ダンマパダ15章 197〜208

Sukha-vaggo 楽の章

ダンマパダ15章は、Sukha(ラク)」がテーマです。Sukhaは「楽・気軽・幸福」という意味で、心身に苦悩がなく安らかな状態です。

DhP.197

susukhaṁ vata jīvāma,
真に・安楽 実に 生きよう
verinesu averino; 
敵意ある中で ない・敵意
verinesu manussesu, 
敵意ある中で 人々の中で
viharāma averino.
住む ない・敵意

気楽に生きよう。
敵意に満ちた世界でも
敵意を持たずに
敵意に満ちた人々の中でも
敵なく暮らそう。

エピソード
ブッダの生まれ故郷、シャーキヤ族の町カピラワットゥとコリャン族の町コリヤは、ロヒニ川の両岸に位置していました。両町ではロヒニ川の水を利用して田んぼに水を引いていましたが、ある年、雨が十分に降らず、稲が枯れ始めました。川の水を自分たちの田に流そうとしたコリヤの人々に、カピラバトゥの人々は「そんなことをしたら、こっちの田んぼの水が足りなくなる」と主張しました。互いに譲らず、ついには戦争になりました。

それを知ったブッダは、両岸で戦争を始めようと集まったところに現れて「あなたたちが奪い合う、その水の価値はどれだけすごいのか?」と問いました。「水はタダです」と答えると、「タダの水と引き換えに、かけがえのない命が奪われることはあってはならない。もし私が今日あなたを止めなかったら、今頃あなたの血はこの川のように流れていた。あなたは敵を憎んで生きているが、私には憎むべきものがない」と諭しました。そして均等に分けて節約して使う方法を教えました。

解説
歴史上、まっとうな理由で起きた戦争はありません。あらゆる戦争が、意味のない単なる言い訳の積み重ねによって起きたものです。争っても土地も水も自分のものにはなりません。傷ついて死ぬだけです。

DhP.198

susukhaṁ vata jīvāma, 
真に・安楽 実に 生きよう
āturesu anāturā; 
病む中で ない・病から
āturesu manussesu, 
病む中で 人々の中で
viharāma anāturā.
住む ない・病から

気楽に生きよう。
病んだ世界でも
悩んだりしないで
病む人々の中でも
悩みなく暮らそう。

解説
ここでの「病い」は、単なる病気だけでなく広範囲な「患いごと悩みごと」の意味です。あらゆる病は精神的苦悩に起因するという考えに基づいています。

DhP.199

susukhaṁ vata jīvāma, 
真に・安楽 実に 生きよう
ussukesu anussukā; 
精力的な中で ない・精力的から
ussukesu manussesu, 
精力的中で 人々の中で
viharāma anussukā.
住む ない・精力的から

気楽に生きよう。
ワクワクする世界でも
興奮しないで
エネルギッシュな人々の中でも
静かに暮らそう。

解説
気持ちが上がる
ことは、良いことだと思って、私たちは楽しみを見つけて盛り上がろうとします。ハイテンションな状態は、一時的なものです。その状態を維持するためには、常にエキサイティングでワクワクする刺激を求めることになります。心にゆとりがない状態です。

逆に気分が落ち込むとテンションが低い状態になります。上がったり下がったり、私たちの心は余裕がないのです。気持ちのアップダウンがなく、心が安定した状態が理想です。刺激を求めて「みんながやってるから、私も」ではなく、「みんながやっていることは、やらない」方がいいのです。

DhP.200

susukhaṁ vata jīvāma, 
真に・安楽 実に 生きよう
yesaṁ no natthi kiñcanaṁ; 
何も 私たちは ない 妨げ
pītibhakkhā bhavissāma, 
喜びを・糧とする あるだろう
devā ābhassarā yathā.
神々 眩い ように

気楽に生きよう。
何もなければ妨げもない
喜びを糧にして
神々のように眩く生きるだろう。

解説
欲と嫌悪に振り回されて悩み苦しむのが、この世の常ですが、欲も敵意も無知もない人には、失うものは何もないのです。だから何の怖れも不安もありません。たとえ食べ物がなくても、喜びの満足感と至福感を糧にして生きていけるのです。そのような人には必ず誰かが、必要なものを与えるものです。

DhP.201

jayaṁ veraṁ pasavati,
勝利 敵意 生む
dukkhaṁ seti parājito; 
苦しみに 臥す 敗北は
upasanto sukhaṁ seti, 
静まる 安楽に 臥す
hitvā jayaparājayaṁ.
捨てて 勝利・敗北

勝てば敵を生み
負ければ嘆き苦しむ。
勝ち負けを捨てた人は
穏やかで気楽だよ。

解説
人間社会は、競争の原理で成り立っています。勝つか負けるかの二元論で、勝てば恨まれて敵をつくり、負ければ悔しくて仕返ししたい。どちらも幸せではありません。ブッダの教えはどちらも勝つための方法です。そのためには何をする場合でも、勝つことや自分が優位になることを目的にするのではなく、相手の役に立つことを目的に考えればいいのです。そうすればどちらも勝つことができます。

DhP.202

natthi rāgasamo aggi, 
ない 情熱・等しい 炎
natthi dosasamo kali; 
ない 憎しみ・等しい 苦悩
natthi khandhasamā dukkhā, 
ない 集まり・等しい 苦しみ
natthi santiparaṁ sukhaṁ.
ない 平穏・他に 安楽に

情熱に勝る炎はない
憎しみに勝る苦悩もない
カンダに勝る苦しみはない
平穏以外に楽はない。

解説
khandha(カンダ)とは「集合体」という意味です。人間は「「pañca-kkhandha5つの集合体)」によって成り立っていて、その5つは「rūpa(形・物体)、vedanā(感覚)、saññā(知覚・思考)、saṅkhāra(反応)、viññāṇa(意識)」です。私たちはいつも身体を心配して心を悩ませています。それが執着であり、苦しみになります。詳細はこちら

DhP.203

jighacchāparamā rogā, 
飢餓・最大の 病い
saṅkhāraparamā dukhā;
反応は・最大の 苦しみ
etaṁ ñatvā yathābhūtaṁ, 
これを 知って ありのままに
nibbānaṁ paramaṁ sukhaṁ.
涅槃は 最大の 安楽

飢えは最大の病い
反応は最大の苦しみ
これをありのままに知って
涅槃は最大の楽。

解説
saṅkhāra サンカーラ(反応)とは、心の中の「なにかをしたい」という衝動のことです。

私たちは何かを経験するとき、すでに経験したことと照合してそれを認識します。このとき人は、好き嫌いという自分の色を付けて、物事を自分に都合よく認識します。事実をありのままに理解することはできません。その偏見に満ちた認識を事実だと思い込んで、次の行動(=反応)を決めています。

心の反応偏見でいっぱいなのです。心に次々と浮かぶその精神的な捏造が、苦しみの最大の原因となるのです。

DhP.204

ārogyaparamā lābhā, 
無病は・最大の 得
santuṭṭhiparamaṁ dhanaṁ; 
知足は・最大の 財産
vissāsaparamā ñātī, 
信頼は・最大の 親族
nibbānaṁ paramaṁ sukhaṁ.
涅槃は 最大の 安楽

健康は最大の得
満足は最大の財産
信頼は最大の親族
涅槃は最大の楽。

解説
健康」であることは生きる上で最もお得です。病気にかかると、お金もかかり、具合も悪くて、人にとって損ばかりです。

財産」というとお金や家、土地、権力や名誉などが浮かびますが、人が実際に欲しいものは物質的な財産そのものではなく、そこから得られる満足感です。満足感に最も価値があるのです。だから膨大な財産を管理するより、わずかなもので満足できるように、心を管理した方がいいのです。

信頼」があれば、血縁関係がなくても助けてもらえます。

健康、財産、信頼以上に、最大の安らぎがあります。それが涅槃です。健康も財産も信頼も、いつか役に立たなくなり、何の意味もなくなりますが、涅槃はずっと続く安らぎです。

DhP.205

pavivekarasaṁ pītvā,
独居を・味わい 楽しむ
rasaṁ upasamassa ca, 
味わい 寂静 と
niddaro hoti nippāpo, 
怖れない なる 罪のない
dhammapītirasaṁ pivaṁ.
ダンマの・喜びを・味わう 楽しめ

孤独を味わい
平穏を味わって楽しみ
怖れのない罪のない心で
ダンマの喜びを味わって
楽しみなさい。

解説
幸せな生き方とは、心が何かに依存することなく自律して、安らかな心で日々を生きることです。権力や名誉、財産を得たり、人気者になることではありません。博学になっても、最期には死んで全部忘れるのですから。

DhP.206

sāhu dassanam ariyānaṁ,
善い 見ること 聖者を
sannivāso sadā sukho; 
共に暮らす 常に 安楽
adassanena bālānaṁ,
無見の 常に 愚者たちに
niccam eva sukhī siyā.
常の こそ 楽 あるだろう

聖者に出会えるのは
素晴らしいこと
彼らと一緒に暮らせたら
ずっと楽ちん。
愚かな人に会わなければ
ずっと楽々でいられる。

解説
善人の周りには善人が集まります。悪人の周りには悪人が集まります。同じ波動で引き寄せられるからです。自分の周りの人を見れば、自分がどんな人間かがわかります。自分の周りが悪人ばかりだったら要注意。自分が悪人の可能性があります。悪いことを止めて、善いことをしましょう。

また、「私の周りは善人ばかりなのに、時々変なのがいる。あの人さえいなければ……」と思う場合も要注意。まさにその変な人は、自分の鏡です。自分に起きることは、すべてが自分がした過去の行為(kamma)の結果です。「変だ」と思う部分が、自分が他者にしたことです。

DhP.207

bālasaṅgatacārī hi, 
愚かな・一緒に行く 実に
dīgham addhāna’ socati; 
長い 時間 悲しむ
dukkho bālehi saṁvāso, 
苦しみ 愚者と 共に過ごす
amitteneva sabbadā;
非友・まさに 一切の時に
dhīro ca sukhasaṁvāso, 
賢者 と 楽・共に過ごす
ñātīnaṁ va samāgamo.
親族に ように 会う

愚かな人と一緒にいると
長い間、惨めな思いをする。
愚かな人と過ごすのは苦痛で
まるでずっと敵と一緒に
いるようなもの。
賢い人と一緒にいれば
親類に会うように楽だ。

解説
愚かな仲間は、精神的な目標を達成しようとする人にとっては良いことはありません。嫉妬されて、足を引っ張られるのが関の山です。新しいことも、重要なことも、良いことも何も学べません。ただ停滞して、最終的には自分も愚かな一人になってしまいます。

DhP.208

tasmā hi, 
それ故に 実に
dhīrañ ca paññañ ca bahussutañ ca, 
賢者 と 智慧者 と 多聞者 と
dhorayhasīlaṁ vatavantam ariyaṁ;
辛抱強い 献身的な 聖者
taṁ tādisaṁ sappurisaṁ sumedhaṁ,
彼を そのような 善人 賢い者に
bhajetha nakkhattapathaṁ va candimā. 
従うように 星・道に ように 月が

だから
賢明で叡智ある賢い人
辛抱強く献身的で高貴な人
このような本物の善人
賢い人と付き合いなさい
月が星の流れに沿うように。

解説
月は気分次第でパッと目立つ星について行ったり、止まったりしません。宇宙の法則に従って、他の天体とのエネルギー関係の中で生じる、自然な調和に的確に沿って動きます。最高の目標に到達したい人は、精神的な進歩への道で多くのことを教えてくれる、最高の仲間だけを追いかけて付き合いなさい、ということです。

ダンマパダ15章「楽」了