第3章 大きな章:10. コーカーリカ 662〜683

10. Kokālikasuttaṃ コーカーリカ

コーカーリ国の比丘コーカーリカは、サーリプッタとモッガッラーナに対して強い敵意を抱き、ブッダに文句を言うため、祇園精舎にやって来ました。

前文要旨

私はこのように聞きました。

世尊がサーヴァッティのジェータ林苑にある祇園精舎に滞在していた時のことです。比丘のコーカーリカが、世尊を訪ねてきました。世尊に近づいて拝礼し、側に座って、こう言いました。

"pāpicchā, 
罪深い欲望を持つ
bhante, sāriputtamoggallānā, 
尊師よ サーリプッタ・モッガラーナは
pāpikānaṃ icchānaṃ vasaṃ gatā"ti.
邪悪で 欲深く 支配され 様子 と

「尊師よ、サーリプッタとモッガッラーナには罪深い欲望があり、邪悪で欲に支配されています」

Evaṃ vutte, 
このように 言われた
bhagavā kokālikaṃ bhikkhuṃ etadavoca – 
世尊は コーカーリカに 比丘の こう・言った
"mā hevaṃ, kokālika, 
なかれ 実に・その如く コーカーリカ
mā hevaṃ, kokālika! 
なかれ 実に・その如く コーカーリカ!
Pasādehi, kokālika, 
改心せよ コーカーリカ
sāriputtamoggallānesu cittaṃ. 
サーリプッタ・モッガラーナに対する 心を
Pesalā sāriputtamoggallānā"ti.
行いが善い サーリプッタ・モッガラーナは と

こう言われた世尊は、比丘のコーカーリカにこう言いました。

「それは違う、コーカーリカ。それは違うぞ、コーカーリカ! 改めなさい、コーカーリカ、サーリプッタとモッガッラーナに対する心を。サーリプッタとモッガッラーナは善良だ」

コーカーリカは再び、言いました。「世尊よ、私はあなたを信頼して支持しますが、サーリプッタとモッガッラーナには罪深い欲望があり、邪悪で欲に支配されています」

世尊は再び、コーカーリカに言いました。「それは違う、コーカーリカ。それは違うぞ、コーカーリカ! 改めなさい、コーカーリカ、サーリプッタとモッガッラーナに対する心を。サーリプッタとモッガッラーナは善良だ」

コーカーリカは三度、言いました。「世尊よ、私はあなたを信頼して支持しますが、サーリプッタとモッガッラーナには罪深い欲望があり、邪悪で欲に支配されています」

世尊は三度、コーカーリカに言いました。「それは違う、コーカーリカ。それは違うぞ、コーカーリカ! 改めなさい、コーカーリカ、サーリプッタとモッガッラーナに対する心を。サーリプッタとモッガッラーナは善良だ」

コーカーリカは席を立って世尊に拝礼し、右周りに歩いて出て行きました。コーカーリカが歩き始めてほどなく、コーカーリカの身体中にケシ粒のような湿疹が拡がりました。ケシ粒大だった湿疹は緑豆(ムング豆)大になり、緑豆大がひよこ豆大になり、ひよこ豆大がナツメの種子ほどになり、ナツメの種子ほどが、ナツメの実ほどになり、ナツメ実ほどがユカン大になり、ユカン大がマルメロの実ほどになり、ついに割れて膿と血が流れ出しました。ジェータ林苑の門のところでコーカーリカは倒れ、サーリプッタとモッガラーナに対する敵意と共に、死んでいきました。死後はパドゥマ地獄(紅蓮地獄)に生まれました。

その夜、ブラフマー(高次の存在)のサハンパティが現れて、ジェータ林苑を神々しく隈なく照らし、世尊のもとに近づきました。世尊に拝礼して側に立ち、こう言いました。「尊い人よ、比丘のコーカーリカは死にました。サーリプッタとモッガラーナに対して敵意を抱いていたので、死後はパドゥマ地獄に行きました」ブラフマーのサハンパティはこう言うと世尊に拝礼し、彼の周りを右に向かって歩いた後、その場で姿を消しました。

世尊は夜が明けた後、比丘たちに語りかけました。「比丘たちよ、 昨夜、夜更けに、美しい容貌のブラフマーのサハンパティが現れてこう言った。『比丘のコーカーリカは死んだ。サーリプッタとモッガラーナに対して敵意を抱いていたので、死後はパドゥマ地獄に行った』と、それだけ言って、彼はそこで消えた 」

すると1人の比丘が世尊に尋ねました。「尊師、パドゥマ地獄での寿命はどれくらいですか?」

「比丘よ、パドゥマ地獄での寿命はとてつもなく長い。何年、何百年、何千年か、何十万年か、数えるのは難しい」

「しかし尊師、何かに例えてはいただけませんか?」

すると世尊はこう語りました。「比丘よ、20カーリ(khāri:古代インドの単位で1カーリ=約96kg)のゴマの実が入った積荷があり、そこからゴマの実を百年ごとに1粒ずつ取るとしたら、20カーリのゴマの積荷のゴマは、アッブダ地獄1回分の寿命年数よりも早く減り、使い果たされるだろう。そのアッブダ地獄20回分がニラッブダ地獄1回分で、ニラッブダ地獄20回分がアババ地獄1回分で、アババ地獄20回分がアハ地獄1回分だ。アハ地獄20回分がアタタ地獄1回分で、アタタ地獄20回分がクムダ地獄1回分で、クムダ地獄20回分がソガンディカ地獄1回分で、ソガンディカ地獄20回分がウパラカ地獄1回分だ。そして、ウパラカ地獄20回分がプンダリトカ地獄1回分で、プンダリトカ地獄20回分がパドゥマ地獄1回分の寿命だ。比丘よ、そのパドゥマ地獄に、比丘コーカーリカは行ったのだ」

Idamavoca bhagavā, 
このように・語った 世尊は
idaṃ vatvāna sugato athāparaṃ etadavoca satthā –
このように 語った 善逝者は 時に・さらに これ・語った 師である

世尊は、さらにその時に(コーカーリカの)師である善逝者(ブラフマーのサハンパティ)が、(コーカーリカに)語った言葉をこう語りました。

解説

祇園精舎でブッダの前に現れたブラフマーのサハンパティは、コーカーリカの高次の師(spiritual teacher)です。コーカーリカが痛みに呻きながら、ジェータ林苑の門で倒れた時、 その叫び声を聞いてサハンパティが助けに来ました。その時、コーカーリカに言った言葉を、ブッダが弟子たちに話して聞かせたのが、このあと始まるスッタです。

それにしてもコーカーリカは、どうしてサーリプッタとモッガラーナに敵意を抱くようになったのでしょう? 何か理由があるはずです。以下のようなエピソードがありました。

ある雨安居(うあんご。インドでは夏の雨季の間、外出せずに屋内の寺社に留まり修行します)の時期、サーリプッタとモッガッラーナは、静かに雨安居を過ごしたいと思い、ブッダの許しを得て、祇園精舎を出ました。2人はコーカーリ国にある、コーカーリカという出家者の寺院に行きました。

2人は比丘コーカーリカに、「静かに修行したいので、自分たちの滞在は内密にしてほしい」と頼みました。コーカーリカは、「あなたたちに安らぎを与えることで、私に何の得があるのか?」と聞き返しました。2人は「コーカーリカよ、では、私たちはあなたに真理を解説しましょう」と約束しました。

サーリプッタとモッガッラーナは3ヶ月の雨安居を終えて、祇園精舎に戻ることになりました。最後の日、2人はコーカーリカと一緒に町に托鉢に出掛けました。托鉢が終わって帰る時、コーカーリカは町の人々に聞こえるように、「ブッダの二大弟子のサーリプッタとモッガッラーナが、3ヶ月も私の寺院に滞在していたのに、何も知らずにお布施もしないとは。愚かだね、損したね」と呟きました。人々は「どうして教えてくれなかったのですか?」と驚き、たくさんのお布施を持って長老たちを追いかけ、「どうか、この品を受け取って下さい」とお願いしました。コーカーリカはそれを見て、「よしよし、お布施を持ってきたな。長老は欲がないから、私にくれるはずだ」と期待しました。

ところが2人は、品物を受け取らず、コーカーリカに渡すようにとも言いませんでした(注:コーカーリカが意図的に与えるように仕向けた物品なので、徳にならないどころか、コーカーリカに悪行をさせ、施主にその手伝いをさせることになるから、だと思います)。人々は「それでは、是非もう一度、改めてこちらにいらっしてください」とお願いし、サーリプッタとモッガッラーナは承諾しました。コーカーリカは、お布施の品を得られなかったことにがっかりし、「長老たちは何も受け取らず、私に何もくれなかった」と腹を立てました。

祇園精舎に戻ったサーリプッタとモッガッラーナは、しばらく祇園精舎で過ごした後、それぞれ500人ずつ、計1000人の弟子たちを連れて、再びコーカーリ国を訪れました。人々は喜んで、毎日盛大な食事をお布施しました。そしてたくさんの衣や薬などもお布施しました。コーカーリカは、当然自分もたくさん品物をもらえると期待していました。しかし品物は、客として遠方から訪れた比丘に優先的に渡すので、地元の寺院の比丘だったコーカーリカの分まではありませんでした。

コーカーリカは、「この前は何も受け取らなかったが、今回はたくさんお布施を受けとっている。それなのにあの2人は、世話になった私に何もくれなかった。あの2人は少欲知足と言われているが、結局は多欲じゃないか」と怒りと憎しみでいっぱいになりました。

それを見たサーリプッタとモッガッラーナは、「この比丘は我々といると罪を犯してしまう」と気づき、早々に立ち去ることにしました。もっと滞在してくれるように、人々は懇願しましたが、2人の気持ちは変わりませんでした。人々は、長老たちが立ち去るのはコーカーリカのためだと知り、コーカーリカに「長老にお詫びしてもう一度こちらに来ていただくか、あるいはあなたが出て行くか、どちらかにしてください」と責めました。

コーカーリカは長老たちを追いかけて、戻ってくれるように頼みました。しかし2人は、「友よ、あなたは戻りなさい。私たちは引き返しません」と言って、祇園精舎に帰られました。人々は「こんな愚かな比丘がいる限り、大長老は来てくれない」と考えて、コーカーリカを国から追放しました。

自分の寺院を追い出されたコーカーリカは、祇園精舎に来て、ブッダのところに行き、この顛末となります。

うーむ。コーカーリカが悪いので、まさに自業自得なのですが、なんだかとっても哀れですね。でも最初の一言「あなたたちに安らぎを与えることで、私に何の得があるのか?」は、びっくり仰天「性格悪っ」ですよね? 「大長老が滞在してくれれば、たくさんお布施が集まる、と目論んで滞在を受け入れたのに、黙ってちゃ意味ないじゃん」ってことでしょうか? せっかく「長老をお世話する」という最大級の徳が積める機会を得たのに、黙っていればさらに陰徳で増えただろうに、その価値を知らなかったのでしょう。世俗のお布施品ごときに欲をかいて、実にもったいない話です。天界間違いなしだったのに、地獄に堕ちた転落の人生です。

続いて、ブラフマーのサハンパティがコーカーリカが死ぬ直前に語ったスッタが始まります。

SN-3-10-662

"Purisassa hi jātassa, 
人間には 実に 生まれる時
kuṭhārī jāyate mukhe;
斧が 生まれる 口に
Yāya chindati attānaṃ, 
それによって 切る 自分を
bālo dubbhāsitaṃ bhaṇaṃ.
未熟者は 悪語を 言う

人間には生まれながらに
口の中に(舌という)斧がある
未熟者は悪口を言うことで
自分を切り裂く。

解説

言葉は斧(おの)のようなものです。正しく使えば大木を切り倒し、悪く使えば、他者を傷つけて自分が損します。言葉の悪い使い方は、①嘘 ②悪口 ③噂話 ④無駄話、の4つです。

SN-3-10-663

"Yo nindiyaṃ pasaṃsati, 
人は 非難されるべきを 褒める
taṃ vā nindati yo pasaṃsiyo;
それを 或は 非難する 人は 賞賛されるべきを
Vicināti mukhena so kaliṃ, 
集める 口によって 彼は 不運を
kalinā tena sukhaṃ na vindati.
不運によって それ故 幸福を ない 見出す

非難されるべき者を褒め
褒められるべき者を
非難する者は
その口で不運を集めている
だから不運によって
幸福にならない。

解説

人が嫌がることをする人を賞賛し、人の役に立つことをする人を非難するならば、当然、悪人から好かれて、善人から嫌われます。すると悪人が周りに集まり、善人の助けを得られなくなる、ということです。トラブルに会う確率が増え、助けてもらえる確立は減ります。それは不幸になるはずです。

SN-3-10-664

"Appamatto ayaṃ kali,
少量は これ 不運
yo akkhesu dhanaparājayo;
人は 賭博で 財産・損失
Sabbassāpi sahāpi attanā, 
全て・あっても と共に 自分
ayameva mahattaro kali;
これ・こそ 最大の 不運
Yo sugatesu manaṃ padosaye.
人は 善逝者たちを 心で 憎むならば

賭博で財産を失うくらいは
些細な不運だが
善逝者たちを心で憎むならば
これこそ最大の不運になる。

解説

Sugata(スガタ)善逝者。善く逝った人=煩悩を断って、涅槃に逝った人のことです。ここではサーリプッタ とモッガラーナを指しています。

SN-3-10-665

"Sataṃ sahassānaṃ nirabbudānaṃ, 
百 千 ニラッブダで
chattiṃsati pañca ca abbudāni;
6・30 5 そして アッブダで
Yamariyagarahī nirayaṃ upeti, 
人・聖者を・責める 地獄に 至る
vācaṃ manañca paṇidhāya pāpakaṃ.
言葉を 意を・と 向けて 邪悪の

悪意の言葉と心をぶつけて
聖者を責めた者は
360万年ニラッブダ地獄に
そして50万年
アッブダ地獄に至る。

解説

「百×千=十万×36=3,600,000」「十万×5=500,000」と計算しました。

SN-3-10-666

"Abhūtavādī nirayaṃ upeti, 
虚偽を言う者は 地獄に 至る
yo vāpi katvā na karomicāha;
人は 或は・も 行う ない する・と言う
Ubhopi te pecca samā bhavanti, 
両者も 彼らは 死後に 同じ なる
nihīnakammā manujā parattha.
卑しい行為の 人間は 来世に

また、何かをした者が
「自分はしていない」と言う
虚偽を語る者も地獄に至る。
卑劣な行為の人間は来世で
どちらも死後は同じことになる。

解説

長老から「内密に」とお願いされたのに、最終日に誰に言うでもなく聞こえるように呟いて言い触らした行為が、「別に誰にも言っていないし」と虚偽を語るに当たります。

完璧な人間はどこにもいません。どんな人でも過ちはあります。だからこそ、間違ったことをしてしまったと気づいたら、直ちにその罪を認めて、改善すればいいのです。気づいたのに「していない」と言い張れば、やり直しのチャンスを先送りするだけでなく、悪業+嘘のダブル悪行為の蓄積となります。

SN-3-10-667

"Yo appaduṭṭhassa narassa dussati, 
人は ない・悪意の 人に 怒りを持つ
suddhassa posassa anaṅgaṇassa;
純粋な 人を ない・穢れ
Tameva bālaṃ pacceti pāpaṃ, 
それは・実に 愚か 戻る 罪は
sukhumo rajo paṭivātaṃva khitto.
細かな 塵は 風に逆らい・ように 投げられた

純粋で穢れのない
悪意のない人に
怒りを抱くことは
実に愚かなことで
風に逆らって投げた砂のように
不幸は自分に返ってくる。

解説

このスッタは、ダンマパダ125と同じです。サーリプッタ やモッガラーナのような本物の聖者に敵意を抱いても、彼らは怒りを受け止めません。凡人であれば、怒ったり、反撃したり、泣いたり、何らかの反応が返ることで、プラス・マイナスでバランスがとれて、怒りも若干相殺され目減りしますが、聖者はどんな反応もしません。ということは、行き場のない怒りのエネルギーは、そのまま自分に返り蓄積されます。

つまり、聖者に敵意を抱いた罰として地獄に行くのではなく偏った負のエネルギーが昇華されないまま自分に溜まり、そのエネルギー体に類似した負の領域に自然に集まる、ということだと思います。

SN-3-10-668

"Yo lobhaguṇe anuyutto, 
人は 欲求・種を 随待する人は
so vacasā paribhāsati aññe;
彼は 言葉により 誹謗する 他を
Asaddho kadariyo avadaññū, 
無・信頼 強欲 不・親切
macchari pesuṇiyaṃ anuyutto.
物惜しみ 中傷 随待する人は

ローバ(欲)の性質が強い者は
言葉で他者を誹謗する。
人を信頼せず、強欲で
不親切で物惜しみして
中傷する性質がある。

解説

なるほどコーカーリカは「lobha(ローバ)欲求」の性質が強いのですね。Lobhaは「自分が好むことをしようとする欲」です。それが得られないと怒りが発生しますが、その時に言葉で攻撃するパターンなのですか、なるほど〜。自分にもそういう部分があるので、実感できます。さすがブラフマー、こんなにわかりやすく教えてくれるのですね。

そのような性質(たち)が生まれながらにあるのは、仕方がないことです。そのような性質が強いことに気づいて、その都度、意識してコントロールするように訓練するのが比丘の修行です。そのチャンスに気づいて学びを深めるか、感覚に振り回されてエネルギーを大量生産するかの分かれ道です。

SN-3-10-669

"Mukhadugga vibhūta anariya, 
口の悪い 虚偽の 非・聖の
bhūnahu pāpaka dukkaṭakāri;
殺生者 罪人 悪作・行為者
Purisanta kalī avajāta, 
人ではない 不運 卑しい生まれ
mā bahubhāṇidha nerayikosi.
なかれ 多くしゃべる 堕地獄者・お前は

殺生、罪人、悪さをする者は
不正で嘘つきで口汚い
不運で卑しい生まれの
人でなしだ。
ペラペラ喋るな!
お前は地獄に堕ちる。

解説

善逝者(ブラフマーのサハンパティ)からバッサリ切られましたね。このスッタから想像するに、コーカーリカが、それでもまだ言い訳をしていたのではないでしょうか?

SN-3-10-670

"Rajamākirasī ahitāya, 
塵を・まき散らす・お前は 不利益のために
sante garahasi kibbisakārī;
善人たちを 非難し 罪を作る
Bahūni duccaritāni caritvā, 
多くの 悪行を 行い・また
gacchasi kho papataṃ cirarattaṃ.
行く・お前は 実に 地獄に 長い間

善人たちを非難して罪を作り
お前はゴミをまき散らして
不利益を招いている
多くの悪行をまたしても行い
実に長い間
お前は地獄に行くことになる。

解説

お布施を期待しただけでなく、徳の高い人を非難して罪を重ね、結果として利益を得るどころか、不利益を次々と招いているのに、その上まだ、ペラペラ喋ってゴミを撒き散らして、さらに悪行を重ねて、「お前は地獄に行く」ということですね。どんな言葉をペラペラ喋ったのでしょう? 「ゴミ」と指摘されているので、罵詈雑言を吐き散らしたのでしょう。

SN-3-10-671

"Na hi nassati kassaci kammaṃ, 
ない 実に 滅ぶ 何の・でも 行為は
eti hataṃ labhateva suvāmi;
来る 害する 受けるだけ 主人が
Dukkhaṃ mando paraloke, 
苦を 愚か者は 他界で
attani passati kibbisakārī.
自分が 見る 犯罪者は

何であっても行為は
決して消えない
害した本人に戻ってくるだけ。
罪を犯した愚か者は
次の世で自分が
苦しみを体験する。

解説

吐き散らしたゴミも全部自分に返るだけのことです。このスッタからトーンが少し変わります。

SN-3-10-672

"Ayosaṅkusamāhataṭṭhānaṃ, 
鉄・釘・打たれた・場所に
tiṇhadhāramayasūlamupeti;
鋭い・刃の・鉄槍・近づく
Atha tattaayoguḷasannibhaṃ, 
また 灼熱の・鉄玉に・似た
bhojanamatthi tathā patirūpaṃ.
食べ物が・ある そのような ふさわしい

鉄釘が打たれた場所で
鋭利な刃の鉄槍がせまる
また、真っ赤に熱した
鉄球に似た
ふさわしい食物がある。

解説

ここからは地獄界の様子です。鉄釘の上を歩いて、槍で刺されて、真っ赤な鉄球を食べさせられても、死ねないんですね。もう開き直って、業が尽きるまでガンガンに痛み苦しみを味わうしかないですね。合掌。

SN-3-10-673

"Na hi vaggu vadanti vadantā, 
ない 実に 好ましく 言う 言うこと
nābhijavanti na tāṇamupenti;
ない・対して・去る ない 救護・来る
Aṅgāre santhate sayanti, 
炭火 拡げた 横たわり
ginisampajjalitaṃ pavisanti.
火・燃える 入る

言われる言葉は
まさに好ましい言葉ではない
逃げることもできず
救いも来ない
燃えさかる火床に入って
炭火の上に横たわる。

解説

誰も優しい言葉をかけてくれないし、褒めてもくれません。罵声や侮辱する言葉を浴びせられます。誰も助けてくれないし、自ら悟ることもできない! ということは苦行にもならないのですね。それはキツイわ。

SN-3-10-674

"Jālena ca onahiyāna, 
網で そして 覆う 
tattha hananti ayomayakuṭebhi;
そこで 殺される 鉄のハンマーで
Andhaṃva timisamāyanti, 
暗黒・のような 闇に・入る
taṃ vitatañhi yathā mahikāyo.
それは 広がっている ような 霧

そして網をかぶせられて
そこで鉄のハンマーで
殴り殺される。
霧のように広がる
真っ暗な闇に入る。

SN-3-10-675

"Atha lohamayaṃ pana kumbhiṃ, 
また 銅製の しかも 大鍋に
ginisampajjalitaṃ pavisanti;
火・燃える 入る
Paccanti hi tāsu cirarattaṃ, 
煮られる 実に その中で 長い間
agginisamāsu samuppilavāte.
炎・同じ 浮き上がりつつ

さらにまた
火にかけられた
銅製の大鍋に入れられて
燃え盛る炎で
浮いたり沈んだり
その中で長時間煮られる。

解説

よく耳にする「釜茹での刑」ですね。←刑罰ではありませんが。

SN-3-10-676

"Atha pubbalohitamisse, 
また 膿・血・混じった
tattha kiṃ paccati kibbisakārī;
そこで なんと 煮られる 罪人は
Yaṃ yaṃ disakaṃ adhiseti, 
そこ そこ 方角に 対して・座る
tattha kilissati samphusamāno.
そこで 汚れる 接触する

また、膿と血の混じった中で
そこでなんと罪人は煮られる。
どっちを向いていても
膿と血が触れて汚れる。

解説

これは強烈です。

SN-3-10-677

"Puḷavāvasathe salilasmiṃ, 
うじ虫・棲む 水の中で
tattha kiṃ paccati kibbisakārī;
そこで なんと 煮られる 罪人は
Gantuṃ na hi tīramapatthi, 
出る ない 実に 岸・近く・ある
sabbasamā hi samantakapallā.
すべて同じ 実に あまねく大釜は

ウジ虫がわいた糞尿で
そこでなんと罪人は煮られる。
見渡す限りすべてが大釜で
フチがないから
出るに出られない。

SN-3-10-678

"Asipattavanaṃ pana tiṇhaṃ, 
剣・葉・森に また 鋭利な
taṃ pavisanti samucchidagattā;
そこに 入る 切り刻まれる
Jivhaṃ balisena gahetvā, 
舌を 釣り針で 捕える
ārajayārajayā vihananti.
引っぱり・引っぱり 殺す

また、鋭利な剣の葉でできた
森に入り切り刻まれる。
舌を釣り針に引っ掛けて
引きずり回されて殺される。

SN-3-10-679

"Atha vetaraṇiṃ pana duggaṃ, 
また 灰の川 しかも 難路
tiṇhadhārakhuradhāramupenti;
鋭い・刃の・剃刀・刃・近づく
Tattha mandā papatanti, 
そこで 愚ろか者は 堕ちる
pāpakarā pāpāni karitvā.
罪深い 罪 作る

さらにまた渡るのが難しい
ヴェタラニ川は
鋭い刃の剃刀が流れている。
犯した罪によって
愚か者たちはそこに堕ちて
罪をなす。

SN-3-10-680

"Khādanti hi tattha rudante, 
食べる 実に そこで 泣く者たちを
sāmā sabalā kākolagaṇā ca;
黒い 犬 大烏・群 と
Soṇā siṅgālā paṭigiddhā (paṭigijjhā), 
野犬 ジャッカル 大鷲
kulalā vāyasā ca vitudanti.
鷹 カラス また 刺す

そこでは泣く者たちを
黒い犬や大烏の群れが喰う。
野犬やジャッカル、大鷲
そしてカラスや鷹がついばむ。

解説

ヒッチコックの世界ですね。Sabala は、鉄の歯を持つ地獄の犬だそうです。Paṭigijjha は欲深い大鷲です。

SN-3-10-681

"Kicchā vatayaṃ idha vutti, 
苦難 実に・それは ここで 生活
yaṃ jano phusati kibbisakārī;
それは 人が 触る 罪・なした
Tasmā idha jīvitasese, 
それ故 ここで 生命・残りにおいて
kiccakaro siyā naro na cappamajje.
為すべきを為す あれ 人は ない また・怠惰で

罪を犯した者が体験する
そこでの生活は実に悲惨。
だからこの世での
残りの人生において
怠けないで
やるべきことをやりなさい。

解説

このスッタでは罪を犯した人が体験する=「phusati 接触する」となっています。外部からの刺激が接触する感覚器官があり、感覚を体験するということです。地獄であっても人間界と同じ「感覚の世界」であり、接触(刺激)して反応するパターンは同じであることがわかるスッタです。

これはブッダが弟子たちに向けた言葉だと思います。670までは、ブラフマーがコーカーリカに語った言葉だと思いますが、671以降はブッダの解説とも解釈できます。実際にはすべてブッダの語りなので、その辺が曖昧になっているようです。

SN-3-10-682

"Te gaṇitā vidūhi tilavāhā, 
それらは 数えた 智者たちが・実に ゴマの・積荷を
ye padume niraye upanītā;
人たち パドゥマ 地獄に 結果した
Nahutāni hi koṭiyo pañca bhavanti, 
一万 実に 一千万 5 だった
dvādasa koṭisatāni punaññā.
12 十億 さらに

パドゥマ地獄に行った者たちの
ゴマの積荷(寿命)を
賢者たちが数えたところ
それは実に
120億5千万年であった。

解説

この地獄での寿命の話は、弟子の質問を受けてのブッダの最終回答だと思います。

SN-3-10-683

"Yāva dukhā nirayā idha vuttā, 
限り 苦しみ 地獄の ここで 説かれた
tatthapi tāva ciraṃ vasitabbaṃ;
そこで・も それだけ 長い間 滞在する
Tasmā sucipesalasādhuguṇesu, 
それ故 清く・温和な・善良の・功徳者に対して
vācaṃ manaṃ satataṃ parirakkhe'"ti.
言葉を 意を 常に 守る・と

ここで説かれた地獄の苦しみは
そこで生きている限り延々と続く。
だから温和で善良な
徳の高い者に対して
常に言葉と心を慎みなさい。

と(ブッダは)言いました。

解説

このスッタは「'”」で閉じられているので、話者であるブッダの言葉です。

Kokālikasuttaṃ dasamaṃ niṭṭhitaṃ.
コーカーリカ・スッタ集 10番目 終わり

10. コーカーリカのスッタ集 終わり

ブッダの説明によると、どうやら地獄は10種類あるようです。なかなかキツイ地獄の状況でしたので、地獄に逝かれたコーカーリカについて追加情報をお伝えしておきます。

コーカーリカは、デーヴァダッタ(ブッダの従兄弟で、ブッダの地位を狙ってブッダの暗殺を3回企てた邪悪な僧侶)の腹心だったそうです。663の「非難されるべき人を褒め」とは、デーヴァダッタのことかもしれません。

また、コーカーリの僧院は父親が建てたものです。ブラフマーのサハンパティが、上述の通り懇切丁寧に説明し、長老たちに許しを請うよう説得しましたが、コーカーリカはブラフマーを罵り、言うことを聞かなかったので、こうなったそうです。

そりゃあ、もうしょうがないね。まあ、そんなコーカーリカなら大丈夫。地獄も学びがあると思うので、エンジョイ ♪