4. Mettagūmāṇavapucchā
メッタグー青年の質問
メッタグー尊者の質問は、この世の苦しみの原因についてです。12スッタで構成されています。
SN-5-4-1055
"Pucchāmi taṃ bhagavā brūhi me taṃ, 尋ねます それを ブッダに 説いて下さい 私に それを (iccāyasmā mettagū) と尊者 メッタグーは Maññāmi taṃ vedaguṃ bhāvitattaṃ; と思う あなたは ヴェーダの達人 自ら修めた人 Kuto nu dukkhā samudāgatā ime, どこから だろうか 苦しみは 発生 これらの ye keci lokasmimanekarūpā". それらは いかなる この世の・無数の・形態
メッタグー尊者:
私はあなたをヴェーダに精通し
自力で悟りを完成させた方
だと思っております。
そこでブッダにお尋ねします
私に教えてください。
この世には様々な形の
苦しみがありますが
苦しみはそもそも
どこから生じるのですか?
解説
「世の中にはいろいろな形の苦しみがありますが、そもそもその根元は何なのですか?」ということです。つまり一般的に考える苦しみの原因は、「病気で痛い、食べるものがない、人間関係がうまくいかない」といった直接的な原因ですが、メッタグーが尋ねたのは、そもそもの苦しみの根本的な原因です。
SN-5-4-1056
"Dukkhassa ve maṃ pabhavaṃ apucchasi, 苦しみの 実に 私に 根を 尋ねた (mettagūti bhagavā) メッタグーよ とブッダは Taṃ te pavakkhāmi yathā pajānaṃ; それを あなたに 説くだろう 通りに 私が知る Upadhinidānā pabhavanti dukkhā, 執着を・原因として 生じる 苦しみが ye keci lokasmimanekarūpā. それらは いかなる この世の・無数の・形態
ブッダ:
メッタグーよ、
君はまさに苦しみの
根本的な原因について
私に尋ねた。
私が知り得た通りに
君に教えよう。
この世の様々な形の苦しみは
執着が原因で生じる。
解説
苦しみの原因は「upadhi:執着=こだわり」です。ダンマパダやスッタニパータを、読んできた方にとっては聞き慣れた答えですが、余計な言葉がない分、ダイレクトに伝わります。
SN-5-4-1057
"Yo ve avidvā upadhiṃ karoti, その人は 実に ない・知恵 執着を 作る punappunaṃ dukkhamupeti mando; 繰り返し 苦しみに・到る 愚か者は Tasmā pajānaṃ upadhiṃ na kayirā, それ故に 知って 執着を ない 作る dukkhassa jātippabhavānupassī". 苦しみの 生じる・源を・観察して
ブッダ:
無知だから執着する。
愚か者は苦しみを
繰り返すことになる。
そのことを知って
心に生じる苦しみの根源を
観察して執着を作らないように。
解説
人でも物でも執着する拠り所になるものはすべて、人に苦しみを与えます。人は無知なので、物事の一側面だけを見て、それに執着します。苦しみの根源は、自分の外に原因があるのではなく、その自分自身のこだわる心です。自分の心に生じるこだわりを、ありのままに観察することで、「あ、こだわってる」と苦しみの根源に気づき、そのこだわりを捨てなさい、ということです。
SN-5-4-1058
"Yaṃ taṃ apucchimha akittayī no, ことを あなたに 私達が尋ねた 説いた 私達に aññaṃ taṃ pucchāma tadiṅgha brūhi; 他の あなたに 尋ねます それを・どうか 説いて下さい Kathaṃ nu dhīrā vitaranti oghaṃ, いかに かどうか 賢者は 超える 激流を jātiṃ jaraṃ sokapariddavañca; 誕生を 老いを 憂い・悲しみを Taṃ me muni sādhu viyākarohi, それを 私に 聖者よ どうぞ よく・説明して下さい tathā hi te vidito esa dhammo". そのように 実に あなたの 知った その ダンマは
メッタグー尊者:
私たちの質問に答えてくださり
ありがとうございました。
もう1つお尋ねしますので
どうか教えてください。
賢者はどのようにして
生と老い
悲しみと嘆きという
激流を渡るのでしょうか?
聖者よ、
あなたは真理を
ご存知なのですから
どうか私に詳しく
説明してください。
解説
ブッダは苦しみの根源と、それを乗り超えるダンマ(真理/自然の法則)を知っている人です。
SN-5-4-1059
"Kittayissāmi te dhammaṃ, 説明しよう あなたに ダンマを (mettagūti bhagavā) メッタグーよ とブッダは Diṭṭhe dhamme anītihaṃ; 見た結果の 真実を ない・伝聞では Yaṃ viditvā sato caraṃ, それを 知って 気づき 歩む tare loke visattikaṃ". 超えるのです この世の 執着を
ブッダ:
メッタグーよ、
人から伝え聞いた話ではなく
私が実際に体験した真実を
ダンマについて君に説明しよう。
それを理解して
気づきをもって歩み
この世の執着を克服しなさい。
解説
anītiha:伝聞ではなく。誰かから聞いたり、学んだりした教えではなく、ブッダが自ら体験した「dhamma(ダンマ=真実=自然の法則)」を説明しようということです。真理は自然な事実でシンプルです。それを複雑にしているのは、私たちの「無知な頭」です。
SN-5-4-1060
"Tañcāhaṃ abhinandāmi, そしてそれを私は 喜ぶ mahesi dhammamuttamaṃ; 偉大な賢者よ ダンマを・最高の Yaṃ viditvā sato caraṃ, それを 知って 気づき 歩む tare loke visattikaṃ". 超えるのです この世の 執着を
メッタグー尊者:
偉大なる賢者よ、
最高の真理を
説明していただけるとは
私は嬉しいです。
それを理解し
気づきをもって歩み
この世の執着を克服します。
解説
メッタグーは、ブッダが実際に体験したダンマを説明してくれると聞いて喜び、それを理解して、ブッダの言う通りに気づきをもって歩み、この世の執着を克服します、と宣言しています。
SN-5-4-1061
"Yaṃ kiñci sampajānāsi, それは 何であれ 意識するものは (mettagūti bhagavā) メッタグーよ とブッダは Uddhaṃ adho tiriyañcāpi majjhe; 上に 下に 横に・そして・また 中に Etesu nandiñca nivesanañca, これらに 歓喜を・また 執着を・また panujja viññāṇaṃ bhave na tiṭṭhe. 除去して 意識を 生存に ない 熱望する
ブッダ:
メッタグーよ、
君が意識するものは
何であっても、
上だとか下だとか
同じだとか判断せず
中立であること。
喜んだりこだわったりする
意識を取り除いて
生存を熱望しないように。
解説
「上に下に同じに中にある」とは、「自分より優れている、自分より劣っている、自分と同じ、と判断せずに中立に接する」ということです。「中立」とは、味方も敵対もしないで調和を保ついうことです。
sampajāna(サンパジャーナ):saṃ(共に)+pa-(徹底的に)-jñā(理解・了解・確認)=徹底的な理解と共にあること。サンパジャーナは大変重要なキーワードです。
例えば、何かを見る時に、見ていると気づくだけではなく、見えている色形に対して「優劣同」の判断を加えることなく、徹底的に感覚・感情を偏りなく理解して確認しながら見る。目が意識することで捉えた「外からの刺激」に対する自分の心の動きを徹底的に分析するということです。
あらゆる行為において、喜んだり、こだわったり、といった偏りに気づいて、自分の価値判断を加えずに理解するように、ということです。メッタグーが前のスッタで「ブッダが説明してくれるなんて嬉しい」と喜んでいたのも、NGになるのでしょうか?
SN-5-4-1062
"Evaṃvihārī sato appamatto, このように・住む 気づき ない・怠惰で bhikkhu caraṃ hitvā mamāyitāni; 修行者は 行い 捨てて 私のものという思いを Jātiṃ jaraṃ sokapariddavañca, 生を 老いを 憂い・悲しみを・と idheva vidvā pajaheyya dukkhaṃ". ここで・実に 智者は 捨てるだろう 苦しみを
ブッダ:
このように気づきをもって
怠けずに日々精進し
「私のもの」という
思いを捨てて
生きる修行者は、
生と老いを
憂いと悲しみを捨て
この世でまさに賢者となって
苦しみを捨て去るだろう。
解説
「自分より優れている、自分より劣っている、自分と同じ」と判断する時、そこには常に自分という基準があり、「私が存在」します。そして自分と関係のある人やものに対して、「私のもの」という思いが生まれ、それに人はこだわり、執着します。
SN-5-4-1063
"Etābhinandāmi vaco mahesino, これらを・私は喜ぶ 言葉を 偉大な賢者の sukittitaṃ gotamanūpadhīkaṃ; よく教えられた ゴータマよ・ない・拠り所・ことを Addhā hi bhagavā pahāsi dukkhaṃ, 確かに 実に ブッダよ 捨てた 苦しみを tathā hi te vidito esa dhammo. 通りに 何故なら あなたにより 見出された この ダンマは
メッタグー尊者:
偉大な賢者のお言葉を
私は大変嬉しく思います。
ゴータマ様、
拠り所などないことを
よくぞ説明してくれました。
ブッダよ、
あなたは自ら発見した
真理の通りに
確かにまさしく
苦しみを捨てられた。
SN-5-4-1064
"Te cāpi nūnappajaheyyu dukkhaṃ, 彼は そして・また 確かに・捨てるでしょう 苦しみを ye tvaṃ muni aṭṭhitaṃ ovadeyya; 彼らは あなたが 聖者よ なく・滞り 戒めて Taṃ taṃ namassāmi samecca nāga, それは あなたを 私は帰依します 一緒になる ナーガよ appeva maṃ bhagavā aṭṭhitaṃ ovadeyya". どうか 私も ブッダよ なく・滞り 戒めて
メッタグー尊者:
聖者よ、
あなたが絶えず
諭してくださるならば
必ずや苦しみを
捨てられることでしょう。
ナーガよ、
私はあなたに帰依して
お供いたします。
ブッダよ、どうか
私を絶えず諭してください。
解説
私もお願いしたいですが、これではブッダにおんぶに抱っこです。メッタグーは、ブッダから真理を学んだのですから、あとは実践するのみです。それなのに、帰依してお供するから、ずっと諭し続けてほしいと望んでいるのです。これって、どうなんでしょう?
このスッタでは、ブッダのことを「nāga(ナーガ)龍・象」と表現しています。
SN-5-4-1065
'Yaṃ brāhmaṇaṃ vedagumābhijaññā, ならば 私はバラモンを ヴェーダの達人と認める akiñcanaṃ kāmabhave asattaṃ; 無所有で 欲望と・生存に ない・執着 Addhā hi so oghamimaṃ atāri, 確かに 実に 彼は この激流を 渡った tiṇṇo ca pāraṃ akhilo akaṅkho. 渡った者 そして 涅槃を 強情ではない者 疑いない者
ブッダ:
私が悟りを完成したと
認めるバラモンは
何も所有せず
欲と生存に執着しない。
彼は確かにこの激流を渡り
強情ではなく疑いもなく
涅槃に渡った者である。
解説
メッタグーの希望に対して、ブッダは何も反応しなかったようです。
SN-5-4-1066
"Vidvā ca yo vedagū naro idha, 悟った人 そして 彼は ヴェーダの達人 人 ここで bhavābhave saṅgamimaṃ visajja; 生存から生存 結合を 止める So vītataṇho anīgho nirāso, 彼は 離れた・渇望を ない・苦が ない・願望が atāri so jātijaranti brūmī"ti. 渡った 彼は 生と・老いを と
ブッダ:
この世において
智慧を得て悟った人は
生存から生存へと
繰り返される
輪廻を止める。
渇望を離れた彼には
欲も苦しみもなくなり
誕生と老いを越えたのだ。
このようにブッダは言いました。
解説
この世において「私=存在」が、実体のあるものではなく概念にすぎないと、自分の身体を通して実感できれば、「存在=生存」にとらわれることもなくなり、「老いるのは嫌だ。死ぬのは怖い。もっと生きたい。今度はこんな風に生まれたい」といった執着がすべてなくなるので、生まれ変わるための強いエネルギー(渇望)が消滅し、再び生まれることはない、ということです。
Mettagūmāṇavapucchā catutthī niṭṭhitā. メッタグー・青年・質問 4番目 終わり
4. メッタグー青年の質問 終わり