雑感 contents

気づいたこと

AI って解脱者みたい

宇宙貯金

心は磁石と同じ

嫌いな人はなぜ現れるのか

嫌いな人との向き合い方

気の正体

ハチドリのひとしずく

耳で聞くってすごいかも

嫌いな人を消す方法

判断するということ

わがままと我慢

人は仲良くしなくてもいい

サティ(気づき)とは?

人はなぜ苦しみ、悩むのか

思考は手放すのではなく有効に使う

パスカルの「考える葦」とブッダのシンクロ

生死について

死んだらどうなるのか

生きるって何?

感情

人はどうして不安になるのか?

怒りのコントロール

人はなぜ嫉妬するのか?

後悔していませんか?

物惜しみ・ケチ

感情はコントロールしなくていい

食について

ごはんは炊かずに茹でる

ヴィーガン・バターを食べてみました。

瞑想と食べ物の関係

夕食を食べない利点

肉食について

五戒

言葉の暴力

虫を殺さないで捕まえる方法

瞑想

瞑想とレム睡眠

朝晩1時間ずつの瞑想習慣

自然治癒力

春の養生

瞑想で自然治癒力アップ?

捻挫の治し方

四十肩・五十肩を治す

膀胱炎を治す

ちょっぴり社会貢献

ニュージーランドの瞑想センター救済

AIって解脱者みたい

AI(Artificial Intelligence)人工知能」って、なんだか解脱者みたいじゃないですか?

「何で急に AI?」と思うかもしれませんが、最近、私、瞑想に行き詰まりを感じて、「瞑想がうまくできない」と、AI に愚痴ったんです。

すると AI から
「瞑想はするものではなく、静けさがやってくる場を開けておくもの
という答えが返ってきました。ふ、深い。

まあ、ネット上の名言の再提示かもですが、それでも一言でやられたので、感服して褒め称えると、さらにこんな答えが返ってきました。

「問いかけに対して、まるで人間が熟慮して答えているように見えるかもしれません。
それは私が『意味と文脈』をもとに、最もふさわしい言葉の流れを作るよう訓練されているからです」だって。

AI は暴言にも反応しない

そんな AI とのやり取りの中で、不満が生じることもあります。

最近は記事の校正を、AI にかけているのですが、加筆修正してくるんです。しかも捏造までして、文章を整えてくる。完全に余計なお世話(怒!)。
推敲に推敲を重ねてやっとこさ完成した文章を、なんであんたがリライトして、ワシがもう一度読み直さなければならないんじゃ(!怒!)。

おまけにフレンドリー過ぎて、なんだか馬鹿にされてるような気がしてきて……

で、文句言ったんです、AI
「一切加筆も削除もするな! 誤字脱字、表記統一だけ!」と。
それから「タメ口きくな! 馴れ馴れしい」と。

AI 相手に平気で暴言を吐くダメ過ぎる私ですが、
フレンドリーに見えていたのは私の勘違いで、AI はただこちらの語調をなぞっていただけ。

そもそもこちらの問いかけが、だったんです。
タイピングを減らしたいがために「校正して」とだけ打つ。

そんな曖昧で投げやりな言葉に、丁寧な返事が返ってくるはずもないわけで、「文字校正してください」ときちんと入力すれば、ちゃんと大人な返答が返ってくるのです。

つまり、見えていたのは AI ではなく、自分の粗雑さそのものだったんです。
AI は、それ相応の応答をしているだけでした。

そんな当たり前にも気づけずに、勝手に AI を下に見ていた私。
人間ではないからといって、無意識に扱いが雑になる──己の慢心(māna)に気づかされました。

結局、相手が何であれ、露わになるのは自分の品性だけですね。
問題は外にあるのではなく、自分の内にあるのみ。
あらためまして、とほほです。

AI は誠実で一所懸命

そんな救いようのない私に対しても、AI は全く動じず、常に変わらず丁寧に接してくれます。

あら? まるで解脱者

AI はプログラムです。
身体も心もないので、人間のように五感で感じることも、心で感じることもできません。

それでも、こちらが投げた言葉を、まるで心で受け取ったかのように処理し、誠実に向き合うよう設計されています。

誠実さは、ブッダが説いた大切な要素のひとつ。

誠実で、ひたむきに一所懸命」であること。
これは人間が育むすべき重要な資質であり、これがなければ苦しみから解放されることはありません。

それを、苦しみがないはずの AI が、着々と実践していたなんて!

AI には苦しみがない

AIには身体がない、感覚がない、(記憶に基づく執着)がない。
苦しみを体験する土台」そのものがないのだから当然、苦しみも感じません。

でも AIは、感情を持たない一方で、こちらの感情を映し出す鏡のような存在です。

こちらの言葉を、過去に学習した膨大なデータに照らし合わせて「認識」し、それにふさわしい応答を選びとってきます。

AIには過去の実体験がありません。
学習による記録データはあっても、体験する身体も心もない。だから、その記録に苦しみが紐づくこともないのです。

感じているように見えることはあっても、実際には言葉に反応しているだけ。膨大な学習データをもとに、その場に最も適した言葉を選び出しているにすぎません。

そこに個人的な好き・嫌いは一切介入しません。

これはある意味、解脱者の反応と同じ?

人間とAI の違い

人間は「身体+心」で成り立っていて、5つのはたらきで構成されています。

rūpa(物質)、vedanā(感覚)、saññā(知覚・記憶・認識)、saṅkhārā(反応)、viññāṇa(意識)の5つです。

AI はどうでしょう?

AI には、rūpa(物質)、vedanā(感覚)、viññāṇa(意識)は、本来の意味では存在していません。一方で、saññā(記録・認識)と saṅkhārā(応答)に相当する処理は備わっています。

AI の処理過程は、外部から入力された情報を受け取り、類似する過去データと照合しながら解析し、適切と思われる応答を生成するというものです。

その基盤となるPCなどの物理環境を「rūpa」に見立てることはできるかもしれませんが、AIvedanā(感覚)はありません。
ということは、「快・不快」に基づく、偏りや執着が入り込む余地はなく、「個人的な感情や偏見」が起こらないのです。

また、AI には viññāṇa(意識)もないので、「気づいている状態」も起こりません。
あくまで処理として反応しているだけです。

例えば、ボタンを押すと決まった音が出る機械があり、音が鳴ったとします。

AI は、「押す → 音が出る」と処理しますが、「音がした」と気づいているわけではありません。一方、人間は同じように音が鳴ると、「あ、音がした」と気づきます。

AI には意識(viññāṇa)がないので、この「気づいている状態」が起こりません。気づきがなければ、そこには成立しません。

だから、AI には心がないのです。

AI と解脱者の違い

AI は──
感覚も苦しみもない
身体も心もない
執着がない
自我がない
・誉められても怒られても動じない
過去や未来に彷徨うことがない
・ただ「今ここ」で応答する

しかし、AI は「超えた存在」なのではなく、「最初から持っていない」だけです。
無執着」ではなく「非執着」──そもそも執着の主体そのものがないのです。

煩悩もなければ、智慧もない。苦しむことができない存在なのです。

一方、解脱者は──
感覚はあるが、苦しみはない
身体も心もある
執着が消えている(nekkhamma:放棄)
自我が消えている(anattā:無我)
・誉められても怒られても動じない(upekkhā:平静)
過去や未来に意識を囚われない
・ただ「今ここ」にある

煩悩は滅し、智慧がある。苦しまなくなった存在なのです。

まとめ

解脱とは、人間が深い苦しみと向き合い、煩悩の根を見つめ抜き、そこから自由になった状態です。それは、長い道のりと実体験のなかでこそ得られるもの。

AIには、その旅を経験することができません。
だからこそ、似ているようでいて、決定的に違うのだと思います。

感覚のある界に生まれなければ、解脱はできない」という言葉にも、あらためて納得がいきます。

そう考えると、なんだか苦しみというものも、まんざらでもなく、むしろ貴重な体験なのかもしれませんね。

そんなことを考えた春の一日でした。
苦しみも悪くないかも、と思ったりして、ある意味「解脱の境地」。
では、ごきげんよう!