ダンマパダとスッタニパータの違い

ダンマパダスッタニパータは、2500年以上前にブッダが、弟子たちや衆人に話して聞かせた説法「ダンマの教え」を集めた短編集です。

パーリ語で書かれた原始仏典Tipiṭakaティ・ピタカ3つの籠は、①戒律集、②法話集、③論集の3つの入れ物(籠)に分かれています。

②の法話集Sutta Piṭakaスッタ・ピタカ)』には、ブッダの教えが、5つのニカーヤ(グループ)に分類されています。その5つ目『クッダカ・ニカーヤ』は、短編ばかりを19巻集めたもので、その第2巻が『ダンマパダ第5巻が『スッタニパータです。

ダンマパダは在家修行者向けスッタニパータは出家修行者向けと言われています。

ダンマパダは初心者向け

ダンマパダは、ダンマ(真理=ブッダの教え)のパダ(歩み)という意味で、ブッダの教えを簡潔な言葉のみでまとめた名言集のようなものです。

423句すべてが、俳句や和歌のように一定のリズムをもった韻文形式になっています。423句テーマごとに26章に分かれ、第1章から段階的に、ブッダの教えの理解レベルが深まっていく構成になっています。

内容は平易で誰にでもわかりやすく、宗教・宗派を超えて、一般的で普遍的な、誰が読んでも役に立つ言葉ばかりです。難しい教えはなく、日常生活をより良く生きるためのヒントとなるものばかりです。

韻文は暗唱にも適しているので、初心者でもブッダの智慧の言葉を覚えやすかったのだと思います。

スッタニパータは実践者向け

スッタニパータは、スッタ(法話)のニパータ(集まり)という意味で「法話集」です。

こちらは全てがブッダ自身の言葉ではありません。ダンマパダと同じ韻文も所々に入っていますが、ブッダと他者との問答が中心となっています。また、ブッダの弟子たちの法話バラモン同士の対話なども混じっていて、ある程度教えを深めた実践者向けの教義が集められています。

スッタニパータは全部で1155スッタあります。1149とするテキストもありますが、このサイトでは、第6回結集(1956年にミャンマーで開催)で正式に承認されたバージョンを基に、1155スッタとしています。

スッタニパータはダンマパダとは異なり、形式が一様ではありません。1155の韻文にプラスして、序文や散文、エピローグがついた物語もあります。韻文の長さもダンマパダのように一定ではなく、最も長いものは63節、最も短いものは3節です。また、スッタニパータは、他のスッタ集との重複も多く見受けられます。

1155のスッタは、72編のスッタ集に分かれて、12〜16編ずつ5章で構成されています。このうち第4章と第5章が特に古く、ブッダの言葉そのものに非常に近いと言われています。

第4章Aṭṭhaka-vagga(アッタカ・ヴァッガ)』は、執着をテーマにした16編のスッタ集で、ブッダ の時代には、高度な教義を深く表現したスッタ集として知られていたようです。注釈書としてサーリプッタ作とされる『Mahā-Niddesa(マハー・ニッデーサ)』(『クッダカ・ニカーヤ』の14巻)があります。

第5章『Pārāyana-vagga(パーラーヤナ・ヴァッガ)』は、序文とエピローグがあり、16人の青年バラモンの質問にブッダ が答える問答形式になっています。注釈書として同じくサーリプッタ作の『Cūḷa-Niddesa(チューラ・ニッデーサ)』(『クッダカ・ニカーヤ』の15巻)があります。

日本への伝わり方

ダンマパダ は、中国などを経由して北伝の大乗仏教とともに、漢訳仏典『法句経』として日本に伝来しました。

一方、スッタニパータは、第4章を除いて漢訳仏典が存在せず、いわゆる仏典としては伝えられませんでしたが、南伝の上座部仏教典として日本には明治以降に伝わりました。

つまり、日本の仏教的にはダンマパダはあるけれど、スッタニパータは4章以外はない、ということになります。現代では、さまざまな方が翻訳されて、どちらも出版物となっています。