「嫌いな人がいるのは自然なこと」と頭ではわかっていても、私の心は軟弱なのでブルンブルン振り回されます。
会えばイライラ、思い出すたびにモヤモヤ。
できれば関わりたくないけれど、完全に避けることもできない。
そんなとき、どうしたらいいのか?
1.「嫌い」という感情を否定しない
まず大切なのは、「嫌ってはいけない」と思わないこと。
嫌いという感情は自然なものです。違いを警戒する自然な仕組みなので、抑え込もうとすると逆に強くなります。
嫌いという感情には抗わず、「私はこの人に違和感があるんだな」と、客観的に気づくことです。
これは、自分には「その言動は正しくない」という判断基準・価値観があることに気づくことになります。同じことを遠い知らない国の人がやったならば、気にならないですよね? これは「自分たちの集団では、そのような言動はよろしくない」という警戒心が起こるからです。
だから「他の文化ならどうか? 他の国ではどうか?」と視野を拡げていくと、「宇宙的には、そんな言動もありだな」と思えるようになり、嫌悪はスッと消えていきます。また、スッと現れますけどね。その繰り返しが自然の流れなので、なんとかしようと抵抗しないことです。
2. 投影に気づく
嫌いな相手の特徴が、実は自分の中にある抑え込んだ感情や側面であることもあります。
たとえば、「あの人の自信満々な態度が嫌い」と感じるのは、裏を返せば、自分の中にも本当は自信を持ちたい、リーダーシップを発揮したいという欲求があるのかもしれません。しかしその思いをうまく表現できず、抑え込んでいると、他人の中にそれを見たときに強く反応してしまうのです。
そんなときこそ、「もしかして、自分にもこういう部分があるのでは?」と、自分の心を点検してみることで、相手の見え方が少しずつ変わっていきます。
3. 自分がどうありたいかを決める
「嫌な人に振り回されたくない」と思うなら、自分がどうありたいかをはっきりさせることです。相手を変えることは難しくても、自分がどう在るかは選ぶことができます。
「私は冷静でいたい」「私は丁寧に接する人でいたい」と、自分の軸をしっかり持って接することで、どんな相手であっても、感情に振り回されずに済むようになります。
4. 相手の欲求を想像する
人はみな、承認されたい、安心したい、愛されたい、誰かを支配したい、といった何かしらの欲求を満たすために行動しています。
「あの人のここが嫌!」「こんなことを私に言った」と表面的な言動に反応する代わりに、その人の言動の裏にある心理や動機を想像する。思考をそこに使うことで、相手を見る視点が変わります。
「この人は不安だから、こういうふるまいをしているのかもしれない」と想像することができたなら、嫌という気持ちから、なんだかかわいそうだなと変わってくるかもしれません。
さらに観察を深めると、相手の行動が、実は自分の中に抑えている欲求と同じものであると気づくこともあります。そうすると、嫌だった相手の言動にも、違った意味が発見できるのです。
5. 距離をとる
嫌いな人と、無理に仲良くしようとする必要はありません。
「みんなと仲良くすべき」と思っている人ほど、ここで苦しみますが、アラハンでも苦手な人はいるそうですよ。嫌いな人の言動に気づいた上で、物理的・心理的に距離をとることも大切です。
必要な会話は淡々と短く済ませる。その上で、心の中では「この人は、ご縁があって現れた、人生の通過点に必要な人」と思うようにすると、少し引いて相手をみることができます。
とはいえ、一緒に暮らしている家族となると、距離を取るのが難しいこともあります。その結果、家庭内別居になったり、完全無視の冷戦状態になることもあるでしょう。
そういうときこそ意識したいのが、「礼儀正しさ」です。
慣れ親しんだ家族には、つい感情をぶつけてしまいがち。でも、あえて「親しくない人に接するように」丁寧な言葉遣いや距離感で対応してみるのです。たとえば、呼び捨てにしていた相手を「〇〇さん」と呼んでみるだけでも、不思議と心理的な距離ができます。
6. 関係の「意味」に気づく
嫌いな人との関係は、永遠に続く人生の壁ですが、それは自分を知るための鏡でもあるのです。「なぜ私はこの人を嫌うのか?」という問いを通して、自分自身の輪郭がくっきりしてくるからです。
嫌いな人が現れるときは、自分の心がバランスを崩しているとき、心が偏っているときです。
自分が正しいと思っていた価値観も、宇宙的には単に偏っていただけです。これに気づくことで、バランスをとることができるのです。
まとめ
これらの向き合い方は、まさにブッダが説いた「苦しみから自由になるための道、八正道(はっしょうどう)」です。
「正しい気づき(sammā‑sati)」によって、自分の偏った判断基準・価値観に気づく。
「正しい見方(sammā‑diṭṭhi)」によって、自分の投影に気づく。
「正しい生き方(sammā-ājīvo)」「正しい行為 (sammā-kammanto)」に基づいて、自分がどうありたいかを決める。
「正しい思考(sammā-saṅkappo)」によって、相手の欲求を想像する。
「正しい言葉(sammā-vācā)」「正しい行為 (sammā-kammanto)」によって、相手と距離を置く。
「この人が嫌」「こんな態度は許せない」と思うとき、心には偏った価値観や過剰な反応があります。そのことに気づくことができれば、心は少しずつバランスを取り戻していきます。
つまり、嫌いな人は、心の偏りに気づかせ、整えるために現れるのです。
だからこそ、まずはただ観察すること。無理に変えようとしたり、感情を抑え込もうとしなくていいのです。ただ「自分の反応」に気づくだけで、自我は静かになります。
もっとも、それは以前より静かになったというだけで、自我はまだどこかで頑張っています。するとまた、新しい「嫌な人」が登場します。そうした体験を繰り返す中で、私たちの自我は少しずつ執着=こだわりを手放し、頑張らなくてもいい段階へと進んでいきます。
このサイクルこそが、人間の成長──進化のプロセスです。
やがて、自我が完全に沈静化したとき、私たちはこの肉体を持つ意味を失います。「悟りの完成──解脱(げだつ)」となります。
さらに深い心の仕組みが知りたい方は、こちらの記事もご覧ください。たぶん絶対、嫌いな人が消えるはずです。