第4章 8つのこと 11. 争いと口論 868〜875

11. Kalahavivādasuttaṃ 争いと口論 ①

第4章「8つのこと」の11番目は「Kalaha(争い・喧嘩・揉めごと)vivāda(口論)」がテーマです。人を悩ます「争いと口論」の原因について、ブッダが答えます。

SN-4-11-868

‘‘Kutopahūtā kalahā vivādā, 
どこから・来るのか 争いは 口論は
paridevasokā sahamaccharā ca;
悲しみ・憂いは 共に・妬みは と
Mānātimānā sahapesuṇā ca, 
慢心・過慢は 共に・中傷は と
kutopahūtā te tadiṅgha brūhi’’.
どこから・来るのか それらは それをどうか 述べて下さい

争いや口論
嘆きや悲しみそして妬みは
どこから生じるのですか?
慢心と傲慢そして中傷は
どこから生じるのですか?
どうか教えてください。

解説

争い、口論、嘆き、悲しみ、物惜しみ、慢心、過度な慢心、中傷はどこから生じるのでしょうか? この原因についてブッダが答えます。このスッタ集もブッダの自問自答形式のようです。

SN-4-11-869

‘‘Piyappahūtā kalahā vivādā,
好きから起こる 争いは 口論は
Paridevasokā sahamaccharā ca;
悲しみ・憂いは 共に・物惜しみは と
Mānātimānā sahapesuṇā ca,
慢心・過慢は 共に・中傷は と
Maccherayuttā kalahā vivādā;
物惜しみに結びつき 争いは 口論は
Vivādajātesu ca pesuṇāni’’.
口論が起これば と 中傷が

「好き」から
争いと口論が生じる。
悲しみと嘆きは
物惜しみと共に生じ
慢心と傲慢は中傷と共に生じ
争いと口論は物惜しみに結びつき
口論すれば誹謗中傷となる。

解説

Piya(ピヤ)好き・気に入っている・快い」という意味です。好きになる対象は、3種類あります。人や動物などの生き物・物・思考の3つです。何かが好きということは、その人の主観的な考えによって、何かを特別視することです。勝手に自分の都合で判断しているだけで、物事をありのままに見ていません。
 
好き・お気に入り」はポジティブで一見良い行動のように思えますが、「自己中心的な愛着や愛執の対象」です。これは単なる独占です。つまり物惜しみと同じなのです。

物惜しみは、単にケチなだけでなく、好きなものを「自分のもの」にしておきたいという占有欲から生じます。好きなお菓子を自分だけで食べたい、好きな人を自分だけのものにしたい、好きな土地を自分だけの領土にしたい、という独占に結びついて争いは起きるのです。

好きなもの・欲しいものは無限にありますが、実際に手に入れられるものはわずかです。欲しいものが得られないと、人は失望感を感じて、生きることがつまらなくなり、面白くなくなります。

また、好きなものがなくなると嘆き悲しむことになるので、自分だけのものとして大切に守りたいと思います。「大切に守る占有欲」なのです。しかし、物も人も必ず変化するので、好きなものをいくら守っても、変化していつかは消えてしまいます。これはとても嫌なことなので、そのことを思うと憂い・悲しみが生じます。

好きな人や財産・立場・仕事などが、他者に奪われることもあります。そのときは強い怒りや嫉妬を感じ、攻撃できると思ったならば他者と争い、攻撃できないと思ったら、悲観的になり、落ち込んだりします。しかしこれらの問題はすべて、心が作った幻想から生まれた「心の中の動き」でしかないのです。

SN-4-11-870

‘‘Piyā su lokasmiṃ kutonidānā, 
好きは 一体 この世において どこから・原因として
ye cāpi lobhā vicaranti loke;
彼らは そしてまた 欲は 蔓延る この世を
Āsā ca niṭṭhā ca kutonidānā, 
願望 と 結果は と どこから・原因として
ye samparāyāya narassa honti’’.
それらが 来世のために 人々の 存在

「好き」とはこの世で
一体何から生じるのですか?
また、この世に蔓延る
欲の原因は?
人々が来世に願望を抱き
その結果が現れるのは
何が原因なのですか?

解説

好きという感情はどこから生じるのか、私たちの欲はどこから生じるのか。「今度生まれ変わったらこうなりたい」と来世に希望を抱き、来世に再び誕生するのはどうしてなのか、という質問です。

SN-4-11-871

‘‘Chandānidānāni piyāni loke, 
衝動が原因 好きなものは この世で
ye cāpi lobhā vicaranti loke;
彼らが またも 欲は 蔓延る この世で
Āsā ca niṭṭhā ca itonidānā,
願望 と 結果は と これを原因として
ye samparāyāya narassa honti’’.
それらは 来世のために 人の 存在

この世において「好きなもの」
また、この世に蔓延る欲は
衝動が原因で生じている。
願望と結果も衝動から生じ
それらの衝動が原因で
人は来世に存在する。

解説

「この世の『好き』も『』も『願望と結果』も衝動のエネルギーから生じて、それが輪廻転生のエネルギー源となって、人が来世に生まれ変わる原因となる」という意味です。自分の行いが自分を生み出します。私たちがどのような行為をするかによって、死の瞬間にその類似の種類の衝動が頭をもたげ、次の人生の原因となります。

好きなものには「見たい」という「chanda(チャンダ)衝動・意欲・やる気」が起きます。心にこの「」の衝動が起きると、人は「好きだ、いいね!」と解釈します。
 
心は常に何かに触れることを期待しています。よい経験をしたい、幸せになりたい、安らぎを感じたいと思っても、これは「物質に触れたい」という「」と同じなのです。

この時、嫌な面は見えていません。お気に入りのものを、ありのままを見ないで、心の中で自分に都合よく解釈して幻想をつくっているのです。人それぞれが、好き勝手に思い描くので、同じものを見たり聞いたりしても、それぞれの理解や感覚などで全く違った幻想が人の数だけ作り出されます。完璧に一致する同じ幻想はあり得ません。このような働きの結果として、すべての生命に「」という概念が成り立ちます。

SN-4-11-872

‘‘Chando nu lokasmiṃ kutonidāno, 
意欲は 一体 世において どこから・原因として
vinicchayā cāpi kutopahūtā; 
判断は と・また どこから・起こる
Kodho mosavajjañca kathaṃkathā ca, 
怒りは 偽りの言葉と 疑い と
ye vāpi dhammā samaṇena vuttā’’.
それら あるいはまた ダンマは 出家者によって 説かれた

では「衝動」は一体
なにが原因で起こるのですか?
また、人の判断は
どこから生じるのですか?
怒り・偽り・疑い
あるいは出家者が説く真理は
どこから生じるのですか?

解説

この質問の後半は、答えを知っている人でないとできない唐突な質問です。

SN-4-11-873

‘‘Sātaṃ asātanti yamāhu loke, 
快 不快 と呼ぶ この世で
tamūpanissāya pahoti chando;
それによって 起こる 意欲が
Rūpesu disvā vibhavaṃ bhavañca, 
物質において 見て 消滅を 生成を・と
vinicchayaṃ kubbat jantu loke.
判断を 行う 人は この世で

快・不快によって
この世でその衝動が生じる。
姿形あるものを見ては
なくなるとか生じるとか
この世で人は判断をする。

解説

衝動が生じるのは、欲の対象である「Rūpa ルーパ・物体」があるからです。しかし、ただ物質があるだけでは「」は発生しません。その姿形ある物体を見たり、聞いたり、触った時に、つまり接触した時に、快・不快を感じるから衝動が発生します。

このときヒトの身体内では生化学反応が起き、快・不快を感じると同時に神経伝達物質が放出されて、衝動が起こっている状態です。詳細はこちら

人は、見たもの、聞いたもの、嗅いだもの、味わったもの、身体で感じたもの、考えたもの、について、好きか嫌いか、あるいはどちらでもないと判断します。もし「好き」という判断になったら、その対象に執着し、を抱きます。「好きなものがもっとたくさんあってほしい、なくならないで欲しい」と大切に守ろうとするのです。

SN-4-11-874

‘‘Kodho mosavajjañca kathaṃkathā ca, 
怒りは 偽りの言葉は 疑い と
etepi dhammā dvayameva sante;
これらも ダンマは 2つの ある
Kathaṃkathī ñāṇapathāya sikkhe, 
疑り深い人は 智慧の・道によって 学びなさい
ñatvā pavuttā samaṇena dhammā’’.
知って 説かれた 出家者によって ダンマは

怒り・偽り・疑い
これらも快・不快の
あるところに生じるのが
真理です。
疑り深い人は
出家者によって説かれた
真理を知って
智慧の道で学びなさい。

解説

嫌い」も好きと全く同じ原理です。人が何かを「嫌いだ」と思うときには、必ず「怒り・偽り・疑い」の心が伴います。心に怒りがあると、何でも「嫌だ、嫌いだ、気に入らない、ダメだ、悪い」という反発心を抱きます。偽りが心にあればそれを隠すために、疑っていれば何でも「ダメだ、違う、悪い」と判断します。この時、良い面は全く見えていないのです。

私たちは、自分が知っている世界以外のことは知らないので、自分が思い描く「幻想の世界(主観)」が、「正しい」と思い違いをします。これによって、意見が同じ人に対しては快を感じて「欲や執着」が生じ、意見の違う人に対しては不快を感じて「怒りや嫌悪」が生じ、その結果、他者との対立が起こるのです。

人間関係で生ずる様々な問題は、自分の主観が正しいという錯覚が原因です。お互いにそれぞれの主観(私は正しい、相手は間違っている)に、しがみついているから生じる問題なのです。