16. Piṅgiyamāṇavapucchā ピンギヤ尊者の質問
16人目である最後の質問者は、ピンギヤ尊者です。
が、ここまできて、この章の翻訳に決定的な矛盾が生じました。これまですべての質問者を「〇〇青年」と青年扱いしてきました。それは、名前の後に「māṇava=学生・青年・若いバラモン」とあったからのなのですが、最後の16人目でそれが破綻しました。その理由が、このあと判明します。
SN-5-16-1126
‘‘Jiṇṇohamasmi abalo vītavaṇṇo, 老いている・私は 弱く 容姿が衰え (iccāyasmā piṅgiyo) と尊者 ピンギヤは Nettā na suddhā savanaṃ na phāsu; 目は ない 清らかで 聴覚が ない 楽 Māhaṃ nassaṃ momuho antarāva Ācikkha dhammaṃ yamahaṃ vijaññaṃ; ない・私は 滅びる 愚かなまま 途中で 教えて下さい ダンマを その・私が 知りたい Jātijarāya idha vippahānaṃ’’. 生と・老いを ここで 放棄する
ピンギヤ:
私は老いて弱り
容貌も衰えて
目は澄んでいないし
耳もよく聞こえない。
私が愚かなまま死なないように
ダンマを教えてください。
私はこの世で誕生と老いを
克服するための
真理が知りたいのです。
解説
ピンギヤ尊者はかなりのご高齢のようです。解説書によるとこの時、120歳だったそうです。とても青年とは言えないお年です。
SN-5-16-1127
‘‘Disvāna rūpesu vihaññamāne, 見て 色形によって 悩んでいるのを (piṅgiyāti bhagavā) ピンギヤよ とブッダは Ruppanti rūpesu janā pamattā; 煽られる 色形によって 人々が わがままに Tasmā tuvaṃ piṅgiya appamatto, それ故に あなたは ピンギヤよ ない・わがままな Jahassu rūpaṃ apunabbhavāya’’. 捨てよ 色形を ない・再生するように
ブッダ:
ピンギヤよ、
肉体によって悩む
人々を見なさい。
気分次第で肉体に
煽られている人々を。
だから、ピンギヤよ
あなたは気づきを怠らずに
肉体への執着を捨てなさい。
再び生まれないように。
解説
pamatta:わがまま、勝手気ままに振舞う、気づきを怠る。人は自分の肉体に愛着をもっているので、老いて弱くなり、衰えていく肉体をなんとかできないかと悩み苦しみます。物質的な形態である肉体への執着が苦しみの原因であることを知って、肉体への執着を捨てて、再び誕生することがないように輪廻のサイクルから抜けなさい、という教えです。
SN-5-16-1128
‘‘Disā catasso vidisā catasso, 方角 4つ 四方の中間 4つの uddhaṃ adho dasa disā imāyo; 上に 下に 10の 方向 これらの Na tuyhaṃ adiṭṭhaṃ asutaṃ amutaṃ, ない あなたには ない・見るもの ない・聞くもの ない・思うもの atho aviññātaṃ kiñcanamatthi loke; また ない・認識するもの 何か・ない・存在する この世に Ācikkha dhammaṃ yamahaṃ vijaññaṃ, 説いて下さい ダンマを それを・私は 知りたいのです jātijarāya idha vippahānaṃ’’. 生と老いを ここで 捨て去ることを
ピンギヤ:
東西南北、東南、東北
西南、西北、上と下
これらの十方向において
あなたには見なかったもの
聞かなかったこと
思わなかったことはない。
この世であなたが
認識しなかったものは何もない。
真理を教えてください。
私はこの世で誕生と老いを
克服するための
真理が知りたいのです。
解説
ピンギヤ尊者は、同じ質問を繰り返しています。
SN-5-16-1129
‘‘Taṇhādhipanne manuje pekkhamāno, 渇望に・陥る 人々を 見て (piṅgiyāti bhagavā) ピンギヤよ とブッダは Santāpajāte jarasā parete; 苦悩が・生じる 老いに 負けた人々を Tasmā tuvaṃ piṅgiya appamatto, それ故に あなたは ピンギヤよ ない・怠け jahassu taṇhaṃ apunabbhavāyā’’ti. 放棄するのです 渇望を ない・再生するように と
ブッダ:
ピンギヤよ、
渇望にとらわれた
人々を見なさい。
老いにあがらって
苦悩が生じる人々を。
だからピンギヤよ
あなたは気づきを怠らずに
渇望を捨てるのです
再び誕生しないように。
とブッダは言いました。
解説
「taṇhā(タンハー)渇望」は、もっと生きたい、衰えたくない、と望む心の動きです。「もっと、もっと」と、流れるように次々に生じては消える性質のものです。いちいち相手にしても、決して終わりはありません。その動きが「santāpa:熱・火・苦悩」となり、生命を維持するエネルギー源となっています。苦悩は、熱エネルギーそのものです。
Piṅgiyamāṇavapucchā soḷasamā niṭṭhitā. ピンギヤ・青年・質問 16番目 終わり
16. ピンギヤ尊者の質問 終わり
ということで、ピンギヤだけ、青年ではなく尊者とさせていただきました。ご了承ください。