第1章 蛇:1.蛇 14〜17

SN1-1-14

Yassānusayā na santi keci, 
人は・眠っている性質 ない 平穏 誰でも
mūlā ca akusalā samūhatāse
根本 そして 悪行 根絶する
So bhikkhu jahāti orapāraṃ,
そんな 比丘 捨てる 此岸と彼岸
urago jiṇṇamivattacaṃ, purāṇaṃ.
蛇が 枯れ朽ちた・皮 古い

潜在意識下まで悪を根絶した
平穏な修行者は
蛇が脱皮するように
苦しみの世界から抜け出す。

解説

悪い行為は一切しないつもりでも、眠っている性質、つまり潜在意識下にある悪行までコントロールするのは難しいものです。通常時には盗みなど、誤った行為は一切しないのは当たり前でも、大きな地震や災害などに見舞われた際には、どうでしょうか? 人を押しのけて食糧を奪ったり、緊急時だからと無人の店舗からペットボトルを盗んだりしない、と言い切れるでしょうか? これらは生存本能に基づいて、潜在意識下から立ち上がる悪行です。

SN1-1-15

Yassa darathajā na santi keci, 
人は 怖れから生じる ない 平穏 誰でも
oraṃ āgamanāya paccayāse;
この世に 帰来 原因となる
So bhikkhu jahāti orapāraṃ,
そんな 比丘 捨てる 此岸と彼岸
urago jiṇṇamivattacaṃ, purāṇaṃ.
蛇が 枯れ朽ちた・皮 古い

輪廻の原因となる
怖れや不安、悩みのない
平穏な修行者は
蛇が脱皮するように
苦しみの世界から抜け出す。

解説

daratha(ダラタ)怖れ・不安」は、すべて「嫌だ」という思いから始まる心です。快は欲望となり、不快は嫌悪となって怒りを生みますが、怒りの元には、常に怖れと不安があります。

ブッダによると人が生涯で経験する「dukkha(ドゥッカ)苦しみ」は、「生きること、老いること、病気になること、死ぬこと。悲しみや痛みといった肉体的苦痛、憂いや悩みといった精神的苦痛嫌なものと関わること、好きなものと離れること、欲しいものが得られないこと」です。

つまり、思うがままにならないこと=苦しみです。世の中のすべてのものは、常に移り変わっていくのが真理です。それに対して人が求めても、求めた段階でその対象は変化してしまうので、追い求めても、満足を得ることはありません。満足が得られない=思うがままにならないから、苦しくなっていくのです。

この反応が習慣となり、執着(upādāna ウパーダーナ)が生まれ、渇望となります。この常に追い求め続ける渇望のエネルギーこそが、輪廻転生の原因となるエネルギーです。

SN1-1-16

Yassa vanathajā na santi keci, 
人は 渇望の森から生じる ない 平穏 誰でも
vinibandhāya bhavāya hetukappā;
束縛 存在 原因になる
So bhikkhu jahāti orapāraṃ,
そんな 比丘 捨てる 此岸と彼岸
urago jiṇṇamivattacaṃ, purāṇaṃ.
蛇が 枯れ朽ちた・皮 古い

この世につなぎ止める
存在の原因となる
束縛が何一つないならば
その修行者は
蛇が脱皮するように
苦しみの世界から抜け出す。

解説

人には自分で自分を縛るさまざまな「束縛」があります。お金が欲しい、愛が欲しい、楽しく仕事がしたい、美味しいものを食べたい、病気になりたくない、死にたくないなどの感情は全て束縛です。この目的が思い通りにいかない時、人は落ち込んだり悩んだりするのです。この当たり前の感情が、人を苦しみに束縛しているのです。

悟りの最終段階に到達した人は、10種類の束縛を破っています。だから完全に自由なのです。覚者は、感情・妄想・思考・概念を全て捨てています。世間の思考、感情などにも振り回されません。

そしていかなる物にも捉われません。自分の肉体も外の全てのものも物質です。物質は瞬間瞬間に変化する、無常なもので、執着に値しないのです。心にも物にも一切執着しないということは、何にも囚われない完全なる智恵を獲得したということです。苦しみを完全に乗り越えるためには、無常なる存在の全てに対して執着を捨てなくてはなりません。

執着を完全に捨てた人の心は、一切動じることがなく平静で穏やかです。

SN1-1-17

Yo nīvaraṇe pahāya pañca, 
人は 障害 捨てて 5つの
anigho tiṇṇakathaṃkatho visallo;
自由になる 思考を超越した 苦しみから解放される
So bhikkhu jahāti orapāraṃ,
そんな 比丘 捨てる 此岸と彼岸
urago jiṇṇamivattacaṃ, purāṇaṃ.
蛇が 枯れ朽ちた・皮 古い

5つの障害を捨て
心に浮かぶ思考から自由になり
苦しみから解放された修行者は
蛇が脱皮するように
苦しみの世界から抜け出す。

解説

蛇のスッタ集1〜16のまとめのスッタです。「Pañca Nīvaraṇa 5つの障害」とは「欲望・嫌悪・無気力(怠惰)・不安(焦り)、疑い(迷い)」の5つです。心に浮かぶ感覚・感情・思考など、あらゆる精神作用は、心の対象としてのdhamma(現象)であり、過去・現在・未来、身体的・精神的、条件付き・条件なし、現実・空想のいずれであっても同じです。

感覚的欲求(kāmacchanda):視覚、聴覚、嗅覚、味覚、体感の五感で快楽を求めること。
嫌悪(byāpāda): 敵意、恨み、憎しみの感情。
怠惰(thīna-middha): 努力や集中力がほとんどない、中途半端な行動。
不安(uddhacca-kukkucca):落ち着きがなく、心配性なこと。
疑い(vicikicchā): 自分の能力に対する確信や信頼の欠如。

これら5つの障害は、特に瞑想修行における集中力の妨げとなります。集中力は瞑想に限らず、人が能力を発揮するために最も重要な力です。

ブッダはこれを克服する方法として、「感覚的欲求があるとき『私の中に感覚的欲求がある』と気づき、感覚的欲求がないとき『私の中に感覚的欲求はない』と気づくのです。どのようにして感覚欲求が生じるかを知り、どのように生じた感覚欲求が消えるかを知り、どのように消えた感覚欲求が将来的に生じないかを知るのです」とマハーサティパッターナ・スッタティピタカ」の2つめ「スッタ・ピタカ」の長編集「ディーガ・ニカーヤ」の第22巻)で教えています。

Uragasuttaṃ paṭhamaṃ niṭṭhitaṃ.
蛇のスッタ集 最初の 終了

1.蛇のスッタ集 終わり