慈悲の瞑想「メッター・バーヴァナー」

慈悲の瞑想(mettā bhāvanā メッター・バーヴァナー)」とは、すべての生き物に対する思いやり・善意のエネルギーを出し、純粋で思いやりのある穏やかでポジティブな波動を、周囲の空間に意図的に送り込む瞑想法です。

ここでは、一般的なやり方と瞑想者向けのやり方の2種類をお伝えします。

一般的なやり方

心と身体が穏やかに満たされていれば、その幸せを他者と共有することは自然にできます。

リラックスして座り、数分間、身体の微細な感覚に注意を向けます。それからすべての生き物に対する善意の気持ちで心と身体を満たすようにイメージします。

まずは自分自身に対して慈悲・思いやり・共感の喜び・穏やかで平和な思いをおくり、次第にその対象を広げていきます。

1 自分自身にメッターをおくる

一番大事で最優先されるのは自分です。遠慮なく正直な心で「私が幸せでありますように」と自分自身にメッターをおくります。

私が幸せでありますように」と3回、思いを込めて言葉にします。

具体的な願いを唱えるのではなく、大雑把に「幸せ」とした方が、「悩み苦しみがなくなりますように」も「願いごとが叶えられますように」もひっくるめての幸せのエネルギーとなります。所詮、人間が考えることは余計なことです。中途半端な人間的幸せを求めるよりも、お任せした方がいいです。

また言葉として音にすることで、その振動(波動)が実際に自分の身体を包み込むので、音にすることが大切です。

2 大切な人にメッターをおくる

次に、家族や友人、恋人、ペットなど、自分の大切な対象のためにメッターをおくります。

◯◯◯が幸せでありますように」と3回、思いを込めて言葉にします。

3 すべての生命にメッターをおくる

最後は、対象をすべての生きとし生けるものに広げます。

生きとし生けるすべてのものが、幸せでありますように」と3回、思いを込めて言葉にします。

4 嫌いな人にもメーターをおくってみる

そしてもしできるなら、嫌いな人、苦手な人にもメッターをおくります。1〜3が心からおくれるようになったら、是非トライしてみてください。不思議なことに、自分自身の心がメッターで満たされます。

◯◯◯さんが、幸せでありますように」と3回、思いを込めて言葉にします。

嫌いな人も本当に心から幸せで満たされていれば、他者に対して優しくなるはずで、あなたに対しての態度も変わるかもしれないのです。だから嫌いな人も幸せになった方が、みんなのために有効なのです。他者を変えることは絶対にできませんが、メッターを送ることで幸せに導くことはできます。

もし、嫌いな人が不幸になればいいと思うようであれば、それは残念なことです。自分自身の心の中に、ネガティブな気持ちがあるからです。それは相手のせいではなく、自分自身のせいです。

そう思うきっかけを作ったのは相手との関わり合いですが、その出来事はそもそもが受け止め方によって大きく変化する不確実なものです。相手が違えば印象も大きく変わります。にもかかわらず、過去に不愉快な印象を持った出来事に固執して、ネガティブに受け止め続けているのは、紛れもなく自分自身の心なのです。相手のせいではありません。

慈悲と愛の違い

慈悲(メッター)」は、人間だけでなくすべての命に対する限りなく大きな優しさ友情」です。私たちが認知可能なすべての生命はもちろんのこと、他次元の存在領域(天界や地獄界など)の生命もすべて、その対象になります。

メッターの対義語は、「憎しみ・悪意・敵意・反意」です。これは明らかに反対の精神状態なのですぐに理解できると思いますが、実は「」もメッターに反するものです。

」は定義が曖昧で、基本は人間関係の中で完結するものです。家族愛・友愛・恋愛・不倫も愛です。「」は各自の個人的な価値観でとらえ、実行できてしまいます。そして「」は執着や嫉妬に変わって「愛着」となり、人を苦しめることがあるのです。しかし「友情」はどんな時にもホッとできる、明るく楽しい気持ちです。その優しい気持ちがメッターです。

瞑想者のやり方

続いて、瞑想者に向けた慈悲の瞑想メッター・バーヴァナー」についてお伝えします。

メッターは、祈りや念じることではありません。一般的な慈悲の瞑想は上述の通り、言葉を唱えることで代替えしていますが、本来はエネルギーの共有です。

心が最も深いレベルで、すべての汚れから完全に解放された時に、慈悲(mettā メッター)、思いやり(karuṇā カルナー)、共感による喜び・幸福感(muditā ムディター)、平静さ(upekkhā ウペッカー)のエネルギーで心は満たされます。そのポジティブなエネルギーを他者に伝達して共有するのが、メッター・バーヴァナーです。

本当に効果を上げるためには、ヴィパッサナー瞑想と一緒に慈悲の瞑想を行う必要があります。嫌悪感などの否定的な精神状態が心にある限り、善意を意識した波動を発生させることは無理で、単なる儀式になってしまうからです。ヴィパッサナー瞑想によってネガティブな要素が取り除かれると、自然に善意が心に湧き上がり、執着から抜け出して、他者の幸せを心から願えるようになるのです。

そして、このヴィパッサナー瞑想を正しく導くためには、アーナーパーナ瞑想で集中力を高める必要もあります。絶対やらなきゃダメではありませんが、アーナーパーナをやるとやらないでは、集中力に大きな差がでます。だからやった方がいいのです。

0 前段階

前段階として、アーナーパーナ瞑想で集中力を養い、続けてヴィパッサナー瞑想に入り、可能な限り素直に瞑想して(笑)、心の汚れを取り除きます。

1 頭頂に意識を集中

心が可能な限り純粋になったところで、慈悲の瞑想に入ります。

数分間、身体の微細な感覚に注意を向けてから、その意識を全て頭頂に集中させます。

善意のエネルギーは、頭頂から人体内に入るそうです。逆に悪いエネルギーは、足の裏から放出されるそうです。

2 心を慈愛のエネルギーで満たす

今度は心に湧き上がる慈愛のエネルギー(優しい気持ち・幸せであって欲しいという素直な気持ち)を感じ取るようにします。そして、そのエネルギーで全身を満たすようにします。

心が純粋であれば、メッターは自然に湧き上がります。作り出すものではありません。

3 共有したい相手を思い描く

自分が心から幸せになって欲しいと思う相手を思い描き、自分も含めて空間全体にそのエネルギーを広げていくようにイメージします。

この時、自分はすでにその幸福感のエネルギーの中にいることを実感できているはずなので、「自分が幸せになりますように」という気持ちは起こらないと思います。

以上が、私が理解している瞑想者向けの慈悲の瞑想ですが、これはやり方に正解があるわけではないと思います。

個人的な慈悲の瞑想の感想

初めて瞑想コースに参加した時には、慈悲の瞑想の意味がまったくわかりませんでした。コース中には、ここで泣き出してしまう女性もいるのですが、私はあまりピンときていなくて、3回目くらいまでは、なんとなく形だけやっている感じでした。

現在は、大きな熱いエネルギーに身体全体が包まれるのを感じるので、そのエネルギーに乗っかる感じで意識を集中すると、嬉しいとは違う大きな喜び感が鳩尾あたりから、グググーっと沸き上がる感覚があるので、そのエネルギーをパーッと周囲に広げるようにイメージしています。

ただ「幸せを引き寄せる」というイメージではないのです。慈悲の瞑想を始めた時点で、既に「幸せ」を実感できているので、いまここにある「この幸福感をみんなにお裾分けしたい」というイメージです。だから「慈悲の瞑想」は「幸せを呼び寄せる瞑想」ではないと思います。幸せを呼び寄せたいということは、今の自分が幸せではないということだし、ないものが欲しいという欲があるので、違うかな、と思うのです。

真のメッター・バーヴァナー

メッターは、すべての生きとし生けるものに向けられることもあれば、特定の人に向けられることもありますが、いずれの場合も、瞑想者は単にエネルギーの出口を提供しているだけなのです。なぜなら、メッターは「自分のメッター」ではないからです。

私・自己」というエゴをなくすことで、心を開き、宇宙全体のポジティブなエネルギーと波動が合うことで、自分が導管になり、他者に伝達することが真のメッター・バーヴァナーです。メッターは自分が生み出すものではないのです。

この概念を頭で理解するのは簡単ですが、そのような態度を自分の中で育むのはとても難しいことです。そのためには実践が必要で、それが「慈悲の瞑想」です。

SNゴエンカ氏のヴィパッサナー瞑想10日間コースでは、最終日にのみ、この慈悲の瞑想を行います。ヴィパッサナー瞑想で浄化された瞑想者は、他者の幸福を自然に深く願える状態なので、慈悲の瞑想がとても効果的なのです。このポジティブな波動は、その場に蓄積されていくので、センターの瞑想ホールには独特の雰囲気が感じられると思います。

ブッダ が息子に教えた慈悲の瞑想

ブッダが息子のラーフラに語った慈悲の瞑想について、お伝えます。(Tipiṭaka, MN > 62 : Mahārāhulovāda-sutta)

Mettaṃ rāhula bhāvanaṃ bhāvehi. 
Mettaṃ hi te rāhula bhāvanaṃ bhāvayato yo vyāpādo so pahīyissati. 

ラーフラよ、慈悲(メッター)の瞑想を深めなさい。
慈悲の瞑想を深めれば、どんな嫌悪も消えてしまうからです。

Karuṇaṃ rāhula bhāvanaṃ bhāvehi.
Karuṇaṃ hi te rāhula bhāvanaṃ bhāvayato yā vihesā sā pahīyissati.

ラーフラよ、思いやり(カルナー)の瞑想を深めなさい。
思いやりの瞑想を深めれば、どんな残虐性も消えてしまうからです。

Muditaṃ rāhula bhāvanaṃ bhāvehi.
Muditaṃ hi te rāhula bhāvanaṃ bhāvayato yā arati sā pahīyissati. 

ラーフラよ、共感の喜び(ムディター)の瞑想を深めなさい。
共感の喜びの瞑想を深めれば、どんな不満も消えてしまうからです。

Upekkhaṃ rāhula bhāvanaṃ bhāvehi.
Upekkhaṃ hi te rāhula bhāvanaṃ bhāvayato yo paṭigho so pahīyissati.

ラーフラよ、平静(ウペッカー)の瞑想を深めなさい。
平静の瞑想を深めれば、どんな怒りも消えてしまうからです。

慈悲の瞑想に必要なものは上記の4つです。では、4つの詳細を説明します。

メッター Mettā 慈悲

メッターとは、友情・善意など、他者への積極的な関心を意味します。人を優しい気持ちにさせるもので、悪意がなく、すべての人の善と幸せを心から願う心です。自分自身をすべての生き物と同一視し、すべての生命の仲間であるとして接する深い友愛の態度です。

ムディター muditā 共感による喜び・幸福感

ムディターとは、他者がうまくいっている時に、それを喜び、幸せを感じる心です。他者が成功したのを見た時、心が不純だと嫉妬が生まれてしまいますが、メッターが強くなると「不幸だらけのこの世の中で、せめて1人でも幸せにうまくいくなら、本当によかった」という他者の幸せを共感して喜ぶ心が生まれるのです。メッターが強くなればなるほど、人の幸せを見て、幸せが感じられるようになります。これがムディターです。

カルナー karuṇā 思いやり

カルナーは、他者に対する思いやりの心です。誰かが苦しんでいる時に、心が純粋であれば、自然にカルナーが生まれます。もし自分のことでいっぱいで、メッターもなければ、誰かが困っているのを見ても、気になりません。「あぁ、あの人は苦しんでいる。どうしたらいいんだ?」と思っても、それは誤魔化しているだけで、心がまだ純粋ではない証拠です。

心が純粋になってメッターが成長すると、心の硬さが溶けていき、苦しんでいる人を見ると心が痛み、なんとか助けたいと思うようになるのです。自分のできる範囲であれば、何か具体的な援助をします。そうでなければ、少なくとも自分の波動で「あの人が苦しみから解放されますように。幸せになりますように」と手助けしようとするのです。この心がカルナーです。

ムディターカルナーは、メッターを育てることで自然についていきます。

ウペッカー upekkhā 平静さ

ウペッカーは、穏やかで動揺することなく、平和でバランスの取れた偏りのない心です。平等で、楽(sukha)にも苦(duḥkha)に傾くことのない感覚状態です。

誰かを助けたいと思う時、心は平静でなくてはなりません。もし他人が苦しんでいるのを見て、自分も泣いてしまうなら、それは本当の慈悲ではありません。真の慈悲があれば、すべての愛で自分の最大限の能力を発揮して、他人を助けようとします。失敗しても打たれることなく、微笑んで別の方法で助けようとします。自分の奉仕の結果を気にすることなく、人のために奉仕しようとするのです。これがバランスのとれた心「ウペッカー」から生じる、本当の慈悲の心です。

まとめ

宇宙に存在するすべての生き物は、私もあなたも他の生命も、いろんな形でお互いを支え合って生きています。

体内には無数の微生物がいて、身体の周囲にも無数の微生物が取り巻き、なにかしら有益な活動をしています。ひとつの体の内にも外にも、多くの生命体が入り込み、お互い助け合って共存しています。独りで生きていける生命はいません。みんな多くの生命に支えられています。

知識でわかろうとすると難しくなってしまいますが、善良なエネルギーを純粋な心で素直に感じとって、他の存在と今ここにある幸せを分かち合いたいという溢れる思いが慈悲の瞑想です。

瞑想コースに参加できない人のためには、Apple創業者のスティーブ・ジョッブスの最後の言葉をお勧めします。瞑想とは全く無関係なのですが、慈悲の瞑想を動画検索して閲覧するよりも、遥かにメッターの感覚に近いものが、私は心にこみ上げます。この動画を見て、その偽りのない心を、自分自身や自分の大切な人に向けてみてください。それが紛れもないメッター・バーヴァナーです。

以上です。