Abhi-dhamma
Abhi(アビ)とは「超越している・優れている」という意味です。
dhamma(ダンマ)とは、真理のことで、普遍的な法則であり、ブッダが説いた教えです。ダンマは、ブッダがいてもいなくても、人間が存在してもしなくても、全く変わりのない宇宙のあり方です。ブッダはこれを人々に教えましたが、ブッダが作り上げたわけではなく、瞑想によって気づいた真実を伝えただけです。
アビ+ダンマとは、「優れた真理」という意味ではありません。真理は、真理以上でも以下でもありません。アビダンマは「より深く理解するブッダの教え」という意味です。
ブッダ の教えの解説書
ブッダが説いた教えは常に、相手の素質・能力によって教え方を変える「 待機説法」でした。ブッダ は相手の資質や苦しみを瞬時に見抜き、相手が理解できるように真理を伝えたのです。怠け者には「努力の大切さ」を、頑張り過ぎの者には「力を抜くこと」を説きました。
アビダンマは、このブッダが45年間に渡って人々に言葉を変えて説いた教えを、ブッダの死後に弟子たちが分類して学びやすいようにまとめた解説書です。ブッダが語った教えでも、ブッダがまとめたわけでもありません。
そもそもブッダは、自分が語った教えを書き残すことを嫌がりました。当時、すでに文字はありましたが、このためブッダの弟子たちは、ブッダ の言葉を一語一句暗記して、口伝だけで伝えてきました。ブッダ の死後、500年後の第4回結集で初めて、ヤシの葉に書き記し、口伝の記憶から文字による記録となったくらいです。
ブッダが書かないように言ったのは、「頭で覚えなさい」ということではなく、何かを残そうとしても変化して無駄だから、私の言葉からその場で「感じなさい、気づきなさい」ということだったのではないかと思います。
「書く」という行為は、「人間の思索」そのものです。心が思考するものを、そこに留めて不変なものに確定しようとする行為です。だから、書くこと(記録)や覚えること(記憶)に注力するのではなく、「その時、自分の心に留まった真理の言葉があなたに必要な教えだから、そう感じたら気づきなさい」ということだと思います。
そんなわけで、アビダンマは思索の結集であり、ブッダ的には微妙だと思うのです。
では、弟子たちが一語一句暗記して後世に伝えたことは間違っていたのでしょうか? もちろん間違っていません。彼らが愚直に丸暗記で伝え続けてくれたおかげで、他者の主観が混らないブッダ のありのままの言葉や出来事を、2500年後の私たちが感じ取って気づくことができるのです。
物事は説明すればするほど、説明が必要になるものです。そして真理は、説明する必要がないほど明白なものです。だから本来、アビダンマは必要ないと思うのです。が、そうは言ってもまだまだ修行中の身としては、知的好奇心が旺盛で、アビダンマには知りたいことが論理的に書いてあり、「なるほど!」と思うことが多々あるのです。蛇足ではありますが、瞑想者のマニュアルとしてアビダンマも紹介していきます。(気が済んだらやめます)
目次
心の正体:心所(cetasika)
例えば、テーブルには「心」がありませんが、私たちには「心」があります。何が違うのでしょう? 素材は違っても、どちらも同じ「物体」ですが、何かが違います。それは、ものごとを認識する働きがあるかないかの違いです。テーブルは、周囲で起こる出来事に反応して対処することはありません。心とは対象を認識する働きのことです。
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死後の世界:31の存在領域
宇宙には、私たちが存在する世界以外の領域があり、さまざまな意識が集まって31の領域に分かれているそうです。これはアビダンマに基づき推測されたブッダ的な宇宙論とされていますが、インド哲学の宇宙観でもあり、ヒンドゥー教やバラモン教も同じ概念を支持しています。
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5つの障害:五蓋
瞑想修行を妨げる5つの障害についてです。瞑想に行き詰まった場合のヒントになれば幸いです。続きを読む
5つのインドリヤ
瞑想修行を助ける5つの能力です。続きを読む
Paṭiccasamuppāda:縁起
「あらゆる存在は、何かに依ってこそ生じ起こるものであり、それが生命が輪廻し生まれ続ける原因であり、また、人の苦しみの原因である」という、ブッダが35歳で悟りを完成させた際に、悟った真理です。
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