第4章 8つのこと:12. まとめ(小) 884〜892

12. Cūḷabyūhasuttaṃ まとめ(小)①

12番目のスッタ集は「Cūḷa(小さな)まとめ(byūha)」ブッダの教えのまとめ(小)です。

このスッタ集のテーマは、人々が主張し、論争の原因となっている「真理」についてです。「真理はただ1つ」のはずなのに、世の中には多くの異なる真理(宗派)が存在します。いったいどれが本当の真理なのでしょう? そもそも真理とは何なのでしょう?

SN-4-12-884

Sakaṃsakaṃdiṭṭhiparibbasānā, 
自分の・自分の・意見・別々に住む
viggayha nānā kusalā vadanti;
論破されて 種々に 巧みだと 語る
Yo evaṃ jānāti sa vedi dhammaṃ, 
人は このように 知る 彼は 知った ダンマを
idaṃ paṭikkosamakevalī so.
これを 非難する・ない・達成した人 彼は

各々の意見に固執して
各々に自分が正しいと主張し
「これを理解する者は
ダンマを知っていて
これを非難する者は
達成者ではない」と言う。

解説

このスッタでブッダは、論争者が自分は正しいと思い込み、他の論者は間違っていると決めつける態度を批判しています。論争は、人が自分の意見に凝り固まることを助長します。すべての凝り固まった意見は、その内容の真偽に関わらず、各自の色眼鏡で判断された各々の真理でしかありません。

SN-4-12-885

Evampi viggayha vivādayanti, 
このように・も 論破され 論争する
bālo paro akkusaloti cāhu;
愚者は 他者は ない・熟練者では また言う
Sacco nu vādo katamo imesaṃ, 
真実は 一体 主張は どれが これらの
sabbeva hīme kusalā vadānā.
すべて なぜならこれらは 正しいと 語る

このようにして言い争いとなり
「他は愚かで未熟だ」と言う。
自分こそが正しいと主張するが
このうち一体どの主張が真実なのか。

解説

論争者はお互いに、相手を愚かで未熟者、相手の意見は正しくないと言い合って、驕り、争い、なりふり構わなくなり、「自分以外はみんなバカ」と思うようになります。それぞれが正しいと主張する真理が、論争者の数だけある中で、どの主張が真理なのでしょう?

SN-4-12-886

Parassa ce dhammamanānujānaṃ, 
他人の もし ダンマを認めないなら
bālomako hoti nihīnapañño; 
愚かな・馬鹿で ある 下等な智慧の者
Sabbeva bālā sunihīnapaññā, 
すべて・ようだ 愚かな とても下等な智慧の者
sabbevime diṭṭhiparibbasānā.
これらすべてが 意見に固執する

もし他の教義を認めない者が
愚かで馬鹿な低能ならば、
彼らはみな自分の意見に
固執しているのだから
すべてが非常に低能で愚か
ということになる。

解説

自分は正しいと主張する人は、他の意見を認めないにも関わらず「他(自分)の教義を認めない者は、愚かで馬鹿で低能だ」と主張します。この人は、自分の説が正しいと主張して「他(相手)の教義を認めない」人ですから、その本人自身が「愚かで馬鹿で低能」ということになります。

SN-4-12-887

Sandiṭṭhiyā ceva na vīvadātā, 
自分の見解によって もし・また ない・清らかに
saṃsuddhapaññā kusalā mutīmā;
清浄の智慧者 善人に 覚者になるなら
Na tesaṃ koci parihīnapañño, 
ない 彼らの 誰も 智慧の劣った人で
diṭṭhī hi tesampi tathā samattā.
意見は なぜなら 彼らの そのように 完全である

もし自分の主張によって
浄化され、純真な智慧を持ち
善良な覚醒者となるのなら
低能はひとりもいなくなる。
なぜなら彼らの主張は
完璧に正しいはずだから。

解説

自分の主張が正しいと言う人々は、その主張の通りにすれば浄化され、真理に達した覚醒者になるわけで、そうなるとこの世には低能な人はひとりもいなくなるはずです。

SN-4-12-888

Na vāhametaṃ tathiyanti brūmi, 
ない 決して私はこれは 正しいと 言う
yamāhu bālā mithu aññamaññaṃ; 
それを・言う 愚者と 対立して 互いに
Sakaṃsakaṃdiṭṭhimakaṃsu saccaṃ, 
自分の・自分の・意見を・なす 真理だ
tasmā hi bāloti paraṃ dahanti.
それ故に 実 愚者と 他者を 決めつける

互いに愚かだと対立して
「これが正しい」と言いあうが
私は決してそうは言わない。
自分の意見が真理だとすることは
他を愚かだと決めつけることになる。

解説

真理はただ1つなのですから、対立する2つは存在しません。それが自然の法則です。主張が対立するということは、どちらの主張も真理ではないということです。

SN-4-12-889

Yamāhu saccaṃ tathiyanti eke, 
言うことを 真理だと 事実だと ある人が
tamāhu aññe tucchaṃ musāti; 
それを・言う 異なる 虚偽の 偽り
Evampi vigayha vivādayanti, 
このように 対立して 論争する
kasmā na ekaṃ samaṇā vadanti.
なぜに ない 1つを 修行者たちは 説く

ある者が真理、事実と言うことを
他の者が虚偽、偽りだと言うから
意見が対立して争いになる。
なぜ修行者たちは同じ意見を
説かないのだろうか。

解説

信仰や知性に基づいて考えられた真理は、常にそれぞれに違いがあります。それぞれの色眼鏡で解釈したものだから、決して同じになることはないのです。これもまた真理です。なぜ、1つの同じ見解にならないのでしょう?

SN-4-12-890

Ekañhi saccaṃ na dutīyamatthi, 
なぜなら・1つ 真理は ない 2つ
yasmiṃ pajā no vivade pajānaṃ;
それについて 人々は ない 論争 知見
Nānā te saccāni sayaṃ thunanti, 
種々の 彼らは 真理を 自ら 讃える
tasmā na ekaṃ samaṇā vadanti.
それ故に ない 1つを 修行者たちは 説く

真理は1つで、2つはない。
それを知る人々は
論争することはない。
論争者は賞賛されたくて
各々の異なる真理を説くのだから
同じ見解を説くことはない。

解説

真理は1つであることが、まず真理です。この事実を知らない人は、「真理は1つしかない」ことを知らないのですから、唯一無二の真理を説くことはできないはずです。
 
ブッダは、真偽を定めようとしたり、ある考え方が他の考え方よりも真実に近いことを否定しているのではありません。論争者の議論の目的が、真理に到達することではなく、人々の賞賛を得ることにあることを指摘しているのです。

同じ見解を説いたのでは、賞賛は得られません。だから1つの同じ見解にはならないのです。

人には多かれ少なかれ、「賞賛されたい、尊重されたい」という欲求、つまり他者から「正しいと認められたい」という「承認欲」があります。自分は価値がある存在だと確認したいのです。これは、そもそもが自分を他と比較しているから起こるもので、その価値に自信が持てないから生じる欲求です。

SN-4-12-891

Kasmā nu saccāni vadanti nānā, 
なぜに 一体 真理を 論ずる 種々に
pavādiyāse kusalā vadānā;
議論者たちは 巧みと 言って
Saccāni sutāni bahūni nānā, 
真理を 聞いた 多くを 種々の
udāhu te takkamanussaranti.
あるいは 彼らは 推論に・従うのか

論争者が自分が正しいと主張する
真理がなぜいくつもあるのか。
異なる多くの真理を聞いたのか
あるいは自分で考えたのか。

解説

論争者たちが主張するそれぞれの真理は、いろいろな真理を聞いた結果なのでしょうか? それとも自分で考え出したものなのでしょうか?
 
真理は、人が考え出すことではなく、経験によって人が気づく自然の法則であり、誰にとっても同じ法則です。例えば「火に触れると火傷する」といった、誰でも同じ結果になると認める事実が真理です。

SN-4-12-892

Na heva saccāni bahūni nānā, 
ない 実に・まさに 真理は 多く 種々の
aññatra saññāya niccāni loke;
他所で 思考による 常の この世に
Takkañca diṭṭhīsu pakappayitvā, 
推論を・また 見解によって 妄想して
saccaṃ musāti dvayadhammamāhu.
真理だ 虚偽だ 2つの・ダンマを・言う

異なるたくさんの真理が
あるはずはない。
この世にあるのは
想像の産物でしかない。
想像した妄想の見解によって
彼らは真理だ、虚偽だと
2つの真理を言っている。

解説

この世に、さまざまな真理があるように見えるのは、各々がよいと思う個人的な考えを、真理だと言っているに過ぎません。
 
もし本当の真理を知っていれば、同じただ1つの真理を説くはずで、真理以外の説を聞いても、それを真理だとは思わないので、真理が複数あることにはありません。つまり、真理だと思って語る人も、それを真理だと思って聞く人も、本当の唯一無二の真理を理解していないのです。

火に触れると火傷する」という真実=自然の法則=真理を、まだ何も知らない子供に、「火傷するから危ないよ」と教えても、それは頭で想像した現象でしかありません。実際に火に触れて、「熱い! 痛い!」という感覚を経験してはじめて「火に触れると火傷する」という事実=真理を知るのです。
 
真理は実は、難しい理屈ではなく、とても簡単で自然で誰にでもわかることなのです。論証するほどの難しいことではありません。自分の身体を使って、感覚で確認できることです。