私たちは、どうして不安になるのか?
不安は本来、自分や家族を守るために備わった働きです。
危険を察知し、身を守るための自然な反応のひとつだと言えます。
むしろ、まったく不安を感じない人がいたら、それはそれで少し心配ですよね。
守る=分離
しかし「守る」という行為は、同時に他者との間に境界線を引くことでもあります。
その境界線は壁となり、心は城塞を築いてしまいます。そして城塞が破られないように防衛本能を強め、分離の感覚をいっそう強固にしていきます。
外の世界を警戒しながら、城塞の中から周囲を見張る生活が始まります。城の中は安全ですが、ちょっと息苦しい。この緊張感がますます不安にさせる。
「守る」と決めた瞬間、私たちは無意識のうちに「守るべき自分」と「警戒すべき他者」を作り出します。
敵を想定し、その存在を現実のものにしてしまいます。敵がいなければ、城塞を作る理由もなくなってしまうからです。
価値観に反するものは敵
人間は、五感を通して外界から入ってくる情報を、過去の記憶と照らし合わせて理解しています。そして常に「それが自分にとって安全かどうか」という基準で価値判断を行っています。
その結果、自分に都合のよい情報だけを受け入れ、不都合なものは排除しようとします。
食べ物も、人間関係も、宗教や思想も同じです。自分にとって都合のよいものは信じて価値観を強化し、それに反するものは拒絶します。
人間はわりと素直なので、「これは正しい」と思った瞬間から、それを証明する材料ばかり集め始めます。
こうして私たちは、自分が正しいと信じる基準によって世界を「善」と「悪」に分け、敵を生み出していきます。
敵と仲間で対立
そして、その敵から自分を守るために仲間との結束を強めます。しかし強い結束は、相手側の結束も同じように強め、対立をさらに深めていきます。
このようにして私たちは、不安を土台として道徳やルールを作り、他者がそこから外れないようにコントロールしようとします。
私たちが当然のものとして受け入れている社会の仕組みや価値観の多くは、不安を基盤として形づくられてきたものです。
不安の連鎖に気づく瞑想
瞑想は、この不安の連鎖を外側から変えようとするのではなく、
その連鎖が自分の内側でどのように生まれているのかに気づいて観察する手段です。
外界の対象に触れると、身体と同時に心の中に接触が生じます。
その接触から、快・不快・どちらでもないという感覚が生まれます。そしてその感覚をきっかけに、好む・嫌うといった反応が起こります。
この反応が積み重なることで、「好きなもの」「嫌いなもの」「守るべきもの」といった観念が作られていきます。そしてそれらがやがて「自分」と「他者」という分離の感覚を強め、不安や対立の世界を生み出していくのです。
瞑想は、この無意識の連鎖に気づくための練習です。
接触が起こり、感覚が生まれ、判断して反応が起こる。その一つ一つの過程を観察して気づく練習なのです。接触が起こって、感覚が生まれ、判断しちゃっても反応しないように訓練するのが、ヴィパッサナー瞑想の目的です。この中で、自分の内側で作り出されていた不安の構造にも気づくことができるのです。
呼吸を見つめる
漠然とした不安に押しつぶされそうになるとき、ほんの数分でも、呼吸に意識を向けていると、不安は少し落ち着いてきます。
呼吸に気づいている間は、無意識に続いていた反応の連鎖が、いったん止まるからです。
静かに呼吸を見つめていると、不安は外の世界にあるのではなく、心の中の反応の連鎖の中で生まれていたのだと、少しずつわかってきます。
世界が急に平和になったわけではなく、心の波が少し静かになったのです。
そうなれば、不安は以前ほど確かなものには感じられなくなります。
城塞から脱出です。
以上です。
