8. Hemakamāṇavapucchā ヘーマカ青年の質問
尊者ヘーマカのスッタ集は4つです。
Hemaka は、ヘマカではなくヘーマカと読みます。パーリ語では「e」と「o」は、原則として「エー」「オー」と長音になります。Gotama もゴタマではなく、ゴータマです。ただし「e」や「o」の後に、同じ子音が2つ続く場合には、促音(小さい「ッ」)になります。mettāはメーッターではなく、メッターです。
SN-5-8-1090
‘‘Ye me pubbe viyākaṃsu, 彼らは 私に 以前に 説き明かした (iccāyasmā hemako) と尊者 ヘーマカは Huraṃ gotamasāsanā; 他界で ゴータマの・教え Iccāsi iti bhavissati, こうだった と あるだろう sabbaṃ taṃ itihītihaṃ; すべて それは 伝聞 Sabbaṃ taṃ takkavaḍḍhanaṃ, すべて それは 思考の・増加 nāhaṃ tattha abhiramiṃ. ない・私は そこに 喜び
尊者ヘーマカ:
ゴータマの教えを聞く前まで
かつて私が教えられたことは
「こうだった、こうなるだろう」と
すべてが伝聞であり
すべてが推測の考えで
私はそこに喜びを
見出せませんでした。
解説
私たちは、いろいろなことを知っているようでいて、実際に自分でやってみて、そうだと知っていることは、極わずかなのかもしれません。科学的に証明されたことも、実際にはすべては推測です。
例えばある物体の長さを測り、それが1メートルだったとしても、それは推測です。私たちがメートル法で1メートルだと習ったことは、単に共通認識としてそう決められた単位に従っているだけで、実際にはある長さを1メートルだとした仮定に過ぎないからです。
SN-5-8-1091
‘‘Tvañca me dhammamakkhāhi, あなたは・そして 私に ダンマを・説いて下さい taṇhānigghātanaṃ muni; 渇望を・根絶する 聖人よ Yaṃ viditvā sato caraṃ, それを 知り 気づき 行い tare loke visattikaṃ’’. 渡る この世の 執着を
尊者ヘーマカ:
渇望を根絶するダンマを
私に教えてください。
聖人よ、
もしそれを理解し
気づきをもって行うなら
この世で執着を越えることが
できるでしょう。
解説
taṇhā(タンハー):渇望。最終的に克服すべき欲のことです。
SN-5-8-1092
‘‘Idha diṭṭhasutamutaviññātesu, この世で 見たもの・聞いたもの・考えたもの・意識したもの piyarūpesu hemaka; 好きな・形態について ヘーマカ Chandarāgavinodanaṃ, 衝動・欲望・除去 nibbānapadamaccutaṃ. 涅槃・境地・不死
ブッダ:
この世で見たり聞いたり
考えたり意識した
様々な好きなものに対して
衝動と欲望を取り除くことが
不死の涅槃の境地である。
解説
何かを見たり、聞いたり、考えたりした時に、その対象に対して「気に入った」と思う心が「Chanda(チャンダ)ひかれる衝動」です。その次に現れる心の動きが、その自分の好みのものに対して、「欲しい。自分のものにしたい。もっと〜したい」などと思う心「rāga(ラーガー)欲望」です。
「piya(ピヤ)好き」はポジティブな感情だと思いがちですが、単なる主観的な感情でしかありません。好きな対象に入れ込んでいる状態で、束縛されているのです。
自分にとって好きなもの、愛しいものが、自分を苦しませる要因であることに気づいて、好む気持ちと、欲しいと思う欲や願いを取り除くことが、涅槃への道です。街を歩いていて、すれ違った人に対して「お、可愛い」と思うのもNGなのです。
SN-5-8-1093
‘‘Etadaññāya ye satā, このことを・了知して 彼らは 気づいた人 diṭṭhadhammābhinibbutā; 見る・真理を・涅槃に至った人 Upasantā ca te sadā, 寂静な人 と 彼らは 常に tiṇṇā loke visattika’’nti. 超えた この世の 執着を と
ブッダ:
このことに気づき
悟った人は
真理を見て
涅槃に至った人であり
常に穏やかで
この世の執着を超えている。
このようにブッダは言いました。
解説
Etadaññāya=etad(このことを)+ājānāti(了知する)。了知とは、はっきりと知ること、悟ることです。ヘーマカはこの後、アラハンになりました。
Hemakamāṇavapucchā aṭṭhamā niṭṭhitā. ヘーマカ・青年・質問 8番目 終わり
ヘーマカ青年の質問 終わり