人は4つの要素「土(重さ)・水(流れ)・火(熱)・風(動き)」でできていますが、これらが生じる原因は、「食べ物・周囲の環境・現在の心の反応・過去の心の反応」です。
瞑想者はみんな菜食主義?
大抵の瞑想者は、徐々にヴェジタリアンに移行していきます。徐々に肉を食べることから解放されていく感じです。瞑想を続けていると、肉食をする必要がないことがわかってきます。また、菜食主義の方が、ヴィパッサナー瞑想の進歩が確実にはやくなるのです。
ヴェジタリアンといっても、単に肉食しないだけでなく、ピュアヴェジタリアンである蜂蜜もNGのヴィーガンから、魚介はOKで肉のみNGのペスタリアンなどいろいろあります。
ゴエンカ式のヴィパッサナー瞑想合宿コースで提供される食事は、牛乳はOK、卵はNGの「ラクト・ヴェジタリアン」です。朝食はごはん、味噌汁、浅漬け、果物。昼食はごはん、一汁二菜が基本です。「五葷(ごくん)」と呼ばれる臭いの強いネギ類(ニンニク、ラッキョウ、ネギ、ニラ)は禁じられてはいませんが、強い匂いは瞑想の妨げとなるので、コース中には玉ねぎ、長ネギ以外は出てきません。
なぜ瞑想に肉食がNGなのか?
瞑想者にとっての菜食主義は、宗教的な食のタブーとは少し意味が異なります。肉食したら罰せられるとか、地獄に落ちる、ということではありません。
肉や魚などの動物を食べると、その存在が持つ波動そのものを自分の身体に取り入れることになります。人間は心を観察することで、渇望と嫌悪から抜け出すことができますが、他の生き物は渇望や嫌悪から抜け出すことができません。一生、渇望、嫌悪、渇望、嫌悪だけを発生させているので、あらゆる部分が渇望と嫌悪で振動しています。
現在、私たちが食べている肉類は、劣悪な環境で強制的に飼育された動物がほとんどです。その動物が殺される時、強烈な恐怖感の振動が肉に刻まれ、私たちはそれを食べて自分の身体の一部にするのです。
だから瞑想修行で渇望や嫌悪から抜け出したいと思っているのに、他の生き物の渇望や嫌悪を身体に取り入れることは、その振動を増やすことになり、瞑想の妨げになるのです。
昭和40年と令和2年の日本の食
「肉を食べないとたんぱく質が不足するのでは?」と心配する声もよく聞きます。
かつての日本人は、玄米や麦などの穀物から植物性たんぱく質を主に摂取していました。昭和55年頃を境に動物性たんぱく質の占める割合が逆転し、現在は肉類が約4倍、乳製品は約2倍に増えて、穀類はほぼ半減し、動物性たんぱく質を多く摂取するようになりました。
たんぱく質(プロテイン)は、身体の6分の1を構成する要素です。20種類のアミノ酸が鎖状に多数連結してできた高分子化合物であり、筋肉や臓器をつくる主成分であるほか、酵素、ホルモン、免疫細胞の原料です。
食品から摂取したたんぱく質は、消化によってアミノ酸に分解され、小腸から吸収されたアミノ酸の大部分は肝臓や各組織の細胞内でたんぱく質に再合成されます。再合成されたたんぱく質は、生物の構造そのもの(筋肉や骨、皮膚など)となり、あるいは酵素やホルモン、神経伝達物質などとして、代謝や身体の機能を調節する化学反応に利用されます。一方で、小腸から吸収されても使用されなかったアミノ酸や、新陳代謝で不要になったたんぱく質はアミノ酸に分解され、尿素につくりかえられ体外に排出されます。
私たちの身体の6分の1が、たんぱく質として分解と合成を繰り返し、常に生まれ変わり続けているのです。
瞑想と断食
では逆にまったく食べないのはどうなのか?
完全な断食はヴィパッサナー瞑想には向きません。断食も過食もよくありません。中道がいいのです。まずは食べる量を減らす、つまり身体にとって本当に必要なものを食べる、それだけです。断食は、瞑想とは別の問題にやってもいいと思いますが、瞑想のためには、断食は必要ありません。お腹が空きすぎても、満腹すぎても瞑想に集中できなくなるからです。
動物たちは食べ過ぎない
私たちにとって「食は大きな楽しみ」となっています。しかし、食は本来、肉体を維持するためのものです。楽しむものでもなければ、精力をつけるためでも、体格や容姿をよくするためでもありません。食道楽を意味する「エピキュリアン」は、快楽を追い求める人のことです。
修行者にとって食事は、ただ単に肉体を現状維持するためのものです。修行の支えになるように、食べることで空腹の苦を無くし、新たに満腹の苦も起こさないようにするものです。食べることで、穏やかに修行が続けられるようにするためのものなのです。
動物は決して必要以上には食べません。きっちり自然の法則の中で生きているのです。
私たちは、あれを食べなければダメとか、これを食べると身体にいいとか、食にこだわりがありすぎるのかもしれませんね。そう言った意味では菜食主義も、単なるこだわりになりかねないのです。そのことを理解して上で、自分に必要なものを、必要な時にだけ食べるのがいいのではないでしょうか?
以上です。