人はなぜ苦しみ、悩むのか

悩み・苦しみとは

ブッダのよると人が生涯で経験する苦しみ「dukkha」は、「生きること、老いること、病気になること、死ぬこと。悲しみや痛みといった肉体的苦痛、憂いや悩みといった精神的苦痛嫌なものと関わること、好きなものと離れること、欲しいものが得られないこと」です。

つまり、思うがままにならないこと=苦しみです。世の中のすべてのものは、常に変わっていくものです。それに対して人が求めるものは、求めた段階でもうその対象は変化してしまっているので、追い求めても常に不満な状態で、満足が得られることはありません。満足が得られない=思うがままにならないから、苦しくなっていくのです。

悩むとは、人が経験するさまざまな種類の喪失や不運に影響されて、この思うがままにならないことについて、満たされなさ生きづらさ憂鬱といった思いを感じて、心が納得いかずにあれやこれやと思索を巡らしている状態です。

悩みは自分の行為から

すべての苦しみ・悩みが自分の行為の結果です。人は自分の意志によって行為を行います。その意志が、悪意や怒り・欲にまみれていれば悪い行いとなり、善意や思いやりにあふれていれば善い行いとなります。

しかしこの行為は、よくよく吟味してそのような行為に及んでいるわけではないのです。ほとんどが自動操縦で、外からの刺激に対して、それまでに培った経験を基に独断と偏見で判断し、心がポンポン反応しているに過ぎないのです。

個性は行為のパターン

人にはそれぞれ個性がありますが、個性とはその人の行為のパターンです。

自分の悩みや苦しみの原因が、自分にはないと思いがちですが、自分では気づきにくい行為パターンが、自分の悩み苦しみを作っているに過ぎないのです。だから何か悩みがあるなら、自分の行為パターンを冷静にチェックしてみるといいのです。

自分の心を観察して行為パターンを見つけ、凝り固まってねじれた心の働きをほぐせば、悩みは楽になります。

そのためには、まず自分の思考パターンを観察します。

思考パターンは対立的

私たちの心の思考パターンは、常に対立的です。

面倒な仕事を頼まれると「対応しきれない」と怒り、簡単な仕事を頼まれたら「こんな雑用をやらせるなんて」と怒る。どっちみち気に入らないのです。

この反発のエネルギーが心の糧だからです。自然の法則です。

この対立的な思考パターンはすべて、怖れからはじまっています。面倒な仕事を頼まれた時の心には、できないかもという怖れが、簡単な仕事を頼まれた時の心には、低く評価されたかもという怖れがあるのです。

人は本来、生きるために外敵に対して攻撃するか、逃げるかの判断を最優先させます。ポジティブな感情よりもネガティブな感情を優先させるのも、負の感情は脅威に結びつくことが多いからです。食べたり眠ったりは先延ばしにできても、目の前の脅威には即座に対処しなければなりません。強いストレスや悩みがあると、食事ができなくなるのもそのためです。

思考は矛盾だらけ

人間の思考は矛盾だらけです。常に最悪の事態に備えて、先手を打とうと反応しているだけだからです。

でも人は自分の矛盾を認めたくないので、必死で矛盾にならないように、過去を反芻しては、せっせと自分の理屈を組み立て直しているのです。トホホなくらい、やってますよね。

この永遠に続く矛盾は、どこからくるのでしょう?

ヴィジョン心理学によると、そこには究極の怖れがあるそうです。

究極の怖れ

実は、人が最も怖れる究極の怖れは、何かひどいことが起きることではなく、「完全に素晴らしい幸せになること」だそうです。

完全な満足が得られれば、もう大きなエネルギーが発生せず、生命体として存在できなくなるからです。無意識の生存本能が拒むのです。

「こんな私がすべてを手に入れられるはずがない」という思考を心が捏造し、完全な幸福を阻止する行為に及ぶのです。

どうすればいいの?

完全に幸せになる

完全に幸せになる」ことを受け入れればいいのです。

すべてに逆らわずありのままの自分を受け入れればすべての生命体は幸せになるのです。

でもココロとカラダは、そう簡単には言うことを聞いてくれません。生存本能が必死で抵抗します。

仮に受け入れられたとしても、今度は、その完全な幸せを失うことに恐れを抱くように、心は次々と不安を煽ってきます。なんとしてでも、対立させてエネルギーを生み出す隙を必死でついてくるのです。哀れな心です。これが「大切な私の心」なのです。

気づきをもって良いことをする

ブッダの解決法は、「今、この瞬間」に気づいて、良いことをするように努力し続けることです。瞬間だけだから、矛盾が邪魔をする隙がありません

良いこととは、他者の役に立つこと、他者を助けること、他者に安らぎと和をもたらす行為です。他者を助ける行為をするとき、心には思いやり・優しさ・慈しみが生まれています。自分の内にも安らぎと和を与えることになるのです。つまり他者を助けるのと同時に、自分自身も助けているのです。これも自然の法則です。

小さなことでも何か行為をすると、それが次の行為へとつながります。最初は大した善行でなくても、大きな善行になります。これが功徳を積むということで、これを地道に実行すれば、人は確実に一歩一歩向上していきます。

心を完全に浄化して、すべての怖れを克服すれば=涅槃です。

大切な私の心を克服すれば=幸せです。

さて、どちらがいいでしょう?

善行を積む遠い道のりを地道に歩むのもいいのですが、そんなことをしなくても、ただ、いますぐに、すべてに逆らわずありのままの自分を受け入れさえすればすべての生命体は幸せになるのです。

以上です。