第3章 大きな章:11. ナーラカ 序編 684〜703

11. Nālakasuttaṃ: Vatthugāthā ナーラカ:序編

このスッタ集は全部で45スッタありますが、2部構成になっています。序編の20スッタ(684〜703)は、ナーラカ が出家する根拠となったアシタ仙人の予見です。本編の25スッタ(704〜728)は、出家したナーラカ35年後にブッダとなったゴータマに出会い、教えを授かった時のやり取りです。

ナーラカの叔父であるアシタ仙人は、ゴータマ・シッダッタの父、スッドーダナ王の老師でした。ある日、天界の神々が大喜びしているのを見て、その理由を尋ねます。

SN-3-11-684

Ānandajāte tidasagaṇe patīte, 
歓喜・生じた 30・天衆 満足した
sakkañca indaṃ sucivasane ca deve;
サッカ・と 神々の帝王 浄衣を着て と 神々が
Dussaṃ gahetvā atiriva thomayante, 
衣を 手にして 非常に 讃美しているのを
asito isi addasa divāvihāre.
アシタ 仙人は 見た 食後の休息で

三十天の衆が
満ち足りた様子で
大喜びしていました。
神々の王サッカと神々が
艶やかな衣に身を包み
衣をひるがえし
絶賛している姿を
アシタ仙人は
食後の休息中に見ました。

解説

divāvihāre(食後の休息において):昼食後の仮眠中に見た「夢うつつ」のようなものだと思います。どうして昼間に寝るんだ? と思うかもしれませんが、本気の出家者の場合は、周囲の波動が静かな夜に一晩中瞑想して、夜が明けて人々が活動し始めると、托鉢に出かけます。

SN-3-11-685

Disvāna deve muditamane udagge, 
見て 神々を 喜ぶ・心で 踊躍する
cittiṃ karitvāna idamavoca tattha;
心を 為して これを・言った そこで
"Kiṃ devasaṅgho atiriva kalyarūpo, 
なぜ 神の・集団は 非常に 喜ぶ・様子は
dussaṃ gahetvā ramayatha kiṃ paṭicca.
衣を 手にして 振っている 何 のために

神々が舞い上がって
喜ぶのを見て
心の中でこう言いました。
「神々が集まって衣を手に振り
大喜びするとは何ごとか?」

SN-3-11-686

"Yadāpi āsī asurehi saṅgamo, 
の時に・でも あった 阿修羅・まさに 交流
jayo surānaṃ asurā parājitā.
勝利は 神が 阿修羅の 敗北した
Tadāpi netādiso lomahaṃsano, 
その時・も ない・こんなに 毛の・立つ
kimabbhutaṃ daṭṭhu marū pamoditā.
何・未曾有を 認識して 神は 喜ぶ

アシタ:
まさに阿修羅との
合戦で神が勝利し
阿修羅が敗れた時でも
こんなに喜んではいなかった。
神々は一体何を見て
これほど喜んでいるのか?

解説

Sura(シュラ)天神Asura(アシュラ)非天神阿修羅です。

阿修羅はかつて、須弥山の頂上にあるTāvatiṃsa(三十三天=天上界の名称)に、他の神々と共に住んでいました。サッカ神が神々の王になった時、阿修羅は「surā(シュラー)」をたくさん飲んで祝いました。しかしこの酒は非常に強く、サッカ神が他の神々に飲むことを禁じていたものでした。サッカ神は怒って、酔った阿修羅を須弥山から投げ落とし、sura神からasura非神となったそうです。投げ捨てられた須弥山の麓は、阿修羅の存在領域である阿修羅界となりました。

その後も、天神と阿修羅の争いがたびたびありましたが、サッカ神と阿修羅の王・Vepacitti(ヴェーパチッティ)の娘が恋に落ち、阿修羅はサッカ神の義父になったそうです。

このスッタの「saṅgama(合戦)」が、まさに修羅場だったのかもしれません。

SN-3-11-687

"Seḷenti gāyanti ca vādayanti ca, 
口笛を吹く 歌う と 音楽を奏でる と
bhujāni phoṭenti ca naccayanti ca;
腕を 触れて と 踊り と
Pucchāmi vohaṃ merumuddhavāsine, 
尋ねる・私は あなたたちに 須弥山の・上に・住む
dhunātha me saṃsayaṃ khippa mārisā".
除去 私の 疑問を 急速に 我が友よ

口笛を吹き歌い
音楽を奏でて
腕を組んで踊っている。
私はメール山の頂上に住む
あなたたちにお尋ねします。
我が友よ、
私の謎を至急
解いてください。

解説

Meru(メール・須弥山)は、天神たちの住む最高峰の山の名前です。Seḷenti は「口笛を吹く・叫ぶ・騒ぐ」という意味です。「ひゅーひゅー!」といった感じでしょうか?

SN-3-11-688

"So bodhisatto ratanavaro atulyo, 
彼は ブッダ・七 宝・高貴な 無比類
manussaloke hitasukhatthāya jāto;
人間界に 利益・幸福のために 生まれた
Sakyāna gāme janapade lumbineyye, 
シャーキヤ族の 村に 地方に ルンビニーの
tenamha tuṭṭhā atiriva kalyarūpā.
それ故・私たちは 満足し 非常に 喜ぶ・様子

神:
7人目のサンマー・サン・ブッダ
高貴な宝、比類なき人が
利益と幸せをもたらすために
人間界のルンビニ地方
釈迦族の村に生まれたのです。
ですから私たちは大満足で
とても嬉しいんです。

解説

Bodhisatta(ブッダ・7)は、一般的には「菩薩」と訳すようですが、ここでは過去七仏に基づく7人目のサンマー・サン・ブッダだと解釈しました。ブッダの生誕地ルンビニは、現在はネパール領です。

SN-3-11-689

"So sabbasattuttamo aggapuggalo, 
彼は 全ての・衆生の・最上 首位の人
narāsabho sabbapajānamuttamo;
人の・最上位 全ての知識・最高
Vattessati cakkamisivhaye vane, 
転じるだろう 輪を・仙人・名の 森で
nadaṃva sīho balavā migābhibhū".
吼える・ように 獅子が 強い 百獣の王の

あらゆる存在の中で
最も優れた、卓越した人
最高の知識を知る人です。
強い百獣の王のライオンが
まるで吠えるかのように、
仙人の名がついた森で
法輪を回すでしょう。

解説

仙人の名がついた森とは「Isipatana(イシ・パタナ)仙人が集まる所」のことです。サールナート(鹿野苑)とも呼び、ヴァラナシ(ベナレス)の北東10kmの位置にあり、ブッダが35歳の時にブッダガヤで悟りを開いた後、五比丘最初の説法を行った場所です。生誕地ルンビニ・覚醒地ブッダガヤ・最期地クシナガラと共に、ブッダの四大聖地の1つとなっています。

SN-3-11-690

Taṃ saddaṃ sutvā turitamavasarī so, 
それを 声を 聞いて 急いで・降りてきた 彼は
suddhodanassa tada bhavanaṃ upāvisi;
スッドーダナの その 場所に 近づいた
Nisajja tattha idamavocāsi sakye, 
座っている そこで これ・言う シャーキヤたちに
"kuhiṃ kumāro ahamapi daṭṭhukāmo".
どこに 童子は 私も 見る・したい

その声を聞いて(アシタは)
急いで(山から)降りて
スッドーダナ王がいる
宮殿に向かいました。
そこに座っていた釈迦族たちに
こう言いました。
「王子はどこに?
私もお目に掛かりたい」

SN-3-11-691

Tato kumāraṃ jalitamiva suvaṇṇaṃ, 
その後 童子を 輝く・ような 善・容姿の
ukkāmukheva sukusalasampahaṭṭhaṃ;
松明・顔・ごとく とても・巧み・洗練された
Daddallamānaṃ siriyā anomavaṇṇaṃ, 
燦然と輝く 神々しい 優れた・容貌
dassesu puttaṃ asitavhayassa sakyā.
見せた 男児を アシタ・という名の シャーキヤは

すると見るからに麗しい
輝くような王子を、
神々しく巧みで洗練され
満面がたいまつのように
煌々と輝く美しい風貌の男児を
王はアシタという名の
(仙人に)見せました。

解説

ここでのシャーキヤ(釈迦)はスッドーダナ王のことです。

SN-3-11-692

Disvā kumāraṃ sikhimiva pajjalantaṃ, 
見て 童子を 焔の・ごとく 燃え上がる
tārāsabhaṃva nabhasigamaṃ visuddhaṃ;
星の・王・のごとく 天空を・行く 清浄で
Sūriyaṃ tapantaṃ saradarivabbhamuttaṃ, 
太陽が 輝いている 秋・のような・雲・離れる
ānandajāto vipulamalattha pītiṃ.
歓喜・生じて 広大な・得た 喜びを

焔のように燃え盛る王子を見て
天空にきらめく
星の王(月)のように清らかで
秋の雲一つない空に
太陽が輝いているかのようで
(アシタ仙人は)
果てしない喜びを得て
嬉しさでいっぱいになりました。

SN-3-11-693

Anekasākhañca sahassamaṇḍalaṃ, 
多数の・枝・と 千の・円輪の
chattaṃ marū dhārayumantalikkhe;
日傘を 風神が 有する・空中に
Suvaṇṇadaṇḍā vītipatanti cāmarā, 
持つ・金・棒を 上下する 払子
na dissare cāmarachattagāhakā.
ない 見える 払子・日傘・持者

たくさんの柄に千の輪がついた
日傘を風神が空中で
(王子に)かざし、
金の柄の払子が
上下に揺れていました。
払子と日傘を持つ者の姿は
(人々には)見えませんでした。

解説

Cāmara払子(ほっす)は、棒の先にヤクの尻尾がついたハタキのようなもので、ハエや蚊などの虫を追い払う道具です。ヤクは、ヒマラヤ山脈地方の標高4000〜6000メートルの高地に生息する牛のような動物で、ネパールの山岳地帯で荷物を運ぶ家畜です。

天界の神々が尊い赤ちゃんのために日除けをかざし、虫を追い払ってお世話していたのですね。

SN-3-11-694

Disvā jaṭī kaṇhasirivhayo isi, 
見て 結髪の カンハシリと称される 仙人
suvaṇṇanikkhaṃ viya paṇḍukambale;
金色の・首飾りを のような 黄色の・毛布で
Setañca chattaṃ dhariyanta muddhani, 
白い・と 日傘を 保持 頭上に
udaggacitto sumano paṭiggahe.
高まる・心は 幸せいっぱい 受け取った

カンハシリという名の
結髪の仙人は
金の首飾りのような
黄色の毛布(に包まれた)
(王子)を見て
胸が高まり幸せに溢れて
頭に白い日除けを被った
(王子を)受け取りました。

解説

ここには書かれていませんが、この時、王は赤ちゃんを仙人に見せて、お辞儀させようとしたところ、赤ちゃんの足が動いて、アシタ仙人の頭の上に乗ったそうです。

SN-3-11-695

Paṭiggahetvā pana sakyapuṅgavaṃ, 
受け取り また 釈迦・最上者を
jigīsato lakkhaṇamantapāragū;
欲求する 相・マントラ・精通した人
Pasannacitto giramabbhudīrayi, 
喜びの・心で 声を立てた
"anuttarāyaṃ dvipadānamuttamo".
無上の 二足の・最上者

釈迦の王子を抱いた(仙人は)
ヴェーダの聖典にある特相を探し
喜びの声を上げて言いました
「これは無上の、最上の人間だ」

解説

akkhaṇamantapāragū:マントラ(ヴェーダの聖典)に伝わる特相=三十二相のことです。詳細は、スッタニパータ第3章「7. セーラ」をご覧ください。

SN-3-11-696

Athattano gamanamanussaranto, 
時に・自分の 行くこと・思いながら
akalyarūpo gaḷayati assukāni;
不愉快な・様子で 落とす 涙を
Disvāna sakyā isimavocuṃ rudantaṃ,
見て シャーキヤ 仙人に・言った 泣いている
"No ce kumāre bhavissati antarāyo".
かどうか もし 童子に あるだろう 障害

(アシタ仙人は)
自分の行く先を思いながら
不服な様子で涙を流しました。
泣いている仙人を見て王は
「王子に障害でもあるのか?」
と尋ねました。

解説

老師であるアシタ仙人が王子を抱いて泣き出したのですから、スッドーダナ王は不安に思います。

SN-3-11-697

Disvāna sakye isimavoca akalye, 
見て シャーキヤを 仙人・言った 不愉快な
"nāhaṃ kumāre ahitamanussarāmi;
ない・私は 童子に 不利益を・思いながら
Na cāpimassa bhavissati antarāyo, 
ない また・も・これ だろう 障害は
na orakāyaṃ adhimānasā bhavātha.
ない 劣る・身体の 上に・心を あるように

不機嫌そうな王を見て
仙人は言いました。
『私は王子の不遇を思って
(泣いて)いるのではない。
また、障害があるわけでもない。
身体の不具合はないので
気を取り直しなさい』

SN-3-11-698

"Sambodhiyaggaṃ phusissatāyaṃ kumāro, 
完全に・覚る・最高の 到達するだろう・この 童子は
so dhammacakkaṃ paramavisuddhadassī;
彼は ダンマの・輪を 最高の・純粋な・見る
Vattessatāyaṃ bahujanahitānukampī, 
転じるだろう・この 多く・人々・不利益を・憐み
vitthārikassa bhavissati brahmacariyaṃ.
広く・知られる あるだろう 清浄な行いは

アシタ仙人:
この王子は完全なる悟りの
頂点に到達するだろう。
最高に純粋な者が見る
ダンマの輪を彼は回すだろう
多くの人々の不幸を憐れんで
その清らかな行いは
広く知られるだろう。

解説

完全なる悟りの頂点とは、涅槃に到達(アラハン)するだけではなく、3種類あるブッダの最高頂であるサンマー(完全なる)・サン(正しい)・ブッダに到達するということです。詳細はこちら

SN-3-11-699

"Mamañca āyu na ciramidhāvaseso, 
私の・しかし 寿命 ない 長い・この・残余は
athantarā me bhavissati kālakiriyā;
時に・渡る 私の なるだろう 死亡
Sohaṃ na sossaṃ asamadhurassa dhammaṃ, 
それ私は ない 聞ける 無・同じ・先導者の ダンマを
tenamhi aṭṭo byasanaṃgato aghāvī".
それ故・実に 苦悩ある 不幸・であり 苦しみ・有る

アシタ仙人:
しかし私の寿命は残りわずかで
(王子が)覚る時には
私は死んでいるだろう。
二度とない導きである
ダンマを聞けないのは
私には耐え難いことで
だから実に不幸せで
嘆き苦しんでいるのだ。

解説

アシタ仙人にとって、サンマーサンブッダが説くダンマを聴けないことは、この上なく残念なことだったのです。

SN-3-11-700

So sākiyānaṃ vipulaṃ janetvā pītiṃ, 
彼は 釈迦族の・人々に 広大な 与えた 喜びを
antepuramhā niggamā brahmacārī;
内宮から 出て去った 修行生活のために
So bhāgineyyaṃ sayaṃ anukampamāno, 
彼は 姉妹の子に 自らを 憐れみ
samādapesi asamadhurassa dhamme.
託した 無・同じ・先導者の ダンマを

釈迦族の人々に多大な喜びを
もたらした仙人は
修行に戻るため
宮殿から去りました。
自らを憐れんだ仙人は
妹の息子に
二度とない導きである
ダンマを託すことにしました。

解説

アシタ仙人は、自分がダンマを聞くチャンスがなくても、妹の息子(ナーラカ)に自分の代わりにダンマを聞かせようと考えます。

SN-3-11-701

"Buddhoti ghosaṃ yada parato suṇāsi, 
ブッダ・存在 声を その時に 後に 聞く
sambodhipatto vivarati dhammamaggaṃ;
完全なる覚りを得た人は 明らかにする ダンマの・道を
Gantvāna tattha samayaṃ paripucchamāno, 
行って そこに 自ら 質問する
carassu tasmiṃ bhagavati brahmacariyaṃ".
歩け 彼において 世尊と共に 修行生活を

アシタ仙人:
将来、ブッダがいる。
サン・ブッダがダンマの道を
明らかにしている、
という声を聞いたなら
そこに行って自ら質問しなさい
そして彼のもとで世尊と共に
修行生活を歩みなさい。

解説

アシタ仙人が甥のナーラカ に語った言葉です。

SN-3-11-702

Tenānusiṭṭho hitamanena tādinā, 
それ故・教えられた 有益を・この そのような
anāgate paramavisuddhadassinā;
未来に 最高の・清浄の・見る
So nālako upacitapuññasañcayo, 
彼は ナーラカは 積まれた・功徳・集積
jinaṃ patikkhaṃ parivasi rakkhitindriyo.
勝者を 対・見る 完全に・住む 守り・感官を


最高に清らかな未来を
予見する者(アシタ仙人)から
有益な情報を教えられ
ナーラカは功徳を積みながら
勝者(ブッダ)を待ち望み
感覚器官を守って
完璧に暮らしました。

解説

一説では、ナーラカはブッダが現れるまでの35年以上、ヒマラヤの麓に篭って独りで修行生活を送り、ブッダの出現を待ち続けたそうです。一説によるとその35年間、沈黙を続けたそうですが、このスッタを読む限り、眼耳鼻舌身心に気をつけつつ、功徳も積んだようですが、沈黙し続けたかどうかまではわかりません。ナーラカと「6. サビヤ」は、たぶんお知り合いですね。

SN-3-11-703

Sutvāna ghosaṃ jinavaracakkavattane, 
聞いて 声を 勝者が・優れた・輪を・転じる
gantvāna disvā isinisabhaṃ pasanno;
行って 見て 仙人・人主に 浄信者は
Moneyyaseṭṭhaṃ munipavaraṃ apucchi, 
ムニの・行を・最高の ムニに・最上の 質問した
samāgate asitāvhayassa sāsaneti.
会う時に アシタと称される人の 教えが・と

優れた勝者が法輪を回している
という声を聞いて
清く信じる人(ナーラカ)は
そこに行って仙人が語った
人間の王を見ました。
アシタと称する人の教えが
現実となり(ナーラカは)
最高のムニの心得を
最上のムニに質問しました。

解説

35年の月日が流れて、ついにナーラカはアシタ仙人の教えの通り、ブッダの会って直接質問することが実現しました。おめでとう! ナーラカがブッダに会ったのは、五比丘に初めて説法した7日後だそうです。

Vatthugāthā niṭṭhitā.
根拠の・偈経 終わり

序編 終わり