9. Hemavatasuttaṃ ヒマラヤに住むヤッカ ②
SN1-9-164
"Sampannaṃ munino cittaṃ, 備える 賢者の 心は kammunā byappathena ca; 行為により 言葉により と Vijjācaraṇasampannaṃ, 智慧・行動・備えた人に dhammato naṃ pasaṃsati". 真理により 彼を 賞賛する
行動と言葉において
賢者の心は完璧だ。
智慧と行動力を備えた人を
賞賛するのは当然のことだ。
解説
ヘーマヴァタが納得したようです。164話以降の通し番号は、一般的な底本として中村元先生などが利用されているPTS(PALI TEXT SOCIETY)版とは異なります。ご注意ください。
SN1-9-165
"Sampannaṃ munino cittaṃ, 備える 賢者の 心は kammunā byappathena ca; 行為により 言葉により と Vijjācaraṇasampannaṃ, 智慧・行動・備えた人に dhammato anumodasi". 真理により 認める
行動と言葉において
賢者の心は完璧だ。
智慧と行動力を備えた人を
評めるのは当然のことだ。
解説
サーターギラの返答です。anumodati は「認める、満足げに受け取る、喜ぶ、感謝する」という意味です。
SN1-9-166
"Sampannaṃ munino cittaṃ, 備える 賢者の 心は kammunā byappathena ca; 行為により 言葉により と Vijjācaraṇasampannaṃ, 智慧・行動・備えた人に handa passāma gotamaṃ. さあ 会おう ゴータマに
行動と言葉において
賢者の心は完璧だ。
智慧と行動力を備えた人
さあ、ゴータマに会いに行こう!
解説
ヘーマヴァタは、サーターギラと一緒にブッダ に会いに行く気になりました。
SN1-9-167
"Eṇijaṅghaṃ kisaṃ vīraṃ, カモシカのような肢体の 痩せた 英雄に appāhāraṃ alolupaṃ; 少食で 欲に惑わされない Muniṃ vanasmiṃ jhāyantaṃ, 賢者に 森の中で 瞑想する ehi passāma gotamaṃ. いざ 会おう ゴータマに
カモシカのような足の
痩せて英雄。
少食で欲がなく
森で瞑想する聖者に
よし、ゴータマに会いに行こう!
解説
ヘーマヴァタの続きです。166〜169は、ヘーマヴァタがサーターギラに語った言葉だと解釈しました。
SN1-9-168
"Sīhaṃvekacaraṃ nāgaṃ, 獅子 ように・独りで生きる 貴人 kāmesu anapekkhinaṃ; 欲において 否・期待 Upasaṅkamma pucchāma, 接近中 質問する maccupāsappamocanaṃ. 死の罠から解放された
獅子ように独りで行動する
快楽に無頓着で高貴な人に。
彼のもとに行き、聞いてみよう
死の罠から解放される道について。
解説
ヘーマヴァタは、全てを悟ったブッダ に会ったら是非、輪廻転生からの解脱について、質問したいと思ったようです。nāga:コブラ、ゾウ、鉄木、高貴な人。ナーガには複数の意味がありますが、ここでは高貴な人としました。
SN1-9-169
"Akkhātāraṃ pavattāraṃ, 説法者に 指摘者 sabbadhammāna pāraguṃ; すべてのダンマの 彼岸に達した Buddhaṃ verabhayātītaṃ, ブッダに 憎しみ・怖れ・超えた mayaṃ pucchāma gotamaṃ". 私たちは 質問する ゴータマに
説法者、解説者であり
すべての真理に精通し
憎悪と恐怖を克服したブッダに
ゴータマに聞いてみよう。
解説
ヘーマヴァータが知りたかった「輪廻転生からの解脱」について、あらゆる現象の真実を知り尽くしたゴータマ・ブッダ に質問することにしました。pārago:彼岸に渡った人、彼岸から抜け出した人、熟達した人、精通している人、という意味です。
SN1-9-170
"Kismiṃ loko samuppanno, 何から 世は 生起した (iti hemavato yakkho) Kismiṃ kubbati santhavaṃ; 何から 行う 親密 Kissa loko upādāya, なぜ 世は 執着する kismiṃ loko vihaññati". 何から 世は 悩む
ヘーマヴァタ:
この世は何から生まれるのですか?
何に関係しているのでしょう?
なぜこの世に執着するのでしょう?
この世は何によって苦しむのでしょう?
解説
ブッダの元にやって来たヘーマヴァタは、いきなり解脱方法を質問するのではなく、遠回りに聞きました。loka:この世、世間、世界のことです。upādiyati:しがみつくこと、執着することです。vihaññati:悩み・悲しみ・苦しむことです。
SN1-9-171
"Chasu loko samuppanno, 6つから 世は 生起した (hemavatāti bhagavā) ヘーマヴァータよ と ブッダは Chasu kubbati santhavaṃ; 何から 行う 親密 Channameva upādāya, 6つ・だけ 執着する chasu loko vihaññati". 6つから 世は 悩み
ブッダ:
ヘーマヴァタよ
この世は6つから発生し
6つと密接に関係している。
その6つに執着することで
この世には苦しみがある。
解説
6つとは「6つの感覚器官とその対象物」のことです。6つの感覚器官とは、目・耳・鼻・舌・身体・心です。これらにその対象物として、光景(色と形)・音・臭い・味・感触・思考が接触すると、感覚が生じます。感覚は外部からの刺激を受けることで生じるもので、刺激や変化に反応することです。つまりすべての物事、現象はこの6つ感覚器官とその対象物から発生し、密接に関係し、それに執着するから苦しくなる、ということです。
SN1-9-172
"Katamaṃ taṃ upādānaṃ, どちらか その 執着に yattha loko vihaññati; どのように 世は 悩む Niyyānaṃ pucchito brūhi, 出離を 問われた者 述べて kathaṃ dukkhā pamuccati". どのように 苦しみから 解放される
この世で悩まされる
その執着とは何なのでしょうか?
脱する方法を教えてください。
どのように苦しみから
解放されるのでしょうか?
解説
ヘーマヴァタの質問です。niyyāna:出離。迷いの多いわずらわしい世間を離れることです。
SN1-9-173
"Pañca kāmaguṇā loke, 5つの 欲の対象 世には manochaṭṭhā paveditā; 心・6番目 説かれた Ettha chandaṃ virājetvā, ここに 欲を 放棄すれば evaṃ dukkhā pamuccati. このように 苦しみから 解放される
この世の欲の対象は5つあり
6つ目は心です。
そこで欲を放棄すれば
苦しみから解放される。
解説
chandaṃ:欲・意欲。5つの欲の対象とは、目で認識できる光景(色と形)、耳で認識できる音、鼻で認識できる匂い、舌で認識できる味、身体で認識できる触感のことです。これらに対して人は、好きか嫌いかで反応しています。
この感覚を感じとるのが6つ目の心であり、その生命に結びついた心が感じて、好きは欲望に、嫌いは嫌悪に結びつきます。
dukkha:ドゥッカは、単なる苦しみだけではなく「思うがままにならないこと」という意味です。常にどんどん変化していくものに対して、人が何かを求めても、求めた段階で既にその対象は変化しているので、追い求めたところで常に思い通りになることはあり得ず、常に不満の状態になります。満足が得られない=思うがままにならないから、苦しくなるのです。つまり、欲しいものが手に入らないから苦しいのではなく、欲しいと思っているから苦しい、ということです。
SN1-9-174
"Etaṃ lokassa niyyānaṃ, これが 世の 出離 akkhātaṃ vo yathātathaṃ; 明らかにした あなた達に ごとく真実の Etaṃ vo ahamakkhāmi, これが あなた達に 告げる evaṃ dukkhā pamuccati". このように 苦しみから 解放される
あなた達に明らかにした
真実の通りに
これが世俗の出離である。
このように苦しみから解放されると
あなた達に私は宣言する。
解説
ブッダは悟りに至った際に「人間の苦しみの原因は、心の認識の問題」であると発見しました。そして輪廻転生を繰り返す原動力は、苦悩の原因である「渇望」であることを理解しました。この真理を4つに分類してまとめたものが「4つの聖なる道」で、2人のヤッカに告げています。
①苦しみの正体:自分の肉体と心への執着
②苦しみの原因:「渇望(taṇhā)」つまり、欲望あるいは嫌悪
③苦しみを消す方法:「欲望から離れる」
④苦を滅する真理の道:8つの正しい道
人は自分が思考を考え出している、感情を感じ取っていると思い込んでいますが、実際には体験が起きているだけです。すべての物事は、体験の中に次々と自然発生し消えていく「自分が認識した現象」に過ぎないのです。つまり、感情自体が自分に苦痛をもたらすのではなく、自分が感情につけた名前やレッテル、感情に結びつけた物語が大きな痛みを与えているのです。