第5章 彼方への道:5.ドータカの質問 1067〜1074

5. Dhotakamāṇavapucchā:ドータカ青年の質問

ドータカ尊者の質問は、8つのスッタで構成されています。

SN-5-5-1067

‘‘Pucchāmi taṃ bhagavā brūhi me taṃ, 
尋ねます あなたに ブッダよ 説いて 私に それを
(iccāyasmā dhotako)
と尊者 ドータカは
Vācābhikaṅkhāmi mahesi tuyhaṃ;
言葉を期待します 偉大な賢者よ あなたの
Tava sutvāna nigghosaṃ, 
あなたの 聞いて 話を
sikkhe nibbānamattano’’.
学ぶ 消滅を・自己の

尊者ドータカ:
ブッダよ、
あなたにお尋ねします
私にそれを教えてください。
偉大なる賢者よ、
あなたの言葉を待ち望んでいます
あなたのお話を聞いて
自我の消滅を学びたいのです。

解説

nibbānamattano = nibbānaṁ + attano:「涅槃・自己の」。ニッバーナとは「涅槃」のことですが、その言葉には、「消滅、存在の消滅、人間の情熱の消滅、無我の境地または最終的な聖化」という意味があります。ここでは「消滅・自己の自我の消滅」と解釈しました。

SN-5-5-1068

‘‘Tenahātappaṃ karohi, 
もしそうならば 行いなさい
(dhotakāti bhagavā) 
ドータカよ とブッダは
idheva nipako sato;
ここに・ただ 賢明に 注意して
Ito sutvāna nigghosaṃ, 
これより 聞いて 話を
sikkhe nibbānamattano’’.
学ぶ 消滅を・自己の

ブッダ:
ドータカよ、
であれば、この場でただ
賢明に注意深くありなさい。
これから話すことを聞いて
自我の消滅を学びなさい。

SN-5-5-1069

‘‘Passāmahaṃ devamanussaloke, 
私は見る 神々と・人間の・世界に
akiñcanaṃ brāhmaṇamiriyamānaṃ;
無所有の バラモンが・振る舞うのを
Taṃ taṃ namassāmi samantacakkhu, 
その あなたに 帰依します すべてを・見通す
pamuñca maṃ sakka kathaṃkathāhi’’.
解放して下さい 私を 釈迦よ 疑惑から

尊者ドータカ:
私は神々と人間の世界で
バラモンが何もとらわれずに
振る舞うのを見ています。
私はあなたに帰依します
すべてを見通す、お釈迦様、
私を疑惑から解放してください。

解説

ドータカは、涅槃に至ったバラモンを見ても、どこかで解脱を疑っているようです。

SN-5-5-1070

‘‘Nāhaṃ sahissāmi pamocanāya, 
ない・私は 耐える 解放する
kathaṃkathiṃ dhotaka kañci loke;
疑り深い人を ドータカ 誰か この世の
Dhammañca seṭṭhaṃ abhijānamāno, 
ダンマを 最上の 認識するならば
evaṃ tuvaṃ oghamimaṃ taresi’’.
このように 君は 激流を 渡るだろう

ブッダ:
ドータカよ、
私はこの世の
誰であろうとも
疑り深い人を
解放することはできない。
君が最上のダンマを
学んだならば
君は激流を渡るだろう。

解説

たとえブッダであっても、解脱を疑っている人を導くことはできません。まずは自分自身で自分の疑惑を晴らさないことには、涅槃への道は始まりません。

SN-5-5-1071

‘‘Anusāsa brahme karuṇāyamāno,
指導してください ブラフマーよ 憐みの・心で
 vivekadhammaṃ yamahaṃ vijaññaṃ;
遠離の・教えを それを・私が 理解したい
Yathāhaṃ ākāsova abyāpajjamāno, 
そのように・私は 空間・ただ ない・妨げ
idheva santo asito careyyaṃ’’.
ここに・ただ 寂静に なく・依存 行きたい

尊者ドータカ:
ブラフマーよ、
私を憐れに思って
私が理解できるように
遠離の教えを
指導してください。
そして私が
まるで空気のように自由に
この世をただ穏やかに
独りで歩んで行きたいのです。

解説

brahmāブラフマー(梵天)。ヴェーダの聖典や古代インドの哲学書『ウパニシャッド』に説かれる、宇宙の源「ブラフマン(全ての存在に浸透している神聖な知性)」を神格化した現れ。ブッダが悟りを完成させた時に、それを人々に説くよう懇願したのが、このブラフマーです。 

vivekadhamma: viveka(遠離の)+ dhamma(教え)。

遠離(おんり)」とは、人里離れて隠遁生活を送ることだと思いがちですが、実際に修行者が遠く離れなければならないのは、自分の心身を乱す存在です。自分の心身を乱す存在に出会ったとき、そこから離れて心を平静に保たなければなりません。物理的に山中に籠もって、環境からまず身体を離すのもひとつの方法ですが、心が離れなければ意味がありません。そうして心を常に平静に保つ訓練をする。これが「遠離の教え」です。

ドータカは「何にも邪魔されずに、ただ穏やかな心で、何にも依存しないで、独りで修行したい」から、それを実践するために「遠離の教え」を指導してほしい、とブッダにお願いしています。

社会や他者との関係を控え、ひたすらに己の心を観詰め、煩悩を排除し、解脱に至ることで

SN-5-5-1072

‘‘Kittayissāmi te santiṃ, 
説明しよう あなたに 寂静を
(dhotakāti bhagavā) 
ドータカよ とブッダは
diṭṭhe dhamme anītihaṃ;
見た結果の 真実を ない・伝聞では
Yaṃ viditvā sato caraṃ, 
それを 知って 気づき 歩む
tare loke visattikaṃ’’.
超えるのです この世の 執着を

ブッダ:
ドータカよ、
人から伝え聞いた話ではなく
私が実際に体験した真実を
寂静について君に説明しよう。
それを理解して
気づきをもって歩み
この世の執着を克服しなさい。

解説

このスッタは1059のスッタ(メッタグーの質問に対するブッダの答え)とほぼ一緒です。「santiṃ(寂静を)」が1059では「dhammaṃ(ダンマを)」になっています。

SN-5-5-1073

‘‘Tañcāhaṃ abhinandāmi, 
そしてそれを私は 喜ぶ
mahesi santimuttamaṃ;
偉大な賢者よ 寂静を・最高の
Yaṃ viditvā sato caraṃ, 
それを 知って 気づき 歩む
tare loke visattikaṃ’’.
超えるのです この世の 執着を

尊者ドータカ:
偉大なる賢者よ、
最高の寂静を
説明していただけるとは
私は嬉しいです。
それを理解し
気づきをもって歩み
この世の執着を克服します。

解説

これもメッタグーの反応1060と「寂静を」以外は同じです。

SN-5-5-1074

‘‘Yaṃ kiñci sampajānāsi, 
それは 何であれ 意識するものは
(dhotakāti bhagavā)
ドータカよ とブッダは
Uddhaṃ adho tiriyañcāpi majjhe;
上に 下に 横に・そして・また 中に
Etaṃ viditvā saṅgoti loke, 
これらに 知って 束縛を この世の
bhavābhavāya mākāsi taṇha’’nti.
生存から生存について しないように 渇望を と

ブッダ:
ドータカよ、
君が意識するものは
何であっても、
上だとか下だとか
同じだとか判断せず
中立であること。
これがこの世における
束縛となると知って、
繰り返される生存を
渇望しないように。

このようにブッダは言いました。

解説

ここでもメッタグーに説明した教え1061と同じく、「自分より優れている、自分より劣っている、自分と同じ、と判断せずに公平中立に接すること」。「その判断こそが、この世における束縛となる」ということです。

メッダグーはこの後、ブッダに「ずっと諭してくれ」とお願いしましたが、ドータカ は理解したようです。これを聞いた瞬間に、アラハンになったのかもしれません。

Dhotakamāṇavapucchā pañcamī niṭṭhitā.
ドータカ・青年・質問 5番目 終わり

5. ドータカ 青年の質問 終わり