第2章 小さな章:4. 幸せ ① 261〜266

4. Maṅgalasuttaṃ 幸せのスッタ集 ①

Maṅgala(マンガラ)とは、「吉祥、良い兆し、幸福・繁栄」という意味です。

「Bhavatu Sabba Mangalam(バーヴァトゥ サッバ マンガラン)生きとし生けるものが幸せでありますように」のマンガラ(幸せ)です。

「縁起がいいこと」でもあり、人が生きる上で、他の存在との関係が縁となって起因して、幸も不幸も結果を招きます。その因縁がよいことが「幸せ」を招きます。

このスッタ集には前文がつきますが、第1章「6. 破滅のスッタ集の前文と全く同じです。

前文

Evaṃ me sutaṃ – ekaṃ samayaṃ bhagavā sāvatthiyaṃ viharati jetavane anāthapiṇḍikassa ārāme. Atha kho aññatarā devatā abhikkantāya rattiyā abhikkantavaṇṇā kevalakappaṃ jetavanaṃ obhāsetvā yena bhagavā tenupasaṅkami; upasaṅkamitvā bhagavantaṃ abhivādetvā ekamantaṃ aṭṭhāsi. Ekamantaṃ ṭhitā kho sā devatā bhagavantaṃ gāthāya ajjhabhāsi –

私はこのように聞きました。

ブッダがサーヴァッティの近くにある、ジェータ林苑のアナータピンディカの僧院(祇園精舎)に滞在中のある日のことです。夜も更けた頃、あるデーヴァ神が美しい輝きを放ってジェータ林苑を照らしながら、ブッダのもとへ近づいてきました。彼女は敬礼して横に立ち、立ったまま、ブッダに向かって詩で語りかけました。

解説

ブッダの日課は、午前6時から始まり、午前のお務め、午後のお務め、夜のお務めと続き、22時〜午前2時の深夜の時間帯は、デーヴァ神やブラフマー界の存在のために使っていたそうです。

SN-2-4-261

‘‘Bahū devā manussā ca, 
多くの デーヴァ神 人間 と
maṅgalāni acintayuṃ; 
吉祥を 考える
Ākaṅkhamānā sotthānaṃ, 
願い 幸運を
brūhi maṅgalamuttamaṃ’’.
述べる 幸せが・最上の

多くのデーヴァ神と人間は
どうしたら幸せになれるのか
考えています。
幸運を願い
最上の幸せについて
お聞かせください。

解説

maṅgalamuttamaṃ:maṅgalam+uttama=幸せ・最上の。「幸福に生きるためにはどうすればいいのか、教えてください」ということだと思います。

SN-2-4-262

‘‘Asevanā ca bālānaṃ, 
不・実践 と 愚者
paṇḍitānañca sevanā;
賢者・と 親近
Pūjā ca pūjaneyyānaṃ, 
尊う と 尊敬するべき人を
etaṃ maṅgalamuttamaṃ.
これは 幸せ

愚かな者と交流せず
賢者と親しむ
尊敬に値する人を尊う
これが幸せです。

解説

愚かな者とは、どんな人のことでしょう。ブッダはダンマパダ第5章「愚かな人の章で、次のように語っています。「私は愚かだと思っている人は、少なくともその範囲では賢明。自分は賢いと自負する人は、実に愚だ」「愚かな修行者は求めてしまうのです。他の修行者からの尊敬、僧院での権力、在家にはお布施を」とあります。

例えば、会社の上司であっても、不正を命じるような人であれば、それはキッパリと断り、一線を引くということです。

賢い人尊敬に値する人とは、どんな人でしょう? 私の思いを満たしてくれる人は、賢い人だと感じて、心を込めて尊うことができても、その人が私の思いを満たしてくれなくなった時、果たして私は、その人を賢い人だと思い続け、尊うことができるでしょうか? その賢者が、私の行動を批判しようものなら、その瞬間に、尊敬の念もスッと消えてしまうのではないでしょうか?

尊敬に値する人は、まずは両親です。何もできずに生まれてきた自分を、死なないように、寒くないように、お腹が空かないように、家や布団を整え、ご飯を与えて世話をしてくれたのは両親です。今、生きているのは間違いなく両親のおかげです。

そしていろいろな知恵を教えてくれる先生も尊敬に値する人です。尊敬の心をもって先生に接すれば、先生も親切により多くのことを教えてくれるでしょう。

いずれにせよ、人が他の存在から影響を受けて生きていることは確かです。このスッタは、何が役立つことで、何が害になるか、八正道の「正しい見方」の教えでもあります。

SN-2-4-263

‘‘Patirūpadesavāso ca, 
適切な・地方・住む と
pubbe ca katapuññatā;
過去に と 功労者
Attasammāpaṇidhi ca, 
得た・正しく・決意 と
etaṃ maṅgalamuttamaṃ.
これは 幸せ

ふさわしい環境に暮らし
過去に功徳を積み
正しい考え方をすること
これが幸せです。

解説

ふさわしい環境」とは、どんな環境でしょうか。人は他の存在から影響を受けて生きる存在なので、幸福に生きることができる環境が何より大切です。もし、それができない環境で暮らしているなら、その場所を離れた方がいいということです。

人は変化を嫌う生き物で、環境が変わるのも苦手ですが、自分のためにも家族のためにも、適切な環境を選ぶことは重要です。生まれ故郷とか、先祖代々の土地といった価値観にしがみつく必要はなく、今を生きる自分たちが幸せに暮らすために、自分たちに合った環境を選択することが一番です。

過去に功徳を積み」とは、過去世において善行を積むという意味ですが、幸福に生きるためには、あらかじめ善いことをして、徳を積んでおかなければなりません。「徳を積む」ということは、「悪いことをしていない」という意味です。いま現在において日々、良い行いを心掛ければ、それは次々と過去の功徳になるので、今から小さな良いことを積み重ねるで十分だと思います。

この教えは、八正道の「正しい考え方」になります。

SN-2-4-264

‘‘Bāhusaccañca sippañca, 
多くの・真理を・と 技術・と
vinayo ca susikkhito;
律を そして よく学ぶ
Subhāsitā ca yā vācā, 
よく説かれた と 所のもの 言葉
etaṃ maṅgalamuttamaṃ.
これは 幸せ

多くの真理と技術を
そして戒律をしっかり学び
正しい言葉で話すこと
これが幸せです。

解説

人は1人では生きていけません。生きるためには、他者の助けが必要です。より多くの助けを得るためには、積極的に勉強して知恵や技術、コミュニティのルールを学び、他者と上手にコミュニケーションを取らなくてはなりません。嘘や悪口、陰口やキツイ言い方をしていたら、誰も助けてくれません。

競争するために学ぶのではなく、「正しい見方」や「正しい考え方」を導き出すために学ぶのです。だから学生のうちだけ学んでいればいいわけではありません。死ぬまで日々が学びです。

年々新しい技術が開発され、システムもどんどん変わります。若いうちは面白くても、歳を取るとだんだん億劫になります。これが「怠け」なのです。勉強しないで怠けていると、ついていけなくなり、後輩に追い越され、自分の仕事や地位も危うくなります。勉強といっても、コツコツと日々の学びを続けていればいいのです。それを怠けるから、気づいた時には大きな差が開き、理解不能に陥ってしまうのです。

SN-2-4-265

‘‘Mātāpitu upaṭṭhānaṃ, 
父母 奉仕
puttadārassa saṅgaho;
子や妻 まとめる
Anākulā ca kammantā, 
ない・混乱 と 職業
etaṃ maṅgalamuttamaṃ.
これは 幸せ

父母の面倒をみて
妻子を養い
正しい生計を立てること
これが幸せです。

解説

両親の面倒をみることは、人として大切な務めです。自分1人で大きくなったわけではないことを肝に銘じて、その恩を一生忘れずに、感謝の気持ちをもって、お返ししなければなりません。介護だとか、認知症や徘徊だとか、考えて構える必要はないのです。ただ、自分ができることをすべてやればいいだけです。

「忙しいからそんな暇はない」という人は、親の恩を忘れているかもしれません。自分を守る存在であったはずの人が、自分よりも弱く衰えた存在であることを、直視したくないのかもしれません。いつまでも頼りにしたいのかもしれません。人は必ず老いるのです。赤ちゃんのように何もできなくなるのが自然なのです。だからオシメを取り替えて、ご飯を食べさせて、お世話をしなければいけないのです。

妻子を養う」ことも同様に、共に助け合って暮らす人を大切にするということです。妻や子供は自分の支配下にある従属者ではありません。自分を支えてくれる守るべき大切な存在です。女性であれば、夫や子供が同様に大切な存在です。

正しい生計」とは、なんでしょう。出家者でなければ、生活のためにお金が必要です。親孝行をして、妻子を養って生活するためには、なんらかの方法で生計を立てなければなりません。「正しい生計」とは、その手段が悪い行為であってはいけない、ということです。

例えば、自分は単なる事務職だったとしても、勤務先が搾取したり、銃や兵器の部品を作っていたり、他の存在を傷つける行為に、間接的であっても加担することは、社会の役には立ちません。

SN-2-4-266

‘‘Dānañca dhammacariyā ca, 
布施・と ダンマの・生き方 と
ñātakānañca saṅgaho;
親族・と まとめる
Anavajjāni kammāni,
無罪の 行為
etaṃ maṅgalamuttamaṃ.
これは 幸せ

施しをして
ダンマに従って生活し
親族を助けて
正しい行いをすること
これが幸せです。

解説

施し」とは、経済的・精神的に他者を助ける行為です。道徳的に正しい生活して、兄弟や親族が困っていたら、金銭・労力・知識などで助ける。そして悪いことはしない。これが八正道の「正しい行為」です。正しい行為とは、他の存在を傷つけない、盗みをしない、間違った性行為をしないことです。五戒のうちの3つですが、残りの2つは、264の「嘘をつかない」と次の267の「酒を断つ」です。

幸せのスッタ集 ②に続きます。