第5章 彼方への道:4. メッタグー 1055〜1066

4. Mettagūmāṇavapucchā
メッタグー青年の質問

メッタグー尊者の質問は、この世の苦しみの原因についてです。12スッタで構成されています。

SN-5-4-1055

"Pucchāmi taṃ bhagavā brūhi me taṃ, 
尋ねます それを ブッダに 説いて下さい 私に それを
(iccāyasmā mettagū)
と尊者 メッタグーは
Maññāmi taṃ vedaguṃ bhāvitattaṃ;
と思う あなたは ヴェーダの達人 自ら修めた人
Kuto nu dukkhā samudāgatā ime, 
どこから だろうか 苦しみは 発生 これらの
ye keci lokasmimanekarūpā".
それらは いかなる この世の・無数の・形態

メッタグー尊者:
私はあなたをヴェーダに精通し
自力で悟りを完成させた方
だと思っております。
そこでブッダにお尋ねします
私に教えてください。
この世には様々な形の
苦しみがありますが
苦しみはそもそも
どこから生じるのですか?

解説

「世の中にはいろいろな形の苦しみがありますが、そもそもその根元は何なのですか?」ということです。つまり一般的に考える苦しみの原因は、「病気で痛い、食べるものがない、人間関係がうまくいかない」といった直接的な原因ですが、メッタグーが尋ねたのは、そもそもの苦しみの根本的な原因です。

SN-5-4-1056

"Dukkhassa ve maṃ pabhavaṃ apucchasi, 
苦しみの 実に 私に 根を 尋ねた
(mettagūti bhagavā)
メッタグーよ とブッダは
Taṃ te pavakkhāmi yathā pajānaṃ;
それを あなたに 説くだろう 通りに 私が知る
Upadhinidānā pabhavanti dukkhā, 
執着を・原因として 生じる 苦しみが
ye keci lokasmimanekarūpā.
それらは いかなる この世の・無数の・形態

ブッダ:
メッタグーよ、
君はまさに苦しみの
根本的な原因について
私に尋ねた。
私が知り得た通りに
君に教えよう。
この世の様々な形の苦しみは
執着が原因で生じる。

解説

苦しみの原因は「upadhi執着=こだわり」です。ダンマパダやスッタニパータを、読んできた方にとっては聞き慣れた答えですが、余計な言葉がない分、ダイレクトに伝わります。

SN-5-4-1057

"Yo ve avidvā upadhiṃ karoti, 
その人は 実に ない・知恵 執着を 作る
punappunaṃ dukkhamupeti mando;
繰り返し 苦しみに・到る 愚か者は
Tasmā pajānaṃ upadhiṃ na kayirā, 
それ故に 知って 執着を ない 作る
dukkhassa jātippabhavānupassī".
苦しみの 生じる・源を・観察して

ブッダ:
無知だから執着する。
愚か者は苦しみを
繰り返すことになる。
そのことを知って
心に生じる苦しみの根源を
観察して執着を作らないように。

解説

人でも物でも執着する拠り所になるものはすべて、人に苦しみを与えます。人は無知なので、物事の一側面だけを見て、それに執着します。苦しみの根源は、自分の外に原因があるのではなく、その自分自身のこだわる心です。自分の心に生じるこだわりを、ありのままに観察することで、「あ、こだわってる」と苦しみの根源に気づき、そのこだわりを捨てなさい、ということです。

SN-5-4-1058

"Yaṃ taṃ apucchimha akittayī no, 
ことを あなたに 私達が尋ねた 説いた 私達に
aññaṃ taṃ pucchāma tadiṅgha brūhi;
他の あなたに 尋ねます それを・どうか 説いて下さい
Kathaṃ nu dhīrā vitaranti oghaṃ, 
いかに かどうか 賢者は 超える 激流を
jātiṃ jaraṃ sokapariddavañca; 
誕生を 老いを 憂い・悲しみを
Taṃ me muni sādhu viyākarohi, 
それを 私に 聖者よ どうぞ よく・説明して下さい
tathā hi te vidito esa dhammo".
そのように 実に あなたの 知った その ダンマは

メッタグー尊者:
私たちの質問に答えてくださり
ありがとうございました。
もう1つお尋ねしますので
どうか教えてください。
賢者はどのようにして
生と老い
悲しみと嘆きという
激流を渡るのでしょうか?
聖者よ、
あなたは真理を
ご存知なのですから
どうか私に詳しく
説明してください。

解説

ブッダは苦しみの根源と、それを乗り超えるダンマ(真理/自然の法則)を知っている人です。

SN-5-4-1059

"Kittayissāmi te dhammaṃ, 
説明しよう あなたに ダンマを
(mettagūti bhagavā)
メッタグーよ とブッダは
Diṭṭhe dhamme anītihaṃ;
見た結果の 真実を ない・伝聞では
Yaṃ viditvā sato caraṃ, 
それを 知って 気づき 歩む
tare loke visattikaṃ".
超えるのです この世の 執着を

ブッダ:
メッタグーよ、
人から伝え聞いた話ではなく
私が実際に体験した真実を
ダンマについて君に説明しよう。
それを理解して
気づきをもって歩み
この世の執着を克服しなさい。

解説

anītiha:伝聞ではなく。誰かから聞いたり、学んだりした教えではなく、ブッダが自ら体験した「dhammaダンマ真実自然の法則)」を説明しようということです。真理自然な事実でシンプルです。それを複雑にしているのは、私たちの「無知な頭」です。

SN-5-4-1060

"Tañcāhaṃ abhinandāmi, 
そしてそれを私は 喜ぶ
mahesi dhammamuttamaṃ;
偉大な賢者よ ダンマを・最高の
Yaṃ viditvā sato caraṃ, 
それを 知って 気づき 歩む
tare loke visattikaṃ".
超えるのです この世の 執着を

メッタグー尊者:
偉大なる賢者よ、
最高の真理を
説明していただけるとは
私は嬉しいです。
それを理解し
気づきをもって歩み
この世の執着を克服します。

解説

メッタグーは、ブッダが実際に体験したダンマを説明してくれると聞いて喜び、それを理解して、ブッダの言う通りに気づきをもって歩み、この世の執着を克服します、と宣言しています。

SN-5-4-1061

"Yaṃ kiñci sampajānāsi, 
それは 何であれ 意識するものは
(mettagūti bhagavā)
メッタグーよ とブッダは
Uddhaṃ adho tiriyañcāpi majjhe;
上に 下に 横に・そして・また 中に
Etesu nandiñca nivesanañca, 
これらに 歓喜を・また 執着を・また
panujja viññāṇaṃ bhave na tiṭṭhe.
除去して 意識を 生存に ない 熱望する

ブッダ:
メッタグーよ、
君が意識するものは
何であっても、
上だとか下だとか
同じだとか判断せず
中立であること。
喜んだりこだわったりする
意識を取り除いて
生存を熱望しないように。

解説

上に下に同じに中にある」とは、「自分より優れている、自分より劣っている、自分と同じ、と判断せずに中立に接する」ということです。「中立」とは、味方も敵対もしない調和を保ついうことです。

sampajāna(サンパジャーナ):saṃ(共に)+pa-(徹底的に)-jñā(理解・了解・確認)=徹底的な理解と共にあることサンパジャーナは大変重要なキーワードです。

例えば、何かを見る時に、見ていると気づくだけではなく、見えている色形に対して「優劣同」の判断を加えることなく徹底的に感覚・感情を偏りなく理解して確認しながら見る目が意識することで捉えた外からの刺激」に対する自分の心の動きを徹底的に分析するということです。

あらゆる行為において、喜んだり、こだわったり、といった偏りに気づいて、自分の価値判断を加えずに理解するように、ということです。メッタグーが前のスッタで「ブッダが説明してくれるなんて嬉しい」と喜んでいたのも、NGになるのでしょうか?

SN-5-4-1062

"Evaṃvihārī sato appamatto, 
このように・住む 気づき ない・怠惰で
bhikkhu caraṃ hitvā mamāyitāni;
修行者は 行い 捨てて 私のものという思いを
Jātiṃ jaraṃ sokapariddavañca, 
生を 老いを 憂い・悲しみを・と
idheva vidvā pajaheyya dukkhaṃ".
ここで・実に 智者は 捨てるだろう 苦しみを

ブッダ:
このように気づきをもって
怠けずに日々精進し
「私のもの」という
思いを捨てて
生きる修行者は、
生と老いを
憂いと悲しみを捨て
この世でまさに賢者となって
苦しみを捨て去るだろう。

解説

自分より優れている、自分より劣っている、自分と同じ」と判断する時、そこには常に自分という基準があり、「私が存在」します。そして自分と関係のある人やものに対して、「私のもの」という思いが生まれ、それに人はこだわり、執着します。

SN-5-4-1063

"Etābhinandāmi vaco mahesino, 
これらを・私は喜ぶ 言葉を 偉大な賢者の
sukittitaṃ gotamanūpadhīkaṃ;
よく教えられた ゴータマよ・ない・拠り所・ことを
Addhā hi bhagavā pahāsi dukkhaṃ, 
確かに 実に ブッダよ 捨てた 苦しみを
tathā hi te vidito esa dhammo.
通りに 何故なら あなたにより 見出された この ダンマは

メッタグー尊者:
偉大な賢者のお言葉を
私は大変嬉しく思います。
ゴータマ様、
拠り所などないことを
よくぞ説明してくれました。
ブッダよ、
あなたは自ら発見した
真理の通りに
確かにまさしく
苦しみを捨てられた。

SN-5-4-1064

"Te cāpi nūnappajaheyyu dukkhaṃ, 
彼は そして・また 確かに・捨てるでしょう 苦しみを
ye tvaṃ muni aṭṭhitaṃ ovadeyya;
彼らは あなたが 聖者よ なく・滞り 戒めて
Taṃ taṃ namassāmi samecca nāga, 
それは あなたを 私は帰依します 一緒になる ナーガよ
appeva maṃ bhagavā aṭṭhitaṃ ovadeyya".
どうか 私も ブッダよ なく・滞り 戒めて

メッタグー尊者:
聖者よ、
あなたが絶えず
諭してくださるならば
必ずや苦しみを
捨てられることでしょう。
ナーガよ、
私はあなたに帰依して
お供いたします。
ブッダよ、どうか
私を絶えず諭してください。

解説

私もお願いしたいですが、これではブッダにおんぶに抱っこです。メッタグーは、ブッダから真理を学んだのですから、あとは実践するのみです。それなのに、帰依してお供するから、ずっと諭し続けてほしいと望んでいるのです。これって、どうなんでしょう?

このスッタでは、ブッダのことを「nāga(ナーガ)」と表現しています。

SN-5-4-1065

'Yaṃ brāhmaṇaṃ vedagumābhijaññā, 
ならば 私はバラモンを ヴェーダの達人と認める
akiñcanaṃ kāmabhave asattaṃ;
無所有で 欲望と・生存に ない・執着
Addhā hi so oghamimaṃ atāri, 
確かに 実に 彼は この激流を 渡った
tiṇṇo ca pāraṃ akhilo akaṅkho.
渡った者 そして 涅槃を 強情ではない者 疑いない者

ブッダ:
私が悟りを完成したと
認めるバラモンは
何も所有せず
欲と生存に執着しない。
彼は確かにこの激流を渡り
強情ではなく疑いもなく
涅槃に渡った者である。

解説

メッタグーの希望に対して、ブッダは何も反応しなかったようです。

SN-5-4-1066

"Vidvā ca yo vedagū naro idha, 
悟った人 そして 彼は ヴェーダの達人 人 ここで
bhavābhave saṅgamimaṃ visajja;
生存から生存 結合を 止める
So vītataṇho anīgho nirāso, 
彼は 離れた・渇望を ない・苦が ない・願望が
atāri so jātijaranti brūmī"ti.
渡った 彼は 生と・老いを と

ブッダ:
この世において
智慧を得て悟った人は
生存から生存へと
繰り返される
輪廻を止める。
渇望を離れた彼には
欲も苦しみもなくなり
誕生と老いを越えたのだ。

このようにブッダは言いました。

解説

この世において「私=存在」が、実体のあるものではなく概念にすぎないと、自分の身体を通して実感できれば、「存在=生存」にとらわれることもなくなり、「老いるのは嫌だ。死ぬのは怖い。もっと生きたい。今度はこんな風に生まれたい」といった執着がすべてなくなるので、生まれ変わるための強いエネルギー(渇望)が消滅し、再び生まれることはない、ということです。

Mettagūmāṇavapucchā catutthī niṭṭhitā.
メッタグー・青年・質問 4番目 終わり

4. メッタグー青年の質問 終わり