3回目のヴィパッサナー瞑想 京都

3人で瞑想するイラスト

ヴィパッサナー瞑想センター・京都
Dhamma Bhānu ダンマバーヌ」

2回目が散々だったので、3回目は初心に戻って京都のセンター「ダンマバーヌ」へ。
2019年12月の10日間コースに参加しました。(散々だった2回目はこちら

久しぶりに行ってみると京都のセンターは千葉に比べるとやっぱり狭い。
瞑想ホールも狭いので、座った時の間隔も狭い。
何もかもがコンパクトにギュッとまとめられた感じです。
でも、なんだか落ち着くホッコリ感があって、私は京都のセンター好きです。

今回の部屋は、瞑想ホールのすぐ手前のカーテンで半分に仕切られた2人部屋でした。
古い生徒11名+新しい生徒20名+奉仕者5名×男性陣の総勢約70名で、いつものようにコースがスタートしました。

Day1〜Day3アーナーパーナ瞑想

いつものようにアーナーパーナ瞑想から始めます。今回は何が起きても周りは気にせず、瞑想だけに集中する気満々でやってきたので、初日から全力投球で瞑想しました。

すると、心が呼吸と深く関係していることが実感としてわかってきました。
アーナーパーナで呼吸を観察しているつもりが、いつの間にか過去の嫌な出来事をフッと思い出し、意識がそっちにいってしまう。過去の出来事にムカッと腹を立てる。その時、呼吸が少し強く速くなっているのです。
フイゴでバフッと吹いて、炎がぼっと大きくなるような感じです。
そして呼吸が強く速くなっていることに気づくと、呼吸はスッとまた元のリズムに戻るのです。

このことを何度も何度も何度も繰り返しているうちに、その瞬間に気づく自分に気づきました。あ、確かに呼吸が心と密接に関係しているなぁと何度も実感できたのです。
1回目も2回目も同じことを体験したはずですが、こんな風には実感しませんでした。
3回目ではじめて、ああ、確かにその通りだな、と実感したのです。
これが経験を通して理解するということなのでしょうか。

さらに、アーナーパーナ瞑想は、単なる精神統一ではなくて、こうして呼吸に気づくことで心の表面が浄化されるそうです。この部分は、まだ実感できません。
ただ、心が鎮まり、どんどん否定的な感情が現れなくなるので、それが「浄化された」ということなのでしょうか?

瞑想すると眠らなくても大丈夫になる?

コースがはじまって、1日目と2日目はいつものように爆睡できたのですが、3日目以降はあまり眠れなくなりました。毎晩12時頃まで眠れず、横になったまま瞑想したりしていました。

でも、ゴエンカ氏の言葉に「瞑想すると眠らなくてもスッキリする」って話があり、確かにあまり寝てないはずなのに、睡眠不足感は全くなかったのです。
瞑想中は、レム睡眠状態のようなものなのでしょうか?

Day4~Day6 ヴィパッサナー瞑想

順調にアーナーパーナ瞑想を深め、心が呼吸と密接に関係していることがわかってきたところで、ヴィパッサナー瞑想に入ります。頭のてっぺんから自分で決めた順番に沿って、身体の表面の感覚を観察します。

3回目にして自分なりのコツがつかめてきました。
それは、呼吸を極力静かにセーブすること。
アーナーパーナとは逆に、とにかく息を潜める感じで呼吸を静かにして、止めてはいないけど腹が動くのは感じるけど、鼻の下に息の流れは感じないくらいの静かさで呼吸します。
すると、身体がマユに包まれたような感じで、しんと静まりかえり、身体を這う感覚だけに集中しやすくなるのです。

で、身体に起きる感覚と心にわく感情の関係を確かめるのですが、この点については、自分の実感としてお話できる「なるほど、確かに!」が残念ながらまだありません。

それから、「最初のうちは身体の表面、そのうちに内側に自然に入っていく」らしいですが、そこら辺の感じもよくわかりません。

感覚は身体に起きるが、それを感じ取るのは心で、
感覚が心地よいと感じると、執着が起きる。感覚が不快だと、嫌悪が起きる。
自分の身体の感覚を観察することで、自分の心の反応の癖に気づいて、心が盲目的反応する習慣を常に平静でいられるようにコントロールしましょう、ってことだと思うのです。

” 望むことが得られない時、あるいは、望まないことが起こる時、人は自らの内に緊張を生み、縛りを結びます。人は一生の間、このプロセスを繰り返します。
そればかりか、人 はこの緊張を自分の内に留めておけず、会う人ごとに、あなたも私の苦しみを味わって、とお裾分けしてしまうのです。”

引用元:S.N.Goenka / Japan Vipassana Association

頭では理解できるのですが、アーナーパーナ瞑想での呼吸と心の関係ほど「なるほど、確かに」とは、まだ私には実感できませんでした。

夜の講話が今だに新鮮

10日間コースで毎晩聞く、講話のテープ。このテープは毎回、全く同じものが流されているのですが、毎回「初めて聞いた」と思う部分が結構あるのです。
疲れで記憶が飛んでいるからなのか、情報量が多過ぎるのか、毎回自分のツボが違うからなのかわかりませんが、すでに同じテープを3回目のはずなのに、まだまだ「ヘー」がいっぱいで新鮮に聞くことができます。

Day7〜Day8 坐骨の下からグルグル回る

7日目。いつものようにヘナヘナの背骨がシャキッとまっすぐ立ち、急に姿勢がよくなる頃、床がユサユサと揺れるようになりました。

地震? と思ったのですが、なかなかやまない。
なんか変だなー? 目を開けると、まだ少し揺れているけど、周りは揺れていない感じです。天井のペンダント電球も揺れていません。
どうやら地震ではなく、私が震度2くらいで揺れているようです。

めまいともちょっと違い、座骨の下の座布団がユサユサ揺れているように感じます。
右、左、とグルグル意識を回していたから癖になってめまいのような感じがするのかなー?
瞑想しないで考え事をしている自分に気づき、それ以上は考えない、原因を突き止めたり判断しないようにして、また瞑想を続けました。

ところが、そのうちにそのユサユサがグラグラ、グラグラがグルグルになってきて、お尻の下から反時計回りにグルグル回り出して、身体の背骨のあたりで皿回しをしてるような感覚に。

お尻の下から長い棒(直径1センチくらいの棒)が出ていて、背骨を貫いて、頭頂の百会のツボの少し上あたりにある皿(直径8~10センチくらいの白い皿)を回している感じがするのです。気のせいじゃなく、確かにするのです。

とりあえずジッと観察してみますが、それ以上でもそれ以下でもないので、そういうものだということで平静に、その遠心力にハマった感じで瞑想を続けました。

時々、お尻の下の座布団がスッと引き抜かれて、自分の身体がフッと浮く感覚もあります。
はい、いま、浮いた感じがしました。はい、次。って感じで、反応しないように注意深く観察を続けます。

背骨が傾くと回転が歪んでゆっくりになる。うまく回らない脱水機のよう。
背骨と頭頂が一直線になるとグーンと回転が早まって力強くなる。
といっても、高速回転というほどではない。手で回す程度の力な感じ。
自分の身体がその回転の中にすっぽりハマっているような感覚があります。

時々、座布団が大きく揺らぎ、大袈裟にいうと地面が割れて落ちていく雰囲気も少しだけあるのですが、なりそうでならない。
結局、最後までずっとグルグル、ギュンギュン回っていました。

ATに相談しようと思ったのですが、連日大勢が時間ギリギリまで質問しているので、緊急性もないし、なんとなく不思議体験の方向に進んでいるようで、聞くのを躊躇してしまいました。

Day9 聖なる沈黙が解かれる前と後

聖なる沈黙が解かれ、周りの人たちと会話を始めます。
3回目で改めて思ったのは、他の参加者の印象が、実際にしゃべってみると、とても違うということです。

毎日一緒に生活していて、見ないようにしていても、近くの人など自分が気になる人はやはり視界に入ってきてしまう。そして、その人に対して勝手なイメージを作ってしまうのです。声も聞いたことがないので、喋ると全然違うのです。毎日見慣れた相手なのに、かなりの別人。

このギャップが、なかなか面白い。自分がいかに違うイメージを勝手につくり上げているか。これもまた、自分の過去の経験と反応を元に、捏造しているのかもしれません。

3回目のコースを終えて

3回目のコースを終えて思ったのは、毎回全く同じコース進行なのに、メンバーが違うと、何もかも違うコースになるということです。
システムが同じでも、構成要員が違えば全く別物になるということを実感できました。

帰宅後、グルグル問題解決?

さて、コースを終えて帰宅し、日常生活に戻って1週間、2週間と過ぎるうちに、その回転もどんどん薄れていきました。
ネットで調べてみると、「チャクラが開くとグルグル回る」という説を発見。
チャクラはグルグル回るのか。で、そもそもチャクラってなんだっけ?

その後、ネットで全く同じ症状の人を発見!
どうやらグルグル回るのは、チャクラうんぬんではなく、姿勢が悪いからのようです。
姿勢が悪くてエネルギーが分散しているそうです。
エネルギー=チャクラなのかもしれませんが、そんな話はコース中に聞いてないのでわかりません。

ゴエンカ氏の指導にも夜の講話にも、チャクラという言葉は出てきませんでした。
ただ、「のちのち姿勢がとても大事になるので、なるべく良い姿勢で座るように」という指導はあったので、姿勢が大事なのは納得です。
今度グルグル回ったら、姿勢を意識してみます。

以上です。

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