肉食について

良き瞑想者のみなさんは、肉なんか食べないですよね?

はい。私も肉なんか食べません。と言いたいところですが、まだ完全には肉断ちできておりません。未熟者です。申し訳ございません。

それでも日々、菜食の道へと進んではいるのです。あ、完全菜食のヴィーガンではありません。ゴエンカ式では、乳製品のみOKなので、ラクト・ベジタリアンです。卵は食べません。

さて、今日はこれまで私が体験した肉断ちにまつわるお話。

私の場合、まず最初に完全に止めることができたのが「牛肉」。牛肉は10年ほど前、瞑想に興味を持つ以前に食べるのをやめました。

ある時、気づいたのです。牛肉を食べると、明らかに身体と心に変化があるということに。

食べると血の気が多くなるのです、身も心も。身体は翌日、歯茎から出血したり、鼻血がでる生理の経血量が増えて、なかなか終わらなかったり。そして心は、怒りっぽくなる。イライラするのです、意味なく無性に。会社でも怒ってしまう。

そして最後に食べた2回の牛肉が、決定打に。すき焼きを堪能した翌朝、ベッドから起き上がるなり、ダーーッと鼻血が出たのです。それが2回続き、もう間違いなく牛肉は、私の身体に入っておよそ12時間でトゥーマッチの血液となる、ということが実感できたのです。「いらないから出るんだな。血が本当に足りなくなったら食べよう」と、思うに至りました。そして、牛肉を食べないと心も安定。怒りをちゃんとコントロールできるのです。そんなわけで、周りの皆さんのためにも牛肉食はやめました。

考えてみれば、私が人生で牛肉を初めて食べたのは、確か小学校高学年。歳がバレるけど、まだまだ牛肉は一般的ではなく、すき焼きは豚肉の時代でした。私の父に至っては、鶏肉は朝まで餌をやっていて、食べる直前に首を絞めるもの。キンカン(卵)やモツも一緒に、全体を食べるものでした。

次にやめることができたのは、魚。これはね、止めようと思ったわけではなく、瞑想を真剣にやるようになった頃から徐々に、なんだか食べたくなくなったのです。ということで、魚は自然にやめられました。

で、鶏肉と豚肉。これは今も時々食べちゃうのです。2ヶ月に1度くらい。肉以外の何もかもが食べたくなくなって、パンも米も、何もかも食べたくない、ただただ肉が食べたい、と思う日があるのです。で、ちょっとだけ30gくらい食べるのですが、すると翌朝起きた時に「部屋が臭い! 自分が寝ていた部屋が臭い!」ことに最近気づいたのです。ほら、酔っぱらいが使った後のトイレのアンモニア臭みたいな感じ? 寝てる間の私の呼気臭だよね。ちょっとショック! こういう実体験があると、セーブするきっかけになります。

それにしても肉食は、瞑想とどんな関係があるだろう? 単に道徳的に殺生しない、五戒を守るためだけではない、何かがあるのでは?

人は食べたもので、できているのだから、食べた肉は自分の身体の血となり細胞となる。ってことは、その肉が生きていた時の感情なんかも、自分が引き受けるのか?

肉や魚などからたんぱく質を摂取すると、たんぱく質はアミノ酸に分解される。 その後、体内で再び、たんぱく質が合成される。身体は日々、合成と分解を繰り返している。私はまだ実感はないけど、瞑想上級者なら、この合成と分解も実体感できるのでしょう。

アミノ酸は生命の源であり、地球上に存在する栄養素のうち、最も古いもので、神経伝達物質の元。身体の感覚を感じた時に心に現れる感情の元になっているかもしれない。

まあ、考えても無駄だけど。身体を観察しながら、納得して肉食をやめていくのは楽しいものです。

以上です。