第2章 小さな章:10. 奮起 333〜336

10. Uṭṭhānasuttaṃ 奮起のスッタ集

uṭṭhānaとは、起立、起床、奮起、努力など、停滞から外れて起き上がる状態です。このスッタ集はスッタが4つしかありませんが、怠け者の比丘たちにブッダが言った言葉です。

SN-2-10-333

Uṭṭhahatha nisīdatha, 
起きなさい 坐りなさい
ko attho supitena vo;
何か 利益 睡眠によって 君達に
Āturānañhi kā niddā, 
病んでいる者達に 何 睡眠
sallaviddhāna ruppataṃ.
矢に・射られて 打破された

起きて坐りなさい。
眠っていて君たちに
どんな利益があるのか。
矢に射られてもがく者が
どうして眠れるのか。
心を病む者たちが
眠って何になる。

解説

怠けてないで坐って、瞑想修行しなさいということです。身体に矢が刺さっていたら、その痛さで眠れないはずです。それなのに、心に矢が刺さって苦悩する者が、眠っていられるのか、ということです。

これは怠けて坐ろうとしない比丘だけでなく、瞑想しているつもりで、ついつい眠っている人も要注意です。深い瞑想に入ると半覚醒状態になるので、意識的に常に気づきを保たないと、姿勢を正したまま爆睡状態になってしまうのです。「起きて坐る」とは、「しっかり目覚めて、気づきをもって坐る」ということなのです。

SN-2-10-334

Uṭṭhahatha nisīdatha, 
起きなさい 坐りなさい
daḷhaṃ sikkhatha santiyā;
しっかり 訓練する 寂静のために
Mā vo pamatte viññāya, 
なかれ あなた達が 怠惰 認識し
maccurājā amohayittha vasānuge.
死の・王 迷わせるだろう 従属する

起きて坐りなさい。
涅槃のために
しっかり訓練しなさい。
死の王は君たちが怠慢だと知り
心を惑わせるだろう
屈することがないように。

解説

ゴエンカ式のヴィパッサナー瞑想では、朝晩1時間ずつの瞑想を日々実践するよう推奨されます。さらに、朝は目覚めてから5分間布団の中で、夜は布団に入ってから眠りにつくまでサティ(気づき)を実践するよう求められます。この朝の5分が……。死の王の揺り籠のようなものですね。

SN-2-10-335

Yāya devā manussā ca, 
何であれ 神々 人間たち と
sitā tiṭṭhanti atthikā;
依存している 立っている 欲求を
Tarathetaṃ visattikaṃ, 
渡れ・この 執着
khaṇo vo mā upaccagā;
瞬間 実に なかれ 過ぎ去る
Khaṇātītā hi socanti, 
好機を逃す 実に 嘆く
nirayamhi samappitā.
地獄に 引き渡されて

何であれデーヴァの神々と
人間が依存している欲求を、
執着を克服しなさい。
一瞬も無駄にするな。
好機を逃した者は
地獄に引き渡されて
嘆くことになる。

解説

デーヴァの神々は人間界よりも幸福な状態で生きる天界の存在ですが、天界人間界と同様に感覚のある世界、つまり欲のある欲界の領域です。だから人間と同じく、執着があります。

は、6つの感覚器官を通して接触する刺激に対して、心地良いと感じれば好き、心地悪ければ嫌い、という感覚を生じます。そして、好きなものをもっと見たい、ずっと触れていたいといった欲求が心に生じます。その望みが思い通りにならなければ不満で苦しみ、思い通りになれば、好きなものがずっと存在して欲しいと、満足な状態を維持することに執着します。

また、嫌いなものは見たくない、消えて欲しいという欲求が心に生じると、その望みが思い通りにならなければ不満で苦しみ、思い通りになっても、満足な状態を維持するために不安・心配が生じるのです。満足感は永遠に持続することはないので、欲求が心にある限り、心は常に苦しむことになるのです。

SN-2-10-336

Pamādo rajo pamādo, 
怠惰は 汚れ 怠惰は
pamādānupatito rajo;
怠惰によって生じる 汚れ
Appamādena vijjāya,
懸命に 明知によって
abbahe sallamattanoti.
引き抜くべし 矢・自分の

怠惰は汚れであり
怠惰は怠惰によって
生じる汚れである。
懸命に智慧によって
自分の矢を引き抜きなさい。

解説

怠惰そのものが汚れであるだけでなく、怠惰によって心の浄化が先延ばしになって、さらに汚れが溜まる、ということです。心に溜まる汚れとは、欲・怒り・無知の3つです。この汚れがたまらないように、毎日、心を洗い流す掃除が「瞑想」です。

Uṭṭhānasuttaṃ dasamaṃ niṭṭhitaṃ.
奮起の・スッタ集 10番目・終わり

10. 奮起のスッタ集 終わり

まとめ

瞑想も慣れてしまうと、なかなか奮起できずに怠惰に流れるのが人の常です。それを打破する助けのひとつとなるのが「サンガ(出家者の集団=坐る仲間)」だと思います。

一所懸命に坐る仲間を見れば、刺激と影響を受けて自分も頑張れるものです。つまり、やっぱり人間には、良くも悪くも刺激が必要なのですね。