この文章は、レディ・サヤドーの『Goṇasurā Dīpanī(牛と酒についての教え)』の後半部分になります(前半の『牛について』はこちら)。このレディ・サヤドーの文章を編集したのは、比丘のペサラ氏です。ペサラ氏が、アルコールやドラッグ、ギャンブルや競馬など、酩酊物による中毒の弊害を語った文章が、とてもわかりやすく参考になるので、レディ・サヤドーの本文の前に、序文として掲載します。(Norma)
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比丘ペサラの言葉
ブッダは五戒の5番目で、無分別を引き起こす酩酊物を断つように命じています。無分別(pamāda)とは、酔って感覚的に逸脱した状態です。私たちは、酒に酔っていなくても、完全にしらふのときでさえ、感覚的な快楽・若さ・健康・生きることに酔いしれています。
ブッダは若い頃、「老人を見れば、若さへの酔いが消え、病人を見れば、健康への酔いが消え、死人を見れば、生への酔いが消える」と気づき、酩酊物を一切断ちました。
聖なる人から見れば、踊りは狂気、歌は嘆き、笑いは幼稚に例えられます。スポーツイベントでの感動も興奮に過ぎず、酩酊の一種です。もし何らかの形で酔っていなければ、ボールを追いかけたり、他の人が走り回るのを見たりしますか? ほとんどのスポーツには、悪いカンマは伴いませんが、その励みを慈善活動に向けた方が賢明ではないでしょうか。
悪いカンマは、他人の悪行を支持し、助長するときに生じます。狩猟・釣り・競馬・ボクシングなどはすべて、ある種の暴力を助長します。
フットボール・ラグビー・アイスホッケー、その他の接触するスポーツも、付随的な暴力や怪我を伴いますが、それが目的ではないので、フェアプレーの精神に反する暴力的な戦術を容認しない限り、悪いカンマは生じません。乗り物を使ったレースは、動物に意図的に苦痛を与えるものではありませんが、涅槃とはかけ離れた一種の狂気が伴います。
ギャンブルは、強い欲と不満が原動力であり、これは不健全なカンマです。正直に働いて得たものは、家族のために使うか慈善事業に使うべきです。身の丈に合った生活をして、借金はしない。
アルコールやドラッグによる悪影響はよく知られているので、あれこれ考える必要はないでしょう。喫煙を禁止するのと同じように、飲酒を禁止するキャンペーンを行えば、社会はどれほど良くなることでしょう? 大麻の使用を合法化する議論ではなく、酒や薬は社会的に許されないことだと次世代に教えるべきです。
どれだけの暴動・暴行・事故が、アルコールによって引き起こされたことか。もしアルコール消費量を半分に減らすことができたら、どれほどのコスト削減ができることか。サッカーの暴徒、真夜中のお祭り騒ぎ、飲酒運転に関わる事件で、警察の時間は何時間浪費されていることでしょう。麻薬乱用のもたらす経済的・社会的コストは? 二日酔いによる労働時間の損失は?
真の仏教徒は、暴力・騒音・激情を忌み嫌う絶対禁酒主義者です。彼らは「切なる願い」に表された精神に拍手を贈ることでしょう。
騒々しく
慌ただしい中にあっても
平穏に過ごし
静寂の中にある平和を
思い起こしなさい。
うるさくて攻撃的な人は
避けなさい。
彼らは精神を煩わせる。
仏教徒は平和を愛し、非暴力です。サヤドーが指摘するように、人は4つのやり方で悪いカンマを作ります。
①自分が行う
②他人が行うよう促す
③その行いを容認する
④その行いを賞賛して話す
例えば、キツネ狩りや闘牛・狩猟などの残酷なスポーツは、仏教徒にはまったく受け入れられないものです。動物に対する甚だしい虐待行為で無益なので、すべて違法とすべきです。
競馬は残酷ではありませんが、怪我や過酷さを減らすために厳しく規制されるべきです。鞭を禁止し、柵の高さを低くして、馬への危険を減らすべきです。野生の馬が全力で走るのは、捕食者からの死を避けるためなのです。
ボクシングやプロレスなどのスポーツは、暴力を容認する行為です。ほとんどの仏教徒は、こうしたスポーツを粗野で野蛮なものとみなすでしょう。相撲・剣道・太極拳・柔道は、仏教国で生まれた、より文化的な格闘技です。自己防衛のための武道は、暴力を奨励することなく、若者の攻撃性を抑制し、受け流す方法を教えます。
映画やテレビで暴力が描かれることは、その制作に携わる人々にとっても、それを見て楽しむ人々にとっても、不健全なカンマとなります。非道徳・セックス・暴力の描写は、間違いなく悪い影響を与えます。そして私たち人間は、自分が思っている以上に感受性が強いのです。もしそうでなければ、広告主はとっくの昔に撤退しているでしょう。
西欧だけでなく、仏教国でもこの傾向をくつがえすことは今や不可能です。唯一の救済策は、伝統的な訓練を見直すことです。仏教の原則と悟りを開いた瞑想の師に導かれながら、断固とした孤高の道を追求することです。
賢明な人々は、精神的な安らぎを守らなければなりません。ブッダの教えを注意深く学び、真のダンマを理解した上で、洞察の瞑想を集中して実践すべきです。先天的な妄想によって形成され、文化的な条件付けによって強化された先入観から逃れる唯一の方法は、常に途切れることのない気づきです。ブッダは、何世紀にもわたる伝統的な教えによって凝り固まった、当時の伝統的な信仰を解釈し直し、くつがえさなければならなかったのです。
人間の本質は、ブッダの時代から変わっていません。伝統を重んじる人々は、いまだに涅槃への道とはあまり関係のない習慣を重視し、洞察瞑想の実践を怠っています。そのため、仏教国ではいまだに、カースト主義や人種偏見の醜態を目にするができるのです。ブッダの慈悲深い教えにも関わらず、アジアの仏教国では人権侵害・汚職・縁故主義が蔓延しています。米国や英国は、人権や開かれた民主主義、社会的・宗教的自由に関する優れた実績があるため、社会的な問題があっても、移住先として人気があるのです。
知識と智慧を培ってこそ、酩酊を追い払い、迷信を超越し、疑念を克服し、解脱への道に入ることができるのです。
2021年10月 比丘ペセラ
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レディ・サヤドー
『アルコール・ドラッグ・ギャンブルについて』
アルコールとドラッグの禁止について教えよう。ブッダは『偈頌八品』の中で次のように説いている。
僧たちよ、
酒や薬を飲むことを頻繁に
あるいは習慣的に行うと
地獄に生まれ変わるか
動物に生まれ変わるか
餓鬼に生まれ変わる。
人間として生まれた場合でも
この悪行の結果
少なくとも狂人となる。
アルコールやドラッグを摂取することは、不健全なカンマであり、2つの悪い結果をもたらす。つまり、地獄での苦しみと現世での長期的な悪影響である。地獄・動物・霊体・悪趣という4つの不幸な状態につながるので、アルコールやドラッグを摂取することの影響は深刻だ。とりわけ現在の悪影響は、少なくとも気が狂うことだ。精神が狂う結果として、神経症やパラノイア(偏執症・被害妄想)・統合失調症(分裂病)・精神病などがある。つまり、現在の結果もまた、将来の悲惨な生まれ変わりと同様に深刻だ。
なぜ、アルコールやドラッグ摂取が、来世で地獄に生まれ変わらせるのか?
その理由は、飲酒や麻薬摂取が新たな悪い行いを助長するからだ。悪いカンマは地獄につながる。さらに、この悪い行いによって、過去の悪いカンマにふさわしい影響を与える機会の扉が開かれる。こうして人は地獄で苦しむ。誰もが前世で悪い行いをしたのだから、今は健全な行いをすべきだ。
新たな悪いカンマ
アルコールや精神に作用するドラッグを摂取することは、貪欲・嫌悪・妄想を助長するので、新たな悪いカンマを作ることを意味する。また、新たな悪いカンマを作るよう促す、間違った考え方も助長する。欲望・怒り・無気力・不安・疑いという5つの障害が続き、増幅する。
酩酊物質は、遺伝子と染色体を傷つける。また、心と意識を燃え上がらせる。つまり、酩酊物質を摂取することは精神領域に影響を及ぼし、これには深刻な意味がある。酩酊の結果、身体による悪行、言葉による悪行が引き起こされる。殺す・嘘をつく・虐待するなどは、アルコールを摂取した結果として普通に起こることだ。
酔っぱらいは常に、10の悪いカンマとなる身体・言葉・精神的な悪行を行う。だから、酒を飲むことは、将来の地獄での苦しみの種を毎日増やし、悪と罪の負担を増やすことになる。酒飲みは日々、悪いカンマを積み重ねていくので、死後、下界のいずれかに生まれ変わることは間違いない。現世では痴呆になり、後世ではもっと深刻な悪いカンマを行う。こうした逆効果のカンマが、下界での苦しみにつながる。悪行が深刻であればあるほど、悪業の重荷は重く、現在の悪が将来の悪を生む。
過去の悪い行い
真のダンマを耳にすることは滅多にないので、誰もが過去世において、輪廻を彷徨いながら、さまざまな悪い行為をしてきている。このような貴重なチャンスは非常に稀だ。高貴な者に出会うことは非常に稀で、千や万の存在に一度しかない。人間は過去世において、行動・言葉・思考の様々な過ちや悪い行為をしてきた。犯罪・罪・邪悪にまみれた人生は、苦しみの世界へと導かれる。
アルコールを飲むと、その可能性が高まる。この道徳の戒律を破るということは、すでに行った過去の悪行をサポートすることになる。過去の悪行は、犯罪を犯すために村の近くにたむろする強盗や殺人犯に似ている。この戒律を破ることは、過去・現在・未来の悪行に拍車をかける。だから酒を飲むという悪い行為は、盗品を受け取る村の住人に似ている。強盗は盗品を受け取る住人によってチャンスを得る。村は彼らによって滅ぼされる。
同様に、酩酊物を摂取するという悪事が残っている限り、過去の悪行が熟するチャンスがある。過去の悪行が熟すると、人はさまざまな地獄に生まれ変わらなければならない。また、誰もが過去世で善行を積んでいるが、現在の悪い行為のせいで、その善行が熟する機会がない。この悪を捨てずに死ねば、過去の悪業の結果からは逃れられない。地獄で苦しむことになる。こうした意味で、酒を飲むことは確実に来世で地獄をもたらす。重大な過去の悪い行為が結果を出す機会を得るので、人は Roruva 地獄に到達する。Roruva には2つの地獄がある。Jālaroruva と Dhūmaroruvaである。
Jālaroruva は、重罪を犯す8つの大地獄の第4の地獄である。この世の地下にあり、まるで溶けた鉄の洞窟のように深く広い。ギャンブラーや酒飲みは、死後この地獄で苦しむ。彼らの身体は山に似ている。感覚の扉はまるで川の流れのようだ。口・鼻・耳に、熱した鉄が流れ入る。身体は灼熱の液体で焼かれ続ける。10万年以上の間、激しい苦しみに耐えなければならない。幸せになるチャンスはない。だから酒を飲む者は、この危険性を知らなければならない。ブッダの警告に耳を傾けるべきである。
Dhūmaroruva は Jālaroruva の下に存在する。そこは大きな洞窟のようで、底は鉄が溶けている。ドラッグ・ヘロイン・マリファナ・ハシシ(大麻)・コカインなどに溺れた者は、死後この地獄に到達する。彼らの身体はまるで山のようだ。目・耳・鼻は、川の流れのようだ。熱くすえた煙が9つの孔から体内へと入り込む。この拷問に少なくとも10万年、彼らは苦しむ。肉体的、精神的苦痛は筆舌に尽くしがたいほど激しい。中毒者はこの危険を恐れ、行動を改めるべきだ。
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