私はしょっちゅう後悔してます。
失敗したって、「あー、失敗しちゃった。ま、いっか」と思えば済むものを、そう思う一方で思い出しては、いつまでもしつこーく、グダグダと心の中でトグロを巻き巻きしております。
完璧主義で、失敗した私を認めるのが嫌なのですね。
後悔もまた「怒り」のひとつ
後悔(kukkucca クックッチャ)とは、決定の結果が好ましくなかったため、過去に別の決定をしたことを願う感情です。 自己嫌悪を伴います。
後悔をしている時は、これ以上進める気持ちがなくなり、心とからだの活動が止まってしまいます。
「失敗した!」と思ったら、それ以上進めようとは思いませんよね。過去の時点に心が留まり、活動力が停止します。そして後悔すればするほど、この暗〜いエネルギーは膨張するのです。どよ〜ん。
そんな時、どうすればいいのか?
失敗を明るく認める
失敗を認めてしまえばいいのです。
「大失敗しましたっ!」と、ものすごく正直な気持で、堂々とそれを認めればいいのです。
「以後、気をつけます」と反省したり、「次回はしっかりやる」必要もありません。
ただ失敗した事実を、そのまま素直に認めるだけでOKです。何も加えたり、引いたり、ごまかしたり、正当化したり、懺悔したり、許したりする必要はありません。明るい心でありのままに、正直に認めてしまえばいいのです。それだけです。
殺人鬼アングリマーラは後悔しなかった
アングリマーラは、コーサラ国の司祭長の息子でした。とても優秀な学生で、先生とその妻に気に入られていましたが、そのことを妬んだ生徒たちから「先生の奥さんと不倫している」と嘘の噂を立てられます。
最初は気にしなかった先生も、何人もの生徒が同じことを言うので信じてしまい、復讐を企てました。直接、殺すわけにはいかないので、アングリマーラに「供養のために1000人を殺し、その指を切り取って首輪にすれば、特別な修行が完成する」と指示しました。
アングリマーラは非常に抵抗がありましたが、師の教えを信じて従いました。999人殺したところで、1000人目の標的としてブッダに出会います。本当は、アングリマーラの母親が1000人目の標的でしたが、そのことに気づいたブッダが身代わりになったのです。
アングリマーラはブッダを殺そうと追いかけますが、ブッダはつかまりません。業を煮やして「止まれ!」とブッダに叫ぶと、ブッダは「私は止まっている。止まっていないのはあなたの方だ」と言いました。そしてこう続けました。「私は全ての生き物を殺すことを止めているが、あなたは人を殺し続けている。あなたは止まっていない」。これを聞いてアングリマーラは、自分がしてきたことの過ちに気づきました。
アングリマーラは改心し、ブッダの弟子となって懸命に修行して、短期間で悟りを得て解脱しました。しかし托鉢に行くたびに「人殺し」と石を投げられて、ある日、頭に重傷を負ってしまいます。なんとかブッダの元に戻ったアングリマーラは、ブッダから「我慢しなさい。あなたは悪を退治した。自分が行った行為の代償を現世で払っているのです」と言われます。そしてそのまま息を引き取り、涅槃を実現しました。
このアングリマーラは改心し、修行して解脱しましたが、999人殺したことを後悔しませんでした。もし後悔していたら解脱できません。後悔せず、自分がしたことをありのままに受け止めたからこそ、解脱できたのです。
一方、アングリマーラに殺された999人の遺族たちは、生涯アングリマーラを許すことなく、嘆き悲しみ、悔やんで一生を過ごしました。恨みでいっぱいになった心は、もちろん解脱どころではありません。アングリマーラに石を投げつけ、彼を殺したのです。
その結果、殺人鬼のアングリマーラは涅槃を実現して幸せになったのに、被害者の遺族は誰ひとり幸せになれなかったのです。最後に石を投げつけた人は、大きな悪徳まで背負うことになったのです。
非難する行為は、非難される側の罪よりさらに重い罪になります。論理的に話して人の過ちを正すような批判は必要ですが、非難は罪です。
アングリマーラのこの話は、善良に暮らす人々には受け入れがたい部分もあるかもしれません。しかし、もし刑務所で極刑者としてこの話を聞いたならば、なにか光を見出すことができるかもしれません。
後悔しても現実は変化しない
後悔したところで現実は変わりません。失敗したままです。
だから、わざわざ後悔を心の中で反芻して、暗い心を大きく育てる必要はないのです。
結果として色々ネガティブな状況になったとしても、それを後悔しない。
その代わり、自分のミスを「やっちまいました!」と正直に認められる明るい心をつくると、それはとても明るいポジティブなエネルギーになるそうですよ。
銀河の位置くらい間違えたって、どうってことないのです。「へー、そうなんだ」で終了です。もう忘れてたでしょう?
以上です。