5. Dhotakamāṇavapucchā:ドータカ青年の質問
ドータカ尊者の質問は、8つのスッタで構成されています。
SN-5-5-1067
‘‘Pucchāmi taṃ bhagavā brūhi me taṃ, 尋ねます あなたに ブッダよ 説いて 私に それを (iccāyasmā dhotako) と尊者 ドータカは Vācābhikaṅkhāmi mahesi tuyhaṃ; 言葉を期待します 偉大な賢者よ あなたの Tava sutvāna nigghosaṃ, あなたの 聞いて 話を sikkhe nibbānamattano’’. 学ぶ 消滅を・自己の
尊者ドータカ:
ブッダよ、
あなたにお尋ねします
私にそれを教えてください。
偉大なる賢者よ、
あなたの言葉を待ち望んでいます
あなたのお話を聞いて
自我の消滅を学びたいのです。
解説
nibbānamattano = nibbānaṁ + attano:「涅槃・自己の」。ニッバーナとは「涅槃」のことですが、その言葉には、「消滅、存在の消滅、人間の情熱の消滅、無我の境地または最終的な聖化」という意味があります。ここでは「消滅・自己の=自我の消滅」と解釈しました。
SN-5-5-1068
‘‘Tenahātappaṃ karohi, もしそうならば 行いなさい (dhotakāti bhagavā) ドータカよ とブッダは idheva nipako sato; ここに・ただ 賢明に 注意して Ito sutvāna nigghosaṃ, これより 聞いて 話を sikkhe nibbānamattano’’. 学ぶ 消滅を・自己の
ブッダ:
ドータカよ、
であれば、この場でただ
賢明に注意深くありなさい。
これから話すことを聞いて
自我の消滅を学びなさい。
SN-5-5-1069
‘‘Passāmahaṃ devamanussaloke, 私は見る 神々と・人間の・世界に akiñcanaṃ brāhmaṇamiriyamānaṃ; 無所有の バラモンが・振る舞うのを Taṃ taṃ namassāmi samantacakkhu, その あなたに 帰依します すべてを・見通す pamuñca maṃ sakka kathaṃkathāhi’’. 解放して下さい 私を 釈迦よ 疑惑から
尊者ドータカ:
私は神々と人間の世界で
バラモンが何もとらわれずに
振る舞うのを見ています。
私はあなたに帰依します
すべてを見通す、お釈迦様、
私を疑惑から解放してください。
解説
ドータカは、涅槃に至ったバラモンを見ても、どこかで解脱を疑っているようです。
SN-5-5-1070
‘‘Nāhaṃ sahissāmi pamocanāya, ない・私は 耐える 解放する kathaṃkathiṃ dhotaka kañci loke; 疑り深い人を ドータカ 誰か この世の Dhammañca seṭṭhaṃ abhijānamāno, ダンマを 最上の 認識するならば evaṃ tuvaṃ oghamimaṃ taresi’’. このように 君は 激流を 渡るだろう
ブッダ:
ドータカよ、
私はこの世の
誰であろうとも
疑り深い人を
解放することはできない。
君が最上のダンマを
学んだならば
君は激流を渡るだろう。
解説
たとえブッダであっても、解脱を疑っている人を導くことはできません。まずは自分自身で自分の疑惑を晴らさないことには、涅槃への道は始まりません。
SN-5-5-1071
‘‘Anusāsa brahme karuṇāyamāno, 指導してください ブラフマーよ 憐みの・心で vivekadhammaṃ yamahaṃ vijaññaṃ; 遠離の・教えを それを・私が 理解したい Yathāhaṃ ākāsova abyāpajjamāno, そのように・私は 空間・ただ ない・妨げ idheva santo asito careyyaṃ’’. ここに・ただ 寂静に なく・依存 行きたい
尊者ドータカ:
ブラフマーよ、
私を憐れに思って
私が理解できるように
遠離の教えを
指導してください。
そして私が
まるで空気のように自由に
この世をただ穏やかに
独りで歩んで行きたいのです。
解説
brahmā:ブラフマー(梵天)。ヴェーダの聖典や古代インドの哲学書『ウパニシャッド』に説かれる、宇宙の源「ブラフマン(全ての存在に浸透している神聖な知性)」を神格化した現れ。ブッダが悟りを完成させた時に、それを人々に説くよう懇願したのが、このブラフマーです。
vivekadhamma: viveka(遠離の)+ dhamma(教え)。
「遠離(おんり)」とは、人里離れて隠遁生活を送ることだと思いがちですが、実際に修行者が遠く離れなければならないのは、自分の心身を乱す存在です。自分の心身を乱す存在に出会ったとき、そこから離れて心を平静に保たなければなりません。物理的に山中に籠もって、環境からまず身体を離すのもひとつの方法ですが、心が離れなければ意味がありません。そうして心を常に平静に保つ訓練をする。これが「遠離の教え」です。
ドータカは「何にも邪魔されずに、ただ穏やかな心で、何にも依存しないで、独りで修行したい」から、それを実践するために「遠離の教え」を指導してほしい、とブッダにお願いしています。
社会や他者との関係を控え、ひたすらに己の心を観詰め、煩悩を排除し、解脱に至ることで
SN-5-5-1072
‘‘Kittayissāmi te santiṃ, 説明しよう あなたに 寂静を (dhotakāti bhagavā) ドータカよ とブッダは diṭṭhe dhamme anītihaṃ; 見た結果の 真実を ない・伝聞では Yaṃ viditvā sato caraṃ, それを 知って 気づき 歩む tare loke visattikaṃ’’. 超えるのです この世の 執着を
ブッダ:
ドータカよ、
人から伝え聞いた話ではなく
私が実際に体験した真実を
寂静について君に説明しよう。
それを理解して
気づきをもって歩み
この世の執着を克服しなさい。
解説
このスッタは1059のスッタ(メッタグーの質問に対するブッダの答え)とほぼ一緒です。「santiṃ(寂静を)」が1059では「dhammaṃ(ダンマを)」になっています。
SN-5-5-1073
‘‘Tañcāhaṃ abhinandāmi, そしてそれを私は 喜ぶ mahesi santimuttamaṃ; 偉大な賢者よ 寂静を・最高の Yaṃ viditvā sato caraṃ, それを 知って 気づき 歩む tare loke visattikaṃ’’. 超えるのです この世の 執着を
尊者ドータカ:
偉大なる賢者よ、
最高の寂静を
説明していただけるとは
私は嬉しいです。
それを理解し
気づきをもって歩み
この世の執着を克服します。
解説
これもメッタグーの反応1060と「寂静を」以外は同じです。
SN-5-5-1074
‘‘Yaṃ kiñci sampajānāsi, それは 何であれ 意識するものは (dhotakāti bhagavā) ドータカよ とブッダは Uddhaṃ adho tiriyañcāpi majjhe; 上に 下に 横に・そして・また 中に Etaṃ viditvā saṅgoti loke, これらに 知って 束縛を この世の bhavābhavāya mākāsi taṇha’’nti. 生存から生存について しないように 渇望を と
ブッダ:
ドータカよ、
君が意識するものは
何であっても、
上だとか下だとか
同じだとか判断せず
中立であること。
これがこの世における
束縛となると知って、
繰り返される生存を
渇望しないように。
このようにブッダは言いました。
解説
ここでもメッタグーに説明した教え1061と同じく、「自分より優れている、自分より劣っている、自分と同じ、と判断せずに公平中立に接すること」。「その判断こそが、この世における束縛となる」ということです。
メッダグーはこの後、ブッダに「ずっと諭してくれ」とお願いしましたが、ドータカ は理解したようです。これを聞いた瞬間に、アラハンになったのかもしれません。
Dhotakamāṇavapucchā pañcamī niṭṭhitā. ドータカ・青年・質問 5番目 終わり
5. ドータカ 青年の質問 終わり