「嘘をつかない、乱暴な言葉、噂話、無駄話はしない」という4つの言葉の戒めがあります。
1. 嘘
嘘とは「自分の知っている事実と異なることを、事実だとして他者に伝えること」です。故意に語られ、他者や社会に迷惑・損害を与える言葉です。
嘘には2種類あります。
まず1つ目は、他者を騙す行為です。自分の利益のために、他者を騙して得をしようとする行為です。誰かを騙すことは、その相手よりも自分を優位にしたいというエゴです。
2つ目は、自分がなにか悪いことをして、それを隠したい場合です。
人間は不完全なので、悪いことをしない人はいません。だから間違いに気づいたなら、すぐにそれを認めて、改善すればいいのです。そこで嘘をつくのは、その間違いを正当化して無かったことにしようとごまかす行為で、悪行為を改善する道を閉してしまいます。
たとえ悪いことをしても素直に認めれば、その一回で悪業は終わり、改善することで人が成長する学びになります。しかしごまかせば、その違和感は何となく周囲に伝わり、その居心地の悪さを改善しようとさらに嘘を重ねることになり、悪行為がどんどん膨らんで、心に蓄積されていきます。
自我を守るための保身の小さな嘘が、いつの間にか大きな嘘で塗り固められて、自分自身が身動きとれなくなってしまうのです。「小さな嘘でも決してつかない」ことが、自分の身を守るために一番大切なことなのです。
2. 暴言・きつい言葉
暴言、きつい言葉、厳しい言葉は、相手に直接ぶつける言葉の暴力です。心に余裕がなくなった時に発せられる言葉で、相手に自分の気持ちや考えなどを伝えたいのにうまくできなくて、乏しいボキャブラリーから、とっさに激しい怒りの言葉を選んで投げつけた状態です。
この時、そもそも自分の心に湧き上がる怒りの感情を客観視できていません。自分でもよくわからない感情を、既存の言葉に脳内で置き換えるのも至難の技です。さらに相手にこの感情を音声としてわかりやすく伝達して、相手に「なるほど、そりゃそうだ。悪かったね」と、自分の視点で理解してもらうとなると、事実上不可能です。これを瞬時に達成しようとして暴言になるのです。
怒っていないのに怒りの言葉を使ったり、「止めた方がいいよ」と伝えるために「バカ!」と言ったり、心が混乱して使うべき言葉を間違ってしまうのです。
また、家族などの親しい間柄では遠慮がなくなり、厳しい言葉をぶつけがちです。一度ぶつけると、癖になって事あるごとに暴言を吐いてしまうようになります。たまった感情を吐き出して、すっきりするからです。
人は漠然とした不安が心にあると、それを吐き出したくなります。本当は家族には何の否もないのに、感情を爆発させたくて、言いやすい相手に言葉で噛み付いたりぶつけたり、感情のゴミ箱にしてしまうのです。これに気づいて意識して止めないと、どんどんエスカレートして、自分も家族も不幸になります。
3. 噂話・悪口
噂話や悪口は、暴言のように直接相手にぶつける言葉ではありませんが、人と人の仲を裂く悪行為です。
噂の内容がたとえ真実であっても、それを伝えることで人間関係の仲を裂く行為はいけないのです。噂を聞かされた人は相手を疑ったり、避けるようになり、仲が悪くなって人の調和が乱れます。
「Aさんが、あなたの悪口、言ってたよ」とBさんに報告するのも、余計なお世話で言葉の暴力です。嘘は言っていなくても、当然、人間関係にヒビが入ります。もし本当に良くないと思うのなら、Bさんに報告するのではなく、最初に悪口を言ったAさんに、悪口を言うのはよくないことを伝えて、二人の仲を修正した方がいいのです。それができないのなら、わざわざBさんに伝える必要はなく、黙っていればいいのです。
人の仲を裂く行為の根底には、自分の考えの共感者・賛同者を得ることで、自分の心のモヤモヤを解決したいという意図があります。これは自尊心を満たしたいという慢心です。そのことに気づいて、戒めるのです。
4. 無駄話
無駄話は、他者の時間を奪う行為です。同時に自分の大切な時間も無駄になります。
無駄話は無意味で、ただ人の心を一時的に紛らすだけの、単なる感情の吐口です。ペラペラと無益なことを喋る人は、ただその場を取り繕おうとして、頭が混乱している状態で無知です。
特に女性は、「私」についてや、 もやもやしていること、 悩んでいることを話して共感を得て安心したい傾向が強いようです。
本当はこうしたいのにできない時、人の心はモヤモヤします。無駄話は、そんな私の不安な気持ちを話すことで、第三者のあなたに紛らしてほしい、ということです。本当は、こうしたい思う行動があって、でもそうすることで、失敗して自分が傷つくのが怖いのです。
人が無駄話を始める時には、何か不安なことがあるのです。そのことに気づいたら、「本当はどうしたいのか?」と自分に問うことで、他者や自分の時間を無駄にすることがなくなります。
以上の4つが言葉の暴力です。
言葉は生き物
言葉は文化そのもので、時代とともに変化する生き物です。そして、その人の言語能力によっても違います。話が上手な人もいれば、下手な人もいます。表現力が乏しくて、何を言っているのかさっぱりわからない人もいれば、ペラペラと饒舌に内容のない話を聞かせて、周囲を納得させてしまう人もいます。正解はないのです。
他人に理解できるように話すだけでなく、他者の言葉を理解するのも、実はとても難しいのです。相手が話す言葉から、何を伝えたいのかを理解しなくてはなりません。正しく話すだけではなく、正しく聞くことも重要です。
言葉には裏と表があります。人が表現したい感情と言葉は、必ずしも一致しません。言葉の表面的な意味に惑わされずに、相手が本当に伝えたい気持ちは何なのかを、注意深く他者の話を聞くようにすると、人は大きく成長します。
他者を注意する時には、たとえ自分の子供を叱る場合でも、相手の尊厳を守り、傷つけないように言葉を選び、命令するのではなく、親切にアドバイスします。勉強しない子供に向かって、「勉強しなさい」と叱っても、効果はしれています。勉強せずにはいられないようにアドバイスするのです。相手が気持ちよく、喜んで改善できる方向にするのです。そのためには、まず自分が成長しなければなりません。そうして初めて、相手が成長する助けとなるのです。
人と人とのつながりは、言葉によって成り立っています。真実を語る、優しい言葉を使う、有意義な言葉を語る、社会の調和を保つ目的で語る、など言葉を選んで気をつけることによって、人は心を成長させることができます。
家族において父親や母親は、目上の存在でリードする立場ですが、子供たちは両親に支配されているわけではありません。リーダーがいて全体を取りまとめますが、メンバーはそれぞれ精神的な自由があり、それぞれが持ち味を生かして、花開いて成長します。
会社も学校も国も同じです。誰かがリードしますが、メンバーが支配される必要はないのです。世界中のどこであっても、私たちに必要なのは、共に認め合って助け合うことです。
社会にはいろいろな立場がありますが、みんな同等で、それぞれが気持ちを持っています。誰も否定されたくはないし、厳しく言われたくはないのです。褒めてほしいし、応援してほしいのです。
以上です。