第2章 小さな章:12. ニグローダカッパ 前文

12. Nigrodhakappasuttaṃ ニグローダカッパのスッタ集 前文

Nigrodhakappa(ニグローダカッパ)とは、ブッダの弟子の1人です。

このスッタ集のタイトルは「ニグローダカッパ」となっていますが、ニグローダカッパ 本人の問答集ではありません。ニグローダカッパの弟子だったヴァンギーサが、ニッグローダカッパについて、ブッダに質問したものです。

ヴァンギーサについて

vaṅgīsaヴァンギーサ(またはワンギーサ)。パーリ語の「va」は「ヴァ」とも「ワ」とも読みますが、当サイトでは「ヴァ」とします。

ヴァンギーサは、亡くなった人の頭蓋骨を叩いて、その人がどの界に生まれ変わったかがわかるという超常能力(vijja)を持っていました。全インドを遊行し、 人々の親類縁者の輪廻転生先を占ってお金を得ていました。

ある時ヴァンギーサは、ブッダが滞在中のサーヴァッティにやって来ました。人々がこぞってブッダに会いに行くのを見て、ヴァンギーサもブッダを訪ねます。

ブッダは「あなたは亡くなった人の頭蓋骨をたたいて、 生まれ変わった世界がわかると言うが、本当ですか?」と尋ねました。

ヴァンギーサが「その通りです」と答えると、ブッダは弟子に、死者の頭蓋骨を5つ持ってこさせました。

ヴァンギーサは、4つの頭蓋骨については、次々と「地獄、動物、人間、天界に輪廻転生した」と、誤りなく占って見せました。しかし、5つめのアラハンの頭蓋骨だけは転生先がわかりませんでした。ヴァンギーサが5つ目の頭蓋骨について尋ねると、ブッダは、

「それはあなたにはわからない。 私だけが知る領域で、 出家しなければ教えられない」と答えました。

ヴァンギーサはその場でブッダに帰依し、出家を願い出ました。そこでブッダは、そばにいたニグローダカッパを師として委ね、ヴァンギーサを出家させました。

その後ヴァンギーサはアラハンとなりました。言葉巧みで、ブッダの話を即座に詩にして詠むことができたので、ブッダは彼を「私の弟子たちの中で、vācā(言語)īsa(第一人者)弁才の第1人者」と讃めました。

※ヴァンギーサについては、インド仏教の研究者であり、東洋大学名誉教授の森章司氏の論文を参考にさせていただきました。

前文

Evaṃ me sutaṃ 
このように 私は 聞いた
– ekaṃ samayaṃ bhagavā āḷaviyaṃ viharati aggāḷave cetiye. 
ある 時期 世尊は アーラヴィ地方に 住む アッガーラヴァ 廟に
Tena kho-pana samayena āyasmato vaṅgīsassa upajjhāyo
 それ故 しかし 時 尊者 ヴァンギーサの 師匠は 
nigrodhakappo nāma thero aggāḷave cetiye aciraparinibbuto hoti. 
ニグローダカッパ 名 長老は アッガラーヴァ 廟に まもない・般涅槃 なった
Atha-kho āyasmato vaṅgīsassa rahogatassa paṭisallīnassa 
そこで 尊者は ヴァンギーサ 人知れず 独坐する
evaṃ cetaso parivitakko udapādi –
このように 心 考察 生起
‘‘parinibbuto nu kho me upajjhāyo udāhu no parinibbuto’’ti? 
消滅 かどうか 実に 私の 師匠は 或いは ない 消滅
Atha-kho āyasmā vaṅgīso sāyanhasamayaṃ 
そこで 尊者 ヴァンギーサは 夕方に
paṭisallānā vuṭṭhito yena bhagavā tenupasaṅkami; 
独坐所 出て そこから 世尊の 滞在場所に
upasaṅkamitvā bhagavantaṃ abhivādetvā ekamantaṃ nisīdi. 
近づいた 世尊の 対して・語る 一方に 座った
Ekamantaṃ nisinno kho āyasmā vaṅgīso bhagavantaṃ etadavoca –
一方に 座って 実に 尊者 ヴァンギーサは 世尊に こう言った
‘‘idha mayhaṃ, bhante, rahogatassa paṭisallīnassa 
此界に 私の 尊者よ 人知れず 独坐する
evaṃ cetaso parivitakko udapādi – 
このように 心 考察 生起
‘parinibbuto nu kho me upajjhāyo, 
消滅 かどうか 実に 私の 師匠は
udāhu no parinabbuto’’’ti. 
或いは ない 消滅 と
Atha-kho āyasmā vaṅgīso uṭṭhāyāsanā 
そこで 尊者 ヴァンギーサは 立ち上がり
ekaṃsaṃ cīvaraṃ katvā yena bhagavā tenañjaliṃ 
肩に 衣を 掛けた の所に 世尊の そのままで
paṇāmetvā bhagavantaṃ gāthāya ajjhabhāsi –
手を向けた 世尊を尊い 偈によって 語った

このように私は聞きました。

ある時、世尊はアーラヴィ地方のアッガーラヴァ廟に滞在していました。ちょうどその頃、ヴァンギーサ尊師の師であるニグローダカッパという名の長老が、亡くなったばかりで、涅槃を達成したところでした。尊者ヴァンギーサが独りで瞑想していると、このような考えが思い浮かびました。

「私の師匠は完全に消滅したのだろうか、それとも完全には消滅していないのだろうか」

夕刻になると、尊者ヴァンギーサは独坐室から出てきて世尊のところに行き、敬礼をしてから離れて座り、世尊にこう言いました。

「ひとりで瞑想していた時、こんな思考が浮かびました。私の師匠が完全に消滅したのか、完全には消滅していないのか、と」

それから、尊者ヴァンギーサは立ち上がり、衣を片方の肩にかけ、世尊の方に向かって合掌し、立ったまま詩を詠んで質問しました。

解説

āḷavīアーラヴィ地方。サーヴァッティから30ヨージャナの町。サーヴァッティとラージャガハの間に位置する地方です。ブッダは何度かアーラヴィに滞在し、町の近くにあったアッガーラヴァ廟に滞在しました。

aggāḷava cetiyaアッガーラヴァ廟。「cetiya 廟(びょう)」とは、自然の洞窟であった場所に、苦行者や出家僧が住みつくことによって、僧院や礼拝堂となっていった場所です。アッガーラヴァ廟は、元々は異教徒の礼拝場所でしたが、後に仏教のヴィハーラ(石窟寺院)に改修されました。ブッダは遍歴の途中、何度もここに立ち寄り、僧侶が地面を掘ったり、木を切ったりすることを禁じたそうです。

paṭisallāna独坐室としましたが、石窟寺院群のようなところにある瞑想用セル(個室)のような場所をイメージしました。

parinibbutaparinibbāti の過去分詞。parinibbānaは、仏教用語では「般涅槃(はつねはん)」と音写されています。完全なる涅槃という意味です。

完全なる涅槃とは、悟りの最終段階である涅槃に到達したアラハンが、肉体の死を迎えて、涅槃を達成した状態です。生命体としての輪廻を脱しているので、肉体の死と同時に次の生命に生まれ変わることはなく、肉体は消滅し、精神は完全なる涅槃を達成します。

さらにパーリ語を分解すると、pari(円、完成)+ni(無)、vāti(吹く=息を出す)になります。人は死ぬ瞬間は息を吸って終わり(息を引き取る)、生まれる瞬間に息を吐くことから始まるので、「息を出すことなく完成」=「生まれることなく完了」という意味だと解釈できます。

nibbāna=涅槃」という観点で翻訳すると、どうしても涅槃という状態や行先としての場所があるように誤解しがちですが、涅槃という言葉は後から出た概念であって、ブッダが語ったのは、単に「再び生まれない」ということだったように思います。

さて、ヴァンギーサに思い浮かんだ考えは、亡くなった師匠が涅槃を完成させて、完全に消滅したのか、それとも未完でまだ何らかの存在の要素が残っているのかということです。

アラハンであったニグローダカッパ は当然、生まれ変わることはありませんので、4つの欲界に行くことも、何らかの存在の要素が残っている領域(ブラフマー界)に行くこともなく、それを渡ったのですから完全なる消滅のはずです。

余談

ところで、ヴァンギーサの超常能力ですが、最初は「なんじゃそれ?」と思いましたが、これはまんざら嘘でもないように思います。

人は、死ぬ瞬間の波動と同じ波動の領域に生まれ変わるそうです。もし、頭蓋骨を叩いた時に響く音、つまり振動波にその違いがあるのなら、その波動の違いを聞き分けることができれば、死後の行き先を4択で当てることができるかもしれません。

ブッダ以外の人には、ヴァンギーサが答える行先が正しいかどうか確認のしようがありませんが、ブッダには当然わかります。

ヴァンギーサはアラハンの頭蓋骨の行先はわからない、と正直に答えたのですから、嘘つきのインチキではないと思うのです。他の4つを正確に言い当てたのは、彼の経験則であり、アラハンの頭蓋骨は初めての波動だったのでしょう。あるいは波動が全く感じられなかったのかもしれません。

頭蓋骨を叩く機会はなかなかありませんが、ちょっと試してみたくなりますね。ならないか(笑)。

次からヴァンギーサの質問が始まります。